第5話 今度の勝者は


 

 手放したのは誰?

 ――妾だ

 どうして手放したの?

 ――あいつの秘める力なら、妾を殺せる可能性があるからだ

 憎まれる為に?

 ――そうかもな

 

  

 10年間、考えてみた。

 もしも、大きくなり、強くなったリュミエールが勇者として魔王城を襲撃したら。彼はどんな顔をするか、と。慕い続けた女から捨てられた憎しみで迷いなく殺すか、子供の時と同じで泣きながら抱きつきに来るか。様々な予想を立てた。形の違う積み木を積んでいった。どれが正解か、現実にならないと分からなかったから。

 ……けれど、もう全て崩れた。

 あの時、魔王城の結界を破った気配を感じた際、シルヴァは一瞬期待してしまった。侵入者がリュミエールであると。

 結果は――残酷な現実をシルヴァに突き付けた。

 

  

「《吠えろ・吠えろ・吠えろ》!」

 

  

 北の魔王城は孤独を好むシルヴァを表しているように、巨大でありながらも森林に囲まれているせいで存在感がなく、ひっそりと建てられていた。自然に囲まれた周辺は地獄の業火に包まれていた。シルヴァの強烈な拳を顔面に食らい、大きく吹き飛んだヴェルレエヌへシルヴァは猛追を開始した。放てば甚大な被害は免れない超威力を誇る雷の魔法を、魔力を増幅ブーストさせて3発放った。1発食らっただけで灰も残らない圧倒的威力の雷を放たれたヴェルレエヌに焦りはない。

 

 

「《やれやれ・怖いなあ》」



 瞬時に極光の壁を創造。

 壁と雷が激突した瞬間――辺り一帯は巨大地震に襲われた。眩い光が包む。光が消えるとシルヴァの放った雷を防御したヴェルレエヌは無傷で立っていた。そう、顔面に強烈な拳を食らったのに傷を負っていないのだ。

 ヴェルレエヌと距離を取って降り立ったシルヴァは溢れる怒りを抑えなかった。

 

  

「性根は腐っていても神王の弟の力は伊達ではないな」

「はは、あなたに褒められるなんて嬉しいよ。千年前の時と違って僕の力は格段に上がっているよ? 同じと甘く見たら、痛い目を見るのはシルヴァ、あなただよ」

「そうか。安心しろ。妾は、戦う相手を1度でも甘く見たことはない」



 言うが早いか、再びシルヴァは雷を放った。今度は10発に増やした。



「さすがに数が多い……」



 余裕の表情を浮かべながらも、弱気な言葉を発する。増幅と更にヴェルレエヌが再び展開した極光の壁と激突させた刹那、今度は同威力の爆炎を放った。雷と炎は相性が良い。2つの属性が融合したことによって威力は桁違いに上がった。ヴェルレエヌは一瞬にして極光の壁を全方位に5重展開した。



「ぐう……」



 ヴェルレエヌを守る壁にピキピキと罅が走る。

 大地を抉り、天を燃やす光景はまさに地獄。

 辛うじてシルヴァの魔法を防御したヴェルレエヌは油断した。

 すぐ目前までシルヴァが迫っていた。


 ヴェルレエヌの足先に大きく踏み込むと力を籠めた拳で再び殴った。今度は顔面ではなく、心臓を狙った。後方へ地面や自然を巻き込みながら飛んでいくヴェルレエヌ。超威力を誇る魔法を連発しておきながら、シルヴァに疲労の色は一切ない。並の魔族では使用するだけで魔力切れを起こす魔法。威力が凄まじいだけに消費する魔力量も尋常じゃない。平然と使い熟し、更に連発させられる魔力を持つシルヴァはやはり王に立つべき魔族。

 だが、敢えて使っていない力があった。

 千年前、初代勇者として現れたヴェルレエヌを喰らった際に得た銀の魔力。“燼滅の力”を持つ銀の炎ならば、仮令神王の弟であるヴェルレエヌでさえ例外なく灰にすることは可能だろう。けれど、これだけは使いたくなかった。

 ヴェルレエヌには効果がない可能性ともう1つ。彼の身体がリュミエールの物だから。リュミエールの意識はもうなくても、その身体まで消し去ることはシルヴァには出来なかった。現在進行形で攻撃しているとはいえ、灰には出来ない。灰にしてしまえば、元に戻らない。せめてヴェルレエヌを始末してから、リュミエールの身体を埋めてやりたい。

 場所は何処がいいか……ずっと暮らしていたピサンリ村がいいだろうか。草原でピクニックをするのが好きだったリュミエールの為に草原に埋めてやろう。あの子の大好きだったお肉やリンゴを供えてやろう。


 

「……すまなかったな……リュミエール」


 

 恐らくだが、あのままずっと一緒にいたら、少なくともヴェルレエヌ復活は阻止されたのではと考える。必ず異変は起きる。その時シルヴァが対処してやれば、リュミエールはまだいられたであろう。

 自分を殺させる為に育てた子供を、直接ではないにしろ殺したのは――シルヴァ自身。

 魔王が人の子1人失った程度で気落ちすると他の魔族や魔王が知ったら何と言うか。人間大好きを公言するエリュテイアだけは、事情を知っているせいで同情的だ。

 エリュテイアに保護してもらったアンナにリュミエールの話をされると悲しまれるだろう。アンナはピサンリ村でリュミエールととても仲が良かった。懐かれていたシルヴァは、不思議と彼女に悲しい思いをされるのを嫌だと感じた。

 無邪気に自分を慕う子供に絆されてしまったのか。案外、自分もちょろいなと自嘲しながらも、悪い気分じゃなかった。

 音が静かになった。ヴェルレエヌが吹き飛んだ場所まで飛ぼうと足裏に跳躍の魔法を展開した。

 時だった――


 

「戦い中に考え事をするなんてあなたらしくない」

「!!」


 

 背後にヴェルレエヌがいた。声をかけられて気付いた。瞬時に跳ぼうとするも背後から回った腕がシルヴァの腹と胸を締めた。


 

「っ……」



 巨大な蛇に全身を絞められるように、強力な締め付けに遭う。圧迫感と苦しさにシルヴァの美しい顔が歪む。瞳を見上げれば、頭から血を流し更に口端からにも血を流すヴェルレエヌの凄絶な微笑があった。


 

「ああシルヴァ……っ! 我が愛しの魔王! やっとあなたを僕の物にできる……!」

「ふざ、けるなっ! 誰がお前のっ」

「いいや、あなたは僕の物になる。準備は千年前既に済ませている。……あとは――」

「っ!!」


 

 準備済みだというヴェルレエヌの言葉の意味を思考する間はシルヴァに存在しなかった。締め付ける力が更に増した。体内の臓器が、骨が、筋肉が悲鳴を上げる。苦しげに顔を歪ませながらも魔法を使おうと魔力を集中させるも、余計増した力で集中が不可能となる。骨を折られていないのが奇跡の締め付け。

 多分な憎悪と殺意を籠めた瞳だけは絶対に逸らしてなるものかと、シルヴァはヴェルレエヌの金色の瞳から決して逸らさない。彼の興奮材料にしかならないと頭では分かっていても、魔王としての意地がある。血が多量に流れているせいで分かり難いがヴェルレエヌの頬は赤みを帯びている。興奮しているのだ。


 

「もういいかな」

 

 

 状況にそぐわない呑気な声色がリュミエールを彷彿とさせる。シルヴァの苛立ちが最高潮に達しかけた時、ヴェルレエヌが顔を下げた。顔を噛みちぎるかと睨みを強くする。

 が……全く予想外のことをされた。

 

 ヴェルレエヌは自身の唇をシルヴァの唇に押し付けた。瞠目し、硬直するシルヴァ。微かに開いていたシルヴァの口内に何かが流れ込まれた。

 トロトロとした濃い神力だ。

 

 途端、シルヴァは絶叫した。ヴェルレエヌの締め付け等赤子に叩かれたも同然になる程の――痛覚を最大にされた超絶な痛みが襲った。

 体内にある何かが暴れる。

 体内で起きる争いは激化し、シルヴァの痛みは増すばかり。

 締め付ける力を弱めたヴェルレエヌは、何度も愛していると求愛しておきながら、痛みに絶叫するシルヴァを愛おしげに見下ろす。

 

 

 

 

 

 ――どれくらいの時間が経ったか。


 

「はあ……っ……は……、う……あ……はあ……はあ……」

「ふふ、ごめんね、苦しかったよね。でももう痛みは来ないよ。だがこれであなたは僕の物になった」


 

 根刮ぎ体力を持っていかれ、腹立たしいことに自分を抱きしめるヴェルレエヌの腕がないと簡単に倒れている。ヴェルレエヌに凭れるシルヴァは多量の汗を顔に浮かばせながらも、敵意を消さない。


 

「はあ……はあ……、……何をした?」

「あなたは知ってる? 僕の特殊能力は魔族にも使えることを」


 

 エリュテイアの言った“悪魔喰らい”のことだろう。


 

「天使や神族同様に魔族にも僕は力を与えられる。そして、束縛して精神異常を起こさせ自害させることも。千年前、僕はあなたに絶対勝てないことを悟っていた。僕が何十、何百の種族を取り込もうとあなたには勝てない」

「……は、あ……はぁ……」

「そして考えた。あなたの側にいながら、あなたを僕の物にする方法を。辿り着いた考えが2つ。

 1つは、強力な神力を持つ器の完成。これは達成された。僕がいるのが証拠。

 2つ目、これは賭けだった」


 

 苦しげに呼吸を繰り返すシルヴァを一旦地面に寝かせ、上体を起こし自分に凭れさせた。


 

「あなたが僕の力を喰らうこと」

「!」

「正直、こればかりは僕も賭けだったよ。あなたが僕の神力を取り込んでくれないと僕の物に出来ないから」


 

 命尽きる直前、愛するシルヴァの糧となりたいと強く願った彼の言葉を受け入れ、喰らった。そして、神力を取り込んだシルヴァは銀色の魔力を手に入れた。


 

「あなたが取り込んだ僕の魔力でゆっくりと、とてもゆっくりと隷属魔法をかけた。魔法が発動する条件は、僕の力をあなたに注ぐこと」


 

 あの口付け、そして注がれた魔力の意味は、千年前シルヴァの体内にかけた魔法を発動させる為の鍵。途方もない時間を使ってまで自分を手に入れようと執着するヴェルレエヌに戦慄した。悪意がない純粋な狂気、いや、狂気すら超越した得体の知れない感情ばけもの。この男は本当に神族なのかと一瞬疑ってしまう。神王直系にしか現れない金色の瞳が彼を神族だと裏付ける確実な証拠。


 

「実はちょっと怖かったんだ。あなたが感傷に浸らなかったら、僕は千年前と同じであなたに殺されていた。成功して良かったよ」

「……で? 妾を隷属させて何をさせる?」

「何も? 本当は、僕を隷属してほしいくらいだけど、してくれないでしょう? なら、逆に隷属させればシルヴァは僕から離れられないでしょう? どう、僕の考えた素敵な計画は」

「……反吐が出る」


 

 また、自分自身にも。

 戦い中、余所に意識を向けるのはご法度というのにしてしまった。隙を突かれ、負けたのはシルヴァ。力を上へいく力で捩じ伏せるのを得意とするシルヴァは、些か作戦というものに弱い。踏み潰す力を加えれば簡単に潰れるなら考えるだけで無駄だと警戒したことがなかった。今回、こんな形で仇となってしまった。

 シルヴァは痛みが消え、代わりに力が入らなくなった身体を抱き上げ、魔王城へ歩き始めたヴェルレエヌに問うた。


 

「何故そうまでして妾に拘った」


 

 孤独に生き、力を追い求めるシルヴァが美しいとヴェルレエヌは語った。それだけで千年という途方もない年月をかけても執着するだろうか。


 

「シルヴァが初めてだったのさ。僕を1人の存在として見てくれたのが」

「……」

「僕は、生まれた頃から母はおらず、父は僕の力を恐れ近付かず、腹違いの兄からは嫌われ、周囲からも腫れ物のように扱われた。誰でもいいから、僕という存在を見てほしかった。

 そんな時だ。魔王城へ踏み込んだ僕を、真っ直ぐに見つめ、1人の相手として見てくれた美しい魔王。あなたに心底心奪われた。どうしてもあなたの側にいたくなった。僕の物にしたくなったのは……所詮、神族も欲望に強い魔族と同じなのさ」


 

 シルヴァに生まれた頃の記憶はほぼない。気付いたら生きていた。沢山の敵と戦っていた。魔王の座に就いた。更に敵と戦った。

 ヴェルレエヌは、生まれから既に間違っていた。生まれてはいけない忌子。生まれたからには生きないとならない。

 誰かに認めてほしい、誰かといたい。

 承認欲求と寂しさを埋めるものをずっと探し、見つけたのがシルヴァだったのだ。

 無言のまま、ヴェルレエヌの話を聞いていると不意に見られた。子供のような、途方に暮れた情けない顔。

 リュミエールと重なった。


 

「……」

 

 

 ヴェルレエヌの中にリュミエールはいない。

 でも、面影はある。

 同じ身体だから。と思いながらも、気力を振り絞って腕を上げた。

 手を伸ばした先は、煤や血に濡れて汚れた金色の髪。サラサラとした、痛みのない髪は……やはり、リュミエールの物。


 

「シルヴァ……?」

 

 

 歩きながら見下ろす、不思議そうなリュミエールの顔。

 リュミエールはいない。

 ヴェルレエヌがそう言うだけで本当はいるのではないかと抱く。

 瞳を丸くして問う声色はリュミエールと同じ。


 シルヴァはこう考えてしまう。

 リュミエールは消えたのではなく、自分の意思でヴェルレエヌと1つになったのでは、と。

 腕を下ろし、瞳を閉じた。



 

 何故リュミエールが?

 ――そうしたら、妾に会えると思ったのだろう

 

 ヴェルレエヌの思惑とリュミエールの願いが1つになったからこそ、シルヴァは負けてしまったのだろう。

 リュミエールを感じてしまうから、感傷に浸ってしまう。

 

 シルヴァはこれからのことを思う。

 お互い不老の種族。

 どちらかが殺されでもしないと死なない。また、シルヴァが自らの意思で死ぬのは叶わない。隷属させられた者は主の意思なしで自害出来ない。

 これから先、神族が攻め入るかは不明だ。もしかすると、魔王に寝返ったとヴェルレエヌを殺しにアイテールが来るかもしれない。

 それなら、発散する行き場のない怒りと腹立たしさはアイテールに受け止めてもらおう。

 

 ヴェルレエヌに抱かれがなら、既に諦めの気持ちが強いシルヴァは魔王城に戻るまで瞼を閉じていたのだった。

 

 

 

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勇者の片想いを甘く見ていた結果について @natsume634

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