ワルプルギスにて待つ(仮)

个叉(かさ)



それは非和声音。力強くも奏でられる旋律は戦慄。陰鬱さとわびしさ、悲しみを秘めた革命。

闇は病み。

罪は詰み。

悪は飽く。



鬱蒼と繁る木々に埋もれた湖畔。湖畔を覆う岸壁。赤と青に染まる湖畔には聳える古城が映し出されている。

木々を掻き分け、男達が靴音を響かせる。それは軍靴に似て非なるもの。彼らの手には武器。とはいえ鍬などの農具が殆どだ。農夫だろうか。あるものは松明を手に、薄暗がりのその道を指し示す。湖畔はものものしい気配に包まれていた。彼らが目指すのはひとつ。


人の身の丈三つ分ほどある扉の前で、彼らは立ち止まった。木製で重厚感のある、古めかしい金の装飾が映える扉だ。重々しい扉がギギと音を立てて開かれる。

古びた玄関口のシャンデリアは埃をかぶり、その用途をなさない。真っ暗な室内には蝋燭の明かりが点々とあり、それをたどる。誘い込まれるそれに、彼らは疑問を持たない。

勢いのまま、彼らは広間になだれ込む。


広間には、月明かりひとつ。蝋燭の明かりより明い。そのスポットライトは玉座を照らす。

玉座には艶かしい肢体。婀娜(あだ)なる女。深い青色の髪に赤い瞳。それはファムファタル。柳眉は悩ましくも妖しく、その唇は厚みのあるセックスシンボル。


「私はエリザベート。誰も私を止めることはできない」


彼女はその体を開く。ふくよかな張りのある胸元が大きく裂かれた服。腰元は細く絞られ、足が丸見えなほどスリットが入っている。

思わず、男達は顔を背けた。


「きょ、今日こそはお前の最後だ」


男の一人が、声を震わせる。しっかりとした体躯の男だ。つなぎを着た農夫か。


「通りすがりの神父様が、貴様を天に送ってくださる」


勇気ある男に次いで、少し細い老人が、絞るような声をあげた。ぴくりと、女の形の良い眉が動いた。


「神父だと?」

「そうだ、神父様だ」

「神に仕え、清廉なる御方。何度も吸血鬼退治をされた実績をお持ちだ。貴様も名を聞いたことがあるだろう」


次々と、男達は捲し立てた。

それは期待を込めた勢いを秘めている。


「しらんな。そんなもの。その脆弱な肉体を潰して血を搾り取り、我が血肉としてくれよう。だが私の活力になるかな。私は美食家だ。若くて豊満な女の子でないと」


ゾッとするほど美しい、嫣然とした笑みを讃える女は、真っ赤な唇を舌先でなぞった。赤い唇がてらてらと、月光を受ける。

民衆達が気圧される。


「そこまでだ」


夜空の光を集めたような銀の髪。祭服を身に纏った神父が、彼女の前に立ちはだかった。

片目が黒く、もう片方は深翠のヘテロクロミア。細い身体に整った長い指先。形の良い唇。つり上がった瞳は強い意思を秘めていて、洗練された動きで十字の形をした剣を掲げる。

その傍らでモモンガが飛んだ。


「まさか、そんな」


女が初めて狼狽える。よろめいて女性らしい弱さを見せる、その艶かしさに庇護欲をそそられて、何人かの男が唾を飲み込んだ。


「そうだ、そのまさかだ。お前の滅びの時がきたのだ。この御方の名前は」


女の色香を跳ね飛ばし、老人は高らかに宣言する。


「ヴィンフリート·ウィンクラー神父。お前を滅ぼすものだ」


金属音。神父の十字剣を吸血鬼は玉座で受けて、ぶつかり合う。音階のように奏でられるそれは不協和音。滅びの戦慄。神父はそれを正しい音階へと誘う。

何合か繰り返せば、椅子は細かく砕け、使い物にならなくなる。


「一筋縄ではいかないか」


エリザベートは椅子を放り投げる。その瞬間に閃いた神父の十字剣を彼女は躱し、空に舞った。


「ずいぶん好き勝手暴れていたらしいな。吸血鬼エリザベート」

「なぁに。ほんの二、三人の処女を捕まえただけよ」


捕まった少女たちは地下にいたらしい。神父が戦っている隙に、玉座の間にある地下への扉を男たちが見つけ、助け出したようだ。わあと歓声が上がって、男たちは少女を守って外に出るもの、残るものに分かれた。

それを逃がすまいと、吸血鬼が動く。然し。


「今日こそはお前を浄化する」


空を舞う吸血鬼に、神父は何かを投げつけた。空中で弾けて何かが四散する。


「っち」


女は辛うじて避ける。神父が投げたのはゴムボールに入った聖水だ。人体には無害だが、闇の眷属には有効だ。


「そこだ」

「くっ」


複数のゴムボールに、女は苦戦する。圧倒的に神父が有利だ。窓際に吸血鬼が追い込まれる。ステンドグラスが妖しく煌めいた。


「覚えていろ」


吐き捨てて、吸血鬼は窓から逃げていく。割られた硝子が降り注ぐ。壊れた窓から、神父はその後を追った。









「お世話になりました」


街道沿いの一軒家。その前で銀髪の神父が頭を下げる。おさげの少女が慌てて手と首を動かした。


「いいえ。こちらこそありがとうございます」


神父の傍らには荷物。シンプルな長方形の革鞄ひとつだ。そこでモモンガがちょこまか動いている。


「あの、もう行かれるのですか?」

「ええ。あ、こら」


神父が鞄をいじくり始めたモモンガを叱る。その光景を微笑ましく見つめて、おさげの少女は胸の前で拳を握る。その手がわずかに震えた。


「もう少しとどまっていただくわけには?」


もう少し、そばに居たい。少女は勇気を振り絞った。彼女はこの通りすがりの隣人に淡い恋心を寄せていた。


「昨日逃がしたエリザベートは強力な吸血鬼です。何度か対峙しているのですが、逃げ足が早くて」

「そんな」


ふらり、少女が揺らめく。告げられた事実は、事が終わっていないと再認識させるものだ。

傍らの父親が、よろめいたおさげの少女を支えた。


「また来るかもしれないと?」

「そうはさせません。今追えば追い詰められるかもしれない。だから、私はやつを追います」


ヘテロクロミアの瞳が強い意思を宿す。


「神父様」

「流石です」


少女が祈るように手を組み、父親がその頭上で頷く。背後の家から、母親であろう一人の女性が進み出た。その手には革袋が握られている。


「これ、少ないですが持っていってください」

「いや、貰うわけには。ここも困るでしょう」


神父は手を振った。しかし、しっかりと押し付けるように、母親は神父に革袋を握らせた。


「良いんです」

「ぜひ、お役立てください」


ダメ押しの父親の一言で、神父はそれを有難く受け取った。






鬱蒼と茂る森。

街道から外れて、一人と一匹が進む。暫くして川沿いに出て、空が見える。そこで一匹が跳ねた。水を飲むためだったらしく、川の傍で小さな手を使って上品におちょぼ口に水を持っていく。


「いやあ、骨が折れましたね」


ぷはぁ、と水をオヤジのように飲んだモモンガが喋る。


「動物のまましゃべるな。お前は働いてないだろ」


神父のツッコミに、モモンガは「これは失敬」と言って煙をあげた。その煙が消えると、神父と同じ背丈か、もう少し高いかくらいの背丈の男が現れた。闇のような髪に、紫闇の瞳。何処か俗世のものではない雰囲気の男だ。


「いえいえ。仕込みに1週間。村人をけしかけて1週間。貴方の登場に2日。十分働いてますよぉ」

「殆どあいつの仕事だろうが。お前は俺のそばに居ただけだ」


胡散臭い物言いに、神父が突っ込む。事実この男はモモンガになって神父の肩に止まっていただけだ。


「貴方をお守りするのが、僕の生き甲斐なので」


しれっと、闇夜を纏わせたような男がいう。


「飢えてる俺を面白そうに見てるのがか」

「ちゃんとウサギを獲ってきて差し上げました」


神父の半眼にも反応せず、闇夜の男は口調を崩さない。


「解っててやってるだろ。俺が四足を食べない誓いをしたばっかりだと」


薄らと、黒い髪の男が嗤う。


「ええ。葛藤する貴方は最高の味でした」

「全く、何が悲しくてこんなやつと一緒に居るんだか」


銀髪の神父は、髪をかきあげて頭を押さえる。この男。悪魔である。常に神父の周りで助けるのか助けないのか、よくわからない行動をとる。

逆に困難を引き起こすこともあるので早く見切りをつけたほうがいいのではないかと、神父は常日頃から思案している。


「でも助かったでしょう?ヴィン」


神父がぐ、と言葉に詰まる。偉そうに彼が神父の顎をすくい上げる。そこに。


「ちょっと待ったぁああぁあ」


青色の髪の女性が、割り込む。彼女は真紅の瞳を吊り上げ、悪魔に雄叫びをあげて蹴りを食らわせた。そして神父を背に庇い、唸る。


「こんなやつとしゃべっちゃダメ。穢れちゃう」


がるる、という擬音が聞こえそうな状態で、女は悪魔を睨む。


「穢れるとはなんですか。貴方こそ離れなさい。減ります」

「おい」

「減るって何よ!」

「言葉通りです。彼の純潔が減ります」

「お前ら気持ち悪いからやめろ」


最初は軽く小突いてみたが、全く譲らない二人に、神父が突っ込む。


「はあい」

「仕方ないですね」


恋する乙女たち(?)に、気持ち悪いは禁句である。間違っても、気持ち悪い感情ではない筈なのである。


「で、これで飢えは凌げそう?」

「暫くは。助かったぞラビス」


ラビス、と呼ばれた青い髪の女は、先ほどまでの凄みもなく、あどけない表情で喜色を示す。役に立ったのが素直に嬉しいのだ。


「人間って不便よね。食べないと死んじゃうんだもん」

「貴方も似たようなものでしょう、吸血鬼」


緩い白シャツと黒い短パンで胡坐をかく吸血鬼に、悪魔が冷ややかな目を向ける。


「あたしは結構食べずに生きれるわよ。百年くらい飲まなくても平気だし」

「力を使えば飢えるでしょうが」


呆れる悪魔は、何処か他人事だ。

陽の光が苦手なラビスは、昼間である今、行動するだけでも消耗する。然し、些細な力の垂れ流しだ。人間があるく程度の消耗で済む。

然し、更に力を使えば。例えば擬態するのは、割と消耗する。場合によっては、飲まず食わずで1週間持たないかもしれない。


「まあね。でもそれはシェディム、あんたも一緒でしょ」


いつもモモンガに擬態している悪魔シェディムに、吸血鬼ラビスが一矢報いる。しかし、彼女がそう返すことは、悪魔には目に見えていた。


「僕の場合は消滅ですけど。まあ、人間の悪意が消えることなんて無いですから。心配無用ですよ」

「はいはい」


ラビスが面白くなさそうに返す。吸血鬼と悪魔の言い争いがそう大したものではなくなったと判断してか、神父は止めない。その神父に、冷たい、助けてよ、と吸血鬼がすり寄った。

神父は鞄の中に、貰った銀貨や銅貨を数えて入れているところだった。今回は1枚金貨も入っていたらしい。神父が鞄を拝んでいる。


「ねえ。神父以外に仕事探したら?普段が無償の奉仕だから飢えちゃうんでしょ」

「生憎、俺はこれ(祈る)以外しらない」


吸血鬼がしょうがないわね、と胸を反らす。また自分の出番があると確信して、言外に神父に恩を着せている。かといって、その恩を返せとは言わない、彼女は尽くす女である。


「神父が悪魔と吸血鬼従えて、金銭を巻き上げる。こんな罪の味、ありませんよね」


ぞくりとする妖艶な笑みで、悪魔が宣う。怪しげな紫の瞳は何処か艶めいていて、人を見透かす光を宿している。


「俺の地獄行きは決定だろうな」


神父は悪魔の見慣れたそれに反応しない。いちいち応えていたらきりがない。彼がこういう物言いをするのは職業柄(悪魔)だ。隙あらばどこからであろうと力を蓄えようと画策する。切って切り離せる性質ではない。そういうものだと割り切っている。

それを踏まえた上で、いつまでもやられっぱなしではいられない。意趣返ししたつもりだった。

反応が返ってこないことを不審に思った神父が、ちらと様子を見れば、悲しそうな顔の悪魔と吸血鬼がいる。


「え?」


ヴィンフリートの動揺が、思わず声に出る。

シェディムがにやりと笑った。


「その時は僕が何とかして見せますよ。こう見えて高位悪魔ですから」

「働かないけどな」


調子の戻った悪魔に、神父が軽口を叩く。神父と悪魔の様子に、吸血鬼ラビスも安堵の息をついた。


「万一天国だったら、あたしが助けてあげる、ヴィン」

「お前も吸血鬼だろ」

「やだ、冷たぁい。それくらいの覚悟で助けてあげるってことよぅ」

「天国だったら助けなくて良いだろ」


ラビスは神父の頬をぐりぐりしてくる。地味に痛い攻撃に不満を漏らすと、吸血鬼は、「じゃあ血をくれたら赦してあげる」と神父に乗っかった。勘弁しろとヴィンフリートがラビスを避ける。


「いいえ。取り戻して見せますよ。天国でもね」


悪魔のその科白に、のかされた後も神父にくっつこうとしていた吸血鬼が反応した。


「やだ、ストーカー。しつこい男は嫌われるわよ。昔愛した女の魂が混じってるからってぇ」

「分離できるならしてやりたいんだが」


神父が黒い祭服の前を開いて、身体を分けるような素振りをする。

悪魔が神父に拘るのは、ある女性の魂が、神父の中に混じっているからだ。彼女の魂は悪魔を愛したことで引き裂かれ、殆どが失われてしまったらしい。確か、神父の中に彼女の魂の一部が眠っている。

返せるものなら返してやりたい、神父は単純にそう思っている。そしてそれを悪魔は分かっている。罪に手を染めながらも、何処か純粋なヴィンフリートに、シェディムは困ったように笑った。


「結構ですよ。僕は貴方も気に入ってるので」


悪魔の紫の瞳が細められる。開襟したまま、神父が固まり、同様に吸血鬼も言葉を失う。二人は雷に打たれた、いや、天敵に会った小動物のように動かない。


「何故沈黙するんです」


不服そうなシェディムに、「えー。だって」とラビスがよくわからない言葉を漏らす。ヴィンフリートとラビスは顔を見合わせ、それからまじまじと悪魔を確かめる。どうやら悪魔は本気でいっているらしい。頭がおかしくなっていなければいいが、と神父が零した。


「好かれちゃった」

「意外だな」


ラビスと神父の意見は一致していた。

シェディムは日ごろの行いが悪いかという自覚もありつつ、怒るのはちょっと違うと思い、踏みとどまる。


「貴殿方は。僕にだって情はありますよ」

「悪魔の情か」

「変わったやつよね」


情、という人間らしい言葉を使ってみると、神父が食いついた。ラビスも言いたい放題だ。神父が荷物を手に取り、川岸を歩きだす。「持ってあげる」と吸血鬼が革鞄を手に取った。神父は彼女の好きにさせてやる。


「まあ、その悪魔と一緒に居るのも大概か」

「そうねぇ」


ラビスとヴィンフリートは、呑気に笑う。二人の後に、シェディムは追随した。

川面がきらきらと、光を反射して揺らめいていた。






それは非和声音。力強くも奏でられる旋律は戦慄。陰鬱さとわびしさ、悲しみを秘めた革命。

闇は病み。

罪は詰み。

悪は飽く。

音は響き流動的。狂った音が正常の音を拾い、完成されたそれはまるで戦うような音色。ぶつかり、時に激しく傷ついていく。

襤褸の外套を纏う男が、教会の門の前で立ち止まる。懐かしい匂いがする。かつてそこで羽を休め、それを永遠にしようとした時に、傍らにあった匂い。甘くほろ苦く、暖かい。

そこには少年が居た。


「なあ、あんた何してるの?」


そう問いかけた少年を、男は不思議そうに見つめた。


「私が見えるのですか?」

「あんた、人外か?」


今度は、少年が訝しむ。


「私ははじまりの悪魔シェディム。貴方を守って差し上げましょう」

「いらない。悪魔は対価を取るんだろ」

「ええ。ごくごく簡単なことです。貴方がーーーーーー」


彼は一つの賭けをした。

その結果は、今のところ悪魔の敗けである。それで良いと、悪魔は思う。勝つことがあったら、その時は。

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ワルプルギスにて待つ(仮) 个叉(かさ) @stellamiira

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