夕映え

 焦るあまりに咄嗟の行動をしてしまった。椿へと溢れさせる愛情を、どうにかして知ってほしかった。


「……。茶太郎、強引よ」

「そうだね」


 茶太郎は椿と重ね合わせる唇を外し、腕の中へと抱き寄せる。きつく絞めるのはさすがに出来ぬと、緩めの加減をして。

 口づけの余韻がこれほどに心地好いのか。場所が違っていたら完全に理性を失っていた。

 椿が腕を解すをしてくれるだろうと、茶太郎はじっとして待つ。


「ねえ、茶太郎」

「何かな、椿」


「もういっかい、して」

 椿が、甘く催促する。すると、火が焚かれるように茶太郎の顔が「ぼっ」と真っ赤になる。


「待ちなさい、待ちなさい、待ちなさい」

「あら。自分から仕掛けたくせに、わたしを置き去りにするつもり」

 茶太郎は、大胆不敵な椿に狼狽える。一方、椿は茶太郎の背中に「ぎゅっ」と腕を回して、顔を見上げていた。


「椿、そろそろ私の部下達が此所に到着する。申し訳ないが、気持ちの切り替えをしてくれるかい」

「茶太郎の意気地無し」

「頼む、椿。ほら、耳を澄ませてごらん」


 無数の足音、警笛。緊急車両からの高らかとしたサイレンの音。

 “捕り物”が緊急出動で鳴らす音が聞こえると、茶太郎は椿を促す。


「兄貴、お待たせしました。わっ、お召し物が酷いことになっている」

 に一番で到着した葉之助が、茶太郎の姿を見て驚いたさまとなった。


「葉之助、目の前にある任務に集中しなさい。こちらのは、私が付き添う」

「御意。これより加害“モノ”を緊急御用を致します。兄貴、女子様への対応は貴方にお委せします」


 葉之助が、小指を立てながら「へらり」と笑みを湛えるーー。



 ***



 “捕り物”が御用した“モノ”は《奉行所》の〈御白洲〉と呼ばれる裁きの場で犯罪事実の吟味を受ける。


「殺生と殺生未遂。犯行に及んだ理由に酌量はなし。よって、罪を犯した行為と同等の刑を課すのをくだす」

 広間の奥より、筵が敷かれている白洲に縄で縛られて座っている“モノ”に判決を言い渡す“奉行”の、天を貫き地を割るような轟き声だった。


 茶太郎は裁きの場にいた。役割は“吟味方与力”で裁きの予審を執り行う。茶太郎自身も“モノ”からの被害を被っている、犯行の終始に於いての証言という証拠が斯うして“奉行”は即判決を言い渡すをするのであった。


『ひゃ、ひゃ、ひゃ。これで終わりじゃねえ。次の切り裂き“モノ”が別の〈白波六花〉を切り刻むをするさ。何時にだは、知らねえがな。い、ひっひっひっ……。』


 広間で他の役人と座る茶太郎は、下男に引き摺られて場を退く最中の“モノ”と目を合わせる。距離が保っているのにも関わらず“モノ”の目が血走っているが見えて、さらに嘲笑いながらの挑発的な口の切り方が悍ましい。


「茶太郎、やつの言動に惑わされるな」

 “奉行”にも“モノ”の声が聞こえていた。そして、感情任せで動こうとしていたのを“奉行”が止めてくれたと、茶太郎は継裃の衿を正して「ふう」と、小さく息を吐いた。


「あのう」と、女性のおずおずとした呼び掛けに、茶太郎は「はっ」と、振り向く。


「椿、裁きは終わった。もう、不安がるをしなくていいよ」

「いえ、わたしは大丈夫です。ですが、とても気になることがあるので、特にあなた様がとても疲れきっているように見えましたので」


 白洲に残っていた椿の言葉は、当然と云わんばかりに茶太郎への注目の的になった。

「ははは」

「へへへ」

「ひひひ」

 息を潜めた笑いが辺り一面から聞こえ、茶太郎は堪らず「ごほっ」と、咳払いをするのであった。


「茶太郎、あとのことはもうよい。ささっと、帰りの身支度をするのだ。女子よ、の世話を任せるよ。さあ、持って帰りなさい」

 ぽんぽんと、茶太郎の頭部を掌で押す“奉行”が椿に笑みを湛えて言う。


 ーーありがとうございます……。


 椿が、深々と“奉行”へとお辞儀をしたーー。



 ***



 秋はもうすぐ終わりを告げる。赤茶色に染まった枯れ葉が歩道に積もって、軽く吹くつむじ風がふわりと舞い上がらせる。


 茶太郎と椿は長い坂道を昇っていた。そして、展望台で脚を停めると夕映えを見つけた。

 日没間際の景色を見るのはあるのだが、心を穏やかにさせるはなかった。こんなに美しかったのかと、茶太郎は椿に話題を振ろうとしていた。


「あら、いい匂い」

 椿が鼻をぴくっと、擽らせる。


 そうか。と、茶太郎は半ば落胆するがさっと、切り返すをすることにした。


「其処の民家で焚き火をされている。きっと、芋を焼いている匂いだろうね」

「もう、わたしは食いしん坊ではないわ」


 下り坂に隣接する民家の、塀の向こう側から煙が昇っていた。茶太郎は話題のつもりで口を切ったのだが、椿にしてみれば冷やかしに聞こえたようだ。


「『意地悪』は、言わないの」

「もう、そんなところが『意地悪』なの。あ、言っちゃった」


 慌てて口を掌で塞ぐ椿の仕草が愛くるしい。しかし、調子に乗ったら椿と云えども本気で怒るだろう。まるで子供の悪戯だ。そのようにしなければ、理性が保てない。

 椿を、帰宅させなければ。茶太郎は椿と手を繋ぎ、坂道を下る。一歩、一歩と歩く度に陽が山の麓に傾いているのがわかる。そして、ぽつぽつと街灯が明かりを点しているのも。


「椿、ゆっくりと休みなさい」

 県道沿いの歩道が見えた頃、市街地は街明かりに包まれていた。椿の自宅は最寄りの交通機関を使っての距離の場所にある。今なら夕飯時に間に合うと、茶太郎はバスの停留所で時刻を確認して椿を急がせた。


「茶太郎もずっと忙しかったですもの。わたしがここであなたを困らせるのは止めとくわ」


 帰りたくない。椿は遠廻しでの本心を溢しているようなものだった。茶太郎はほっと、胸を撫で下ろす一方、寂しいようにも思えた。


『馬高正門経由、青葉・竜嶺行きです』


 路線バスが到着したと、茶太郎は「とん」と、椿の背中を掌で軽く押す。すると、椿は扉が開く乗降口へと昇る。


『発車します』


 椿の、バスの座席に腰掛ける姿が茶太郎に見えた。窓際に座って窓越しから手を振る椿に、茶太郎は手を振るで受け答えをした。


 ーー茶太郎、今度は絶対に帰らないから……。


 椿はそう言っている。そう、言っているのだろう。椿の口の動きを見ていた茶太郎は「やれやれ」と、照れ隠しに頭髪に手櫛をする。


 からん、からん。


 聞き覚えがある、木下駄の音がする。やつの歩き方は独特だ。兎に角、雑だ。


「おう、茶太郎。どうした」

「貴様こそだ、作蔵。何故ここにいる」


 絶対に、見ていた。わかっていながら、わざとはぐらかす物言いをしている。


「俺か。ご覧のとおり、今から“蓋閉め”に行くところだ」


 ますます、わざとらしい。


 困ったものだね。茶太郎、完全に取り乱しているよ。作蔵も作蔵だよ。だって顔がにやけているもん。ばればれだよ、作蔵。


「そうか、務めか」

「直ぐ済ませるから、待っててくれ」

「……。あいにく、持ち合わせがない」

「おいおい、それは深読み過ぎだぜ。なあ、伊和奈」


 相変わらず、何時も一緒。仕事を介しているとはいえ、実に羨ましいものだ。


「茶太郎。作蔵ったら、ずるいのよ。今日〈医者・十字 ~消化器医 坂梨露子~〉のスペシャルがあるのに、視る時間帯に間に合わないのをわかってて、仕事を入れたのよっ」

「だから、タイマー予約して帰ってからゆっくりと視れよと、言っただろう」

「リアルタイムで視たかったのっ。と、いうより、タイマー録画で誰かさんが失敗して懲りているからね」


 喧々。

 諤々。

 ああ、言う。

 こう、言う。


(以下、略)


 どうみても、ただのじゃれあい。いや、仕事はどうやら大した内容ではないのだ。あまりにも、余裕綽々としている。


「……。私は明日がある。よって、このまま帰らせて貰う」


 ーー俺、しくじったりしないぜ。


 ーー陵家米子が演じる坂梨露子の台詞を真似るなっ。


 こいつらは、我に対して眼中に入っていない。だから、ほっとこう。と、思ったが、やっぱり癪だ。


 “奉行所”に、務めで使用する所持品のひとつを置いていくのを忘れていた。と、茶太郎は腰に着ける藍染めの麻袋を「ぎゅっ」と、掴む。


 ーーちょっと、作蔵。歩くのに邪魔だから、くっつかないでよっ。


 ーー知るかっ。ああっ、伊和奈。下を見てみろっ。


「はあ、何これ」

「伊和奈、やったのはあいつだ。あの野郎めえ」


 ようやく、気付きやがった。


 茶太郎は“影切り”の通力のひとつである“影結び”を作蔵と伊和奈に施してた。


 ーー茶太郎っ。


 茶太郎は「ふっ」と、笑みを湛えながら月夜を仰いだーー。

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