蟻の塔〈前編〉

 逐えば逐うほど、罪に関わっていると疑われる参考“モノ”が増えている。

 情報が集まるのはひとり、ひとりの“同心”が目を凝らし、耳を澄ませてくれたから。


 そして“御用聞き”の存在は、かなり大きい。

 我々“捕り物”の組織では獲られなかった情報を提供してくれた。


 本日の任務は終了した。作蔵を誘ってちょっと一杯といきたいところだが、今夜はお預けにすることにした。

 “自身番”で夜勤の部下同心を考えると、そうはいかない。


 部下へ激励をするのは、上司ならば当然のことだーー。



 ***



 茶太郎は右手に提灯を、左手に買い物袋を下げて“同心”の彦一が配属する“自身番”を訪れた。


「兄者、ありがてえ。小腹が空いていたから、助かります」

 彦一は茶太郎からの差し入れが嬉しくて堪らなかった。


 ほかほかと温かく、噛ると「ぱりっ」と、ウインナーが砕ける歯応えが実に素晴らしい。粗粒のマスタードで鼻が「つん」と、痛いのをこらえて指に付くケチャップを「ぺろり」と、舌で舐める。


 何処かの誰かを彷彿する。


 言うまでもなく、作蔵のことだ。ホットドッグを噛る彦一が、作蔵と被る。彦一は1個だけでは物足りないらしく、巡回で出払っている勝五郎の分をじっと見据えていた。


「こらこら、彦一。食べてしまったら勝五郎が可哀想だよ。我慢しなさい」

 茶太郎は、彦一が表す食い意地を止める。


「兄者、今夜は此処で寝泊まりですか」

「帰宅するよ。彦一は、どうなのかい」

「“自身番”の宿直当番が回っているで、今から仮眠をとります」


「そうだったのかい。おやおや、随分と長居をしていた。キミと勝五郎が任務中に邪魔をしてしまい、申し訳ない」

 茶太郎は、柱時計が表す時刻に苦笑いをしながら“自身番”の戸口を開き、月夜を仰ぐ。


 “影切り”にはうってつけの空模様だ。月を覆う雲がなく、月光をまんべんなく浴びることができる。


 なんとも、もどかしい。陣に踏み込むのが今夜でないのが、実に惜しい。


「兄者、気をつけてお帰りください」

「気遣い、ありがとう。彦一、明日に響かないようにするのだよ」


 茶太郎は、提灯に明かりを灯すーー。



 ***



 《蟻の塔》


金平きんぴら】地区で派手に聳え立つ豪邸は、何時しかそう呼ばれるようになった。


 陽が山麓に着く、時の刻みの頃だった。


 《蟻の塔》を決壊させる。

 事案に於いての家宅捜査を意味する。

 “奉行所”より令状が発行されたことによって、正式に着手するに至った。


 “奉行所”に仕える“与力”は茶太郎だけではない。事案は枝分かれしており、他の“与力”と手分けしての捜査が執り行われた。

 回収された段ボールに詰まる押収物は夥しく、運搬車両の中を埋め尽くす。


 残るは、容疑“モノ”と“化け”になった容疑者を御用する。


 化ける“モノ”はずる賢い。と、言うのは固定観念だった。事案を追跡する過程で、化ける“モノ”への考え方が変わった。

 化けようが化けまいが“モノ”も生身。自然を寝処にして生きている生命体の“モノ”は木の実、草葉、果実、花の蜜を好み、食する。


 ーー断、影剥がし……。


 茶太郎は《蟻の塔》の中にいた数個の“モノ”に“影切り”を施していく。

 “モノ”は皆、抵抗をせずに本来の象りを表す。


 “モノ”は“影切り”を受けるのを待っていた。

 “モノ”は、化けることに疲れきってた。


『また、栗を噛りてえ』

『土に潜っていた方が、静かでいい』

『水道水というのは、どうも苦手だった。でも、喉の渇きを止めるために我慢して飲んでいた』


 愚痴だろう。次から次へと本音を溢す“モノ”は、ほっとしたさまとなっていた。


「あたたち、せからしか。話しは“奉行所”で聞かせてはいよ。だんな。おどんは、先にこやつらば、連れていくばい」

 “同心”の照斗は虫籠の中に“モノ”を詰め、茶太郎に告げる。


「ああ。頼むよ、照斗」

「だんな、が、まだ、ばいた。此処にはおらんと、じゃなかと」


「いや、居るよ。奴は“化け”だ。を得ているから姿を隠すのは、して当然だよ。さあ、照斗。お行きなさい」

 茶太郎は照斗を促しながら、腰に着ける藍染めの麻袋に手を添えていた。


「とっとっとっ」と、照斗が廊下を駆ける音がする。明かりが灯っていない《蟻の塔》の中に、茶太郎はいた。匂いは湿っぽく、黴臭い。「ふにゃり」とした、踏み心地が悪い足元。


 今宵の空模様は、曇り。月明かりは灯されているが、覆う雲が邪魔をしている。これでは“影切り”の通力効果が期待できない。

 “闇”の効力は、奴からすれば有利。を効きやすくする。


 茶太郎は暗闇の中でじっとしていた。

「じぃ、じぃ」と、耳鳴りが虫の声に似て紛らわしい。音、気配。茶太郎はじっとして探る。


 鶏知尾津毛留(けちおつける)。


 “モノ”を利用して悪事を働いた。

 “モノ”を束縛をして、悲しみを背負わせた。


 切り札を、早々と出すのはやむ逐えない。


 奴は暗闇の中で嘲笑っているだろう。手足を捥がれているようで動くに動けないだろうと、侮っているに違いない。


 ーーそれ、俺の通力も詰め込んでる。俺がいなくても“蓋閉め”が出来るからな……。


 切り札は、作蔵から受け取ったふたつの箱。

 収められている“モノ”の念、元生者の怨。そしてーー。


「作蔵、感謝致す」

 茶太郎は麻袋の綴じを解き、中身を抜き取る。

 ひとつめの箱、竹細工の箱を茶太郎は右の掌の上に乗せる。


 ーー影、照明……。


「ふつっ」と、胸の奥が湧く。作蔵の通力が手から浸透していく。自然と、詠唱が口から溢れる。


 周囲が陽の光で照らされるように「ほわっ」と、明るくなる。

 漸く、執り行える。茶太郎は長髪に手櫛をして、灰色の草履を履いた足の歩幅を拡げる。


『け、けっけっけっ。見つけられてしまった。ああ、愉快。実に愉快』


 開き直っているのか、見せる態度が腹立たしい。

 茶太郎は「ぐっ」と、頬の裏を噛んだ。


「鶏知尾津毛留。貴様は化ける“モノ”に自分の姿を象らせ、罪を被せた。他にも化ける“モノ”を束縛して行動を制限させた罪を犯した。よって、ふたつの罪の疑いで御用致す」

『はっはっはっ。家の中をどかどかと踏み荒らして、何をほざく。さあ、何処に証明があるのか。見ての通りだ、見ての通りだよ』


 茶太郎は目蓋を「ぴくり」と、痙攣させた。

 目の前にいる人は、完全に“化け”と変貌している。罪を犯した自覚がない。いや、本来、人であることも忘れているとしか、思えない。


 情深くをする必要ない、奴が大人しく“奉行所”に連行されるはない。


 各々の箱に収まる念と怨を、奴に浴びせる。

 “化け”となっても人の心が残っているのであれば確実に奴を揺すぶられる。しかし、効果がなかったらーー。


 迷うことはない。


 “蓋閉め”の通力は、絶対的な威力がある。何度も、この目に瞬間を焼き付けていた。


。キミ達の想いを、おもいっきりぶつけなさい」


 茶太郎は、ふたつの箱の蓋を開くーー。

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