冷の荒野〈2〉
自尊心なのだ。ただ、ただ“影切り”としてだ。
“呪塗り”の影を斬る。
人と“モノ”の共存、共生を築いた“蓋閉め”に誓ってーー。
***
「大昔“モノ”は疎まれ、畏れられた存在だった。しかし、近年の“モノ”は人を怖がらせない。人はそこに付け込み“モノ”を利用して欲を充たすをしている」
聞捨てならない、口の突き。標的を操るには先ず、唆しだ。
「“モノ”は奉行所、人は警察庁。悪業を締めるのに組織が分かれているが化けになった人は奉行所で裁かれる。因みに余は人だ、余は人の望みを叶える為の業を遂行したのだ。それが何故、褒め称えられない。何故、化けとして扱われるのか。応えよ“影切り”よ」
口は達者のようだ。乞うをしている様子だが、これも“呪塗り”の手口。いや、縄を掛けられるのに抵抗を示す状況を、飽きるほど見ている。
「そうか、そうか、そうか。そちは納得しないばかりか関心をも持たない。ならば、これならどうだーー」
“呪塗り”が口を閉ざした。喋るだけ喋って顎か疲れたのではない。来る、いよいよ来る。
ーー呪、身震……。
足元が、地面が突きあがる。茶太郎は宙に舞うが、後方返りで着地する。
“呪塗り”が通力を発動させた、通力の波が地面を這って押し寄せた。奴の姿はわからないが、すぐ近くにいるのははっきりとしている。
まだ、だ。まだ、仕掛けるな。月明かりが雲で遮られた。奴の影を捉える、通力の発動効果を増幅させるにも強い月明りの照りが必要だ。
「どうした“影切り”よ。回避ばかりしていたら、余に触れるさえも出来ないままで尽きるぞ」
茶太郎は“呪塗り”が発動させる通力の波を避けていた。前方、右、左と“呪塗り”からの仕掛けを避ける為に茶太郎は飛翔、後方宙返りを繰り返していた。汗で眼が沁みる、着地時に踏む小石での激痛。身体に受ける刺激が実に不快だ。
鼻が曲がる腐敗臭にも苦しめられる、澄み切ってる冷たい空気が腐れている。深呼吸をしたくても噎せてしまう。奴が吐く息か、それとも奴の体臭か。どちらにしても、奴は異臭を放つほどの過ごし方をしている。奴を縄で掛けるとなったら、ぞっとする。
何に怯えていると、地面に伏せる茶太郎は頬の裏を噛んだ。
“呪塗り”の仕掛けは続いている。起き上がるが背後から波が押し寄せると、再び地面に伏せるをした。
月よ、月光よ……。
茶太郎は夜空を仰ぐ。雲に覆われている月に、茶太郎は目を凝らす。ざくざくと、地面を踏みしめる音が聞こえていた。奴だ“呪塗り”の足音だ。人である、証明の音だ。腐敗臭ももっと濃くなっている。
「ほう、ほう、ほう。逃げるだけ逃げて尽きた。啖呵を切ったわりにはつまらない幕切れだのう」
のぼせた口の突きだ。しかし、これではっきりとした。奴の“呪塗り”の通力は確かに禍々しい。その素は、仕組みはまさに“呪”そのもの。奉行所が、捕り物が“呪塗り”に業を煮やしていたのは、近付くにも近付けないという抵抗感があった為にだ。事実、自分も避けたい心情が働いている。
「余は惜しい。せめて、そちの惨めさを拭ってあげなければな」
まだ動くな、悟られるな。もう少しだ、僅かだ。
茶太郎は仰向けの態勢に変えて、一歩、一歩と迫る足音に耳を澄ませる。視線はまっすぐと、夜空にさせて。
「さて、さて。据える目に相応しくでしてあげよう。心地良いことを浮かべるのだ」
「……。すでに心地良い。とても、とても心地良い」
「爽快な即答だのう。どれどれ、顔をじっくりとみてやろう。そうか、そうか……。そうーー」
鈍い、衝撃の音がした。振動に驚いたのか、止まり木をして就寝していた椋鳥の群れが夜空へと羽ばたいていった。
「“呪塗り”よ。心身を震えさせて騒がした、腐った臭いを自身で嗅げ」
手応えがあった。皮肉にも、生臭い血の匂いがまだ耐えられる。人だから、血を流す。人として生きていたなら、血の匂いの重みをわかっている筈だ。
「嫌だ、嫌だ。べとべと、ぬるぬるしている。ああ、歯痒い……。まるで、呪いだ」
何をほざく。これが“呪塗り”の一面なら、情けない。いや、油断をしてはならない。肉体的には痛手をあたえたが奴は“呪塗り”として全開してるに至ってない。勘が、そう促している。
ーーふはは、人の象りは脆いのう。窮屈だ、飽きた……。
悍ましい、声色が聞こえた。肉片を引き裂くに似た音を混じらせてだ。生々しく、耳を塞ぎたいほどだ。
『はあ、空気は直に吸うが好い。視野がぐっと拡がる。通力だって、このようにーー』
足元が、ずぶりと滑りこむ。泥沼に嵌ったように、茶太郎は膝上まで沈んでいた。勢いは止まらず、胸部の位置に達していた。それでも茶太郎は抵抗をしなかった。
ーーはっ、はっ、はっ。沈め、沈め。這い上がれなく、沈め……。
肩、頸、顎、鼻、額。茶太郎の身体は、とうとう沈んでいったーー。
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