共鳴

 知らぬが仏。女医、門倉亜瑠麻の私的事に振り回されるは以ての外。しかし、関わる人物が目の前にいるとなればーー。


「くだらない。茶太郎、おまえはいつから詰まらない奴になったのだ」


 奉行所の廊下で、茶太郎は奉行に女医の件を訊ねた。だが、奉行は拒否をした。

 復帰早々で、事案と関係ない件を持ち掛けた。其処が奉行にしてみれば気に入らなかったのだろう。深く追求をするならば、首が飛ぶ。


「私からの発言、撤回致します」

「ばかちん。今日、俺の家でお前の快気祝いをする。それまでさっきのことは黙っとけ」


 ずんずんと、奉行は廊下を過ぎ去った。茶太郎は、奉行の後ろ姿に深々とお辞儀をしたーー。



 ***



 奉行の自宅に招かれたのはこれが初めてではない。当時を振り返るが、奉行は未婚だった。


 いつの間に。しかもーー。


 茶太郎が悶々となるのは当然だ。あの女医と奉行が婚姻関係であった現実を、目のあたりにしてしまったからだ。


「さあ、呑んで食え」

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて……。」


 上司の奉行から酌をされる茶太郎の手は震えていた。徳利とお猪口の淵が重なると、かちかちと擦れあう。


「清登さん。ねえ、清登さん」


 なんだ、ねとねとした言い方をしやがって。


 茶太郎は、枝豆をつまんでいた。そして、座卓に乗る種類豊富な食事をこさえたであろうの本人を「じろり」と、見据えた。


「ああ、わかっちょるわい。茶太郎が話を聞きたくてうずうずしてるしな」


 奉行、違うけどちょっとだけ正しい。


「奉行様」

「待て待て、茶太郎。務めの時間以外では、俺を肩書きで呼ぶな」

「では、師匠」

「それも、ぶー」


「『名前』で。だよね、清登さん」


 のろけてる。こいつ、のろけている。


「それでは、お伺いいたします。清登様、そちらの女子様とのご関係はどのようなもので」

「その呼び方もちょっと硬いが。ま、いいか。馴れ初めは端折るけど、俺のカミさん。茶太郎、世話になったな」


「ちょっと、清登さん。それは逆よっ」


 わっはっはっ。と、高らかに笑いそうなる。あの女医が、見事に動揺している。


「とても素晴らしいお医者様ですよ。私がこうして清登様と酌み交わすが出来たのは貴方の奥方のおかげ。奥方、心より感謝申し上げます」

「よせよせ、堅苦しい礼を催促したのではない。他の連中捕り物には内密にしているし、おまえだったらべらべらと言いふらすはするまい」


「だから、あの時私に冷たくされた」

「ま、そう言うこと。で、話しを変える。快気祝いだと称しておまえを家に招いたが……。ちと、耳を貸してくれい」


「くいくい」と、奉行。もとい、清登が茶太郎を指先で呼びつける。


 ごにょごにょ、こそこそ。


「……。御意」

 清登からの耳打ちを澄ます茶太郎の顔つきが、忽ち険しくなったーー。



 ***



 あの事案は、未解決だった。病に伏せた自分茶太郎の代わりを務めた葉之助の力量不足ではない。


 ーー“呪塗り”の居所が分かった。しかし、こっちから動くな。奴はとりついた標的の記憶を消去させることも出来る……。


 遺跡荒らしを殺害した容疑で人か“モノ”のどちらが特定されていないが、奉行は主犯を確定した。どうやら清登奉行は自ら捜査を執り行った。憶測だが止めに掛かる、特に葉之助はさぞかし骨を折ったような心労をしたであろう。


 ーーこれ、あんたにあげる。もうひとつは、彼女に填めてあげて。


 先日奉行の自宅にて、奉行の妻である門倉からを渡された。なんでも“呪塗り”のような闇の通力を払い除ける効果が備わっていると。

 象りが、金色の指輪。しかもペアだ。門倉は椿の顔を見ているし、茶太郎との関係も知っている。かと言って、他人から贈呈された装飾品をどんな言い訳で椿に贈る。

 指輪のサイズにも苦戦を虐げられた。どちらも、左の中指でのサイズだ。自分は構わないが、椿はーー。


「椿、待ってて。ちゃんと、必ずーー」

「これは、御守り。だって、指輪に彫られている文字が表しているから」


 取り越し苦労とはこう言うことなのだろう。椿は不平不満を溢さなかった、時折少女のように無邪気なる椿、聖母のように慈悲を溢れさせる椿。


 ただ、ただ愛おしく。そして、尊い。


「お昼休み、終わるよ」

「もう、病み上がりでも意地悪なのは相変わらず」

「すねないで。椿、きみが言った通りその指輪はきみを守る」

「うん。茶太郎、あなたもだよね」


 そうだよ。と、するりと出てこない。指輪には、門倉の通力が込められている。通力使いが他の通力使いにご厄介になるのは、どうなものか。


 いや、とっくになっていた。我が生業で、最も信頼を寄せているーー。


「作蔵さん、だったけ。あの人、茶太郎の仕事で大事な役割を担っているのよね。わたし、知らなかった。平手打ちしたこと、怒っていたらどうしよう」


 なんと、椿はあの時のことを燻っていた。可笑しくはあったが、当の本人はけろりと忘れているのを茶太郎は知っていた。つい、笑みを溢してしまい、椿が「ぷう」と、頬を膨らませた。


「お昼ご飯、ご馳走様でした。茶太郎、今日も宇井雨衣をわたしが預かるわ」

「ああ、今夜は仕事で赴かなければならない。夜でないと、追えない」


 ーー行ってらしゃい。今度はちゃんと無事でいて……。


 昼の食事処にて、茶太郎は椿に“陽咲き”の通力が込められている指輪を贈ったーー。

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