華
団栗
《大観峰奉行所》
所謂“捕り物”の茶太郎が務めている“奉行所”の名称だ。
此所に、茶太郎の部下である“同心”の勝五郎がビニール袋に入っている海老を持って、やって来た。
また、こいつか。
例えるならば、能面の「増女(ぞうおんな)」だ。海老を見る茶太郎の形相は、それに当てはまっていた。
『いやあ、足を洗うは決めてましたよ。でもですね、ついつい、甘い言葉に乗って、気付いたらご覧の通り。と、いうことで……。』
僅か1ヶ月で、しかも前回と同じ事案。いや、こうして此処に連れてこられるのは指で数えるを超している。言葉巧みに弁解をしてるつもりだが、酌量をするのはまったくない。
「ふん」と、茶太郎は鼻息を荒く噴く。
『なあ、なあ。茶太郎さあん』
何をくねくねと、気色悪い声色をしやがる。
「海老には興味ない」
『そんな、つれないことをいわないでえ。此方を見つめてくださいよお』
また、吊られて乗ってしまった。
相手にするまいを、頑として誓っていたのに。と、茶太郎は悔しがっただろう。
「葉之助、こいつを直ちに牢屋へぶちこめ」
事情聴取をする気はないと云わんばかりの茶太郎に、葉之助はおろおろと、困り果てたさまをしたーー。
***
“捕り物”も人の子だ。不眠不休で務めるはない。休暇だって、ちゃんと与えられている。
茶太郎は自宅にいた。本日は休暇日、ゆっくりと自宅で過ごすを決めていた。
と、いうわけにはいかなかった。
『茶太郎さん、茶太郎さん』
畳の上でごろりと寛ぎ、微睡んでいると「つんつん」と、頬を突く感触がした。
「ああ、退屈だったのだね。ほったらかしにして、すまなかった」
『違うよ、違うよ。茶太郎さん、この頃疲れていたでしょう。茶太郎さんが起きなかったら、このまま目を開けなかったらどうしようかと思ったら……。よかった、よかった。茶太郎さん、起きた』
ただ、寝ていただけなのに。こんなにも心配をしてくれるとは。いや、勘違いをさせてしまうほど疲労困憊状態だったのか。
宇井雨衣は、家族だ。独りで住むには広すぎる家に、宇井雨衣を迎えたことは正しかった。
宇井雨衣の存在は、尊い。
「外は天気が良いね。宇井雨衣、今から出掛けるよ」
茶太郎は、宇井雨衣の頭に「ちょこん」と、指先を乗せたーー。
***
緑色の単衣、黒色の帯。白足袋を足に被せて黒色の草履を履く。少し肌寒いと、紺色の羽織りを重ねる。
空は見事な秋晴れだ。
茶太郎は宇井雨衣を肩に乗せて、自宅近くにある森林公園へと徒歩で向かった。遠出をしなくても近場で秋の彩りを楽しめる。そして、宇井雨衣をのびのびと遊ばせることが出来る。
『茶太郎さん、見てみて』
現地に着くと、宇井雨衣が早速楽しんでいた。
落葉に混じって落ちていた団栗の上に乗ってぴょんぴょんと、器用に転がしている宇井雨衣を、茶太郎は目尻を下げて見つめていた。
が、顔面蒼白になった。
『きゃっ、きゃっ、きゃっ』
嬉々と、はしゃぐ宇井雨衣を茶太郎は追う。
宇井雨衣はテーマパークのアトラクションのように、団栗と共に石畳の坂道を下っていた。このままだと、宇井雨衣が団栗もろとも池に填まってしまう。
池にどんどん転がり近づいている。もう、駄目だ。
と、思ったその時だったーー。
「あら、あら、あら。元気が余っているのはいいけれど、危険を察知しないと駄目でしょ」
なんという、都合がいい展開。違った、奇跡との遭遇だ。
宇井雨衣は、九死に一生を得る。池の畔にいた女性の足元で、宇井雨衣の転がりが止まったのだ。
「感謝致す」
茶太郎は、前屈みになって宇井雨衣を掌の上に乗せる女性の傍に着く。
「どういたしまして」
女性は起立をすると、茶太郎に宇井雨衣を渡そうと掌を差し伸べる。
茶太郎は「はっ」と、なった。女性と目を合わせて胸の鼓動が「どくっ」と、瞬間に高鳴ったのを覚えた。
宇井雨衣を受け取ろうと、茶太郎が差し出した掌が女性の指先に触れる。
「失礼」と、茶太郎は掌から宇井雨衣を溢しそうになって、女性の掌を宇井雨衣ごと包む。
「申し訳ありません。ゆっくりとお話しをしたいところですが、職場に戻らないといけないので」
そうか、女性は社会人。昼休みだったのだろう、貴重な時間を邪魔してしまった。と、茶太郎は宇井雨衣を改めて掌の中に受け取り、深々とお辞儀をするのであった。
もう、会うことはないのか。と、茶太郎は惜しんだ。
しかし、だった。
「折角ですから、私の職場を今から見学されてください」
「宜しいのですか」
「ええ、寧ろお願いします」
何故、初対面の者にそのようなことを勧めている。それに、切羽詰まった眼差しをしているのも気になる。
「ご案内、よろしくお願いします」
拒む理由はないと、茶太郎は女性に同意したーー。
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