狐と狸の妖怪に、何か用かい?

とほかみエミタメ

第1話

 時は1980年代なかば……今より30数年前、日本がバブル景気で浮かれまくっていた頃の話です。


 僕の住むここ高知県でも、その恩恵を十分に受けており、当時小学生だった僕でさえ、何となく世間全体が明るいのを感じ取っていました。それゆえに、様々な物事に対しても、皆が皆、かなり寛容的であった時代です。


 さて、時を同じくして、毎週夕方に放送していたぼう妖怪アニメの人気爆発により、子供達の間では空前の妖怪ブームが到来していました。


 例に漏れず、僕の通う小学校界隈でも、くだんの妖怪アニメは男女の別を問わずに人気を博していました。ただ、関連書籍やおもちゃを購入する程までにハマる比率で言えば、やはり圧倒的に男子の方が多かったのです。


 その上で、更に熱烈なファンともなりますと、前述の本や玩具は勿論のこと、筆記用具やハンカチ等の文房具や、果ては履物はきものや衣類や雨具に至るまでも、件の妖怪アニメのグッズで揃えてしまうレベルです。


 そして、何とそのようを、同じ学校つ同学年で、約二名の存在が確認出来たのです。


 おどろなかれ。その内の一人は僕自身であり、もう一人は保育園からの幼馴染みで、僕の大親友のAと言う人物なのでした。


 当然、そんな仲良なか小好こよしの僕達の一番の楽しみと言えば、僕の家かAの家のどちらか一方で、件の妖怪アニメのビデオ録画を観賞する事でした。


 また、件の妖怪アニメの劇中にて、登場キャラクター達がラーメンを食べる描写が多々ありましてね。そのさまが何とも食欲をそそるのなんのって。


 以上の理由から、何時いつしか僕とAも、インスタントの袋麺ふくろめんかカップめんを食べながら、件の妖怪アニメを視聴すると言ったスタイルが確立していったのです。


 かくのごとき平穏な日々を過ごし、あっという間に季節も進んで、師走しわすを迎えます。


 ここへ来て件の妖怪アニメも、若干の変化が御座いました。そう、基本は一話完結型の放送形式なのに対し、次回予告によると、来週と再来週は珍しく前後編の二部作構成になるとの事でした。しかも、悪役として登場する妖怪が、たぬきの妖怪だったのです。


 12月と言えば大晦日おおみそかもありますし、近所のスーパーマーケットでも「赤いきつねうどんと緑のたぬき天そばを、是非ぜひにも年越しそば用に」と、前面に押し出しておりました。何なら販売促進はんばいそくしんディスプレイを設置しての大プッシュっぷりです。


 その事をふと思い出しまして、僕はAに「来週からの妖怪アニメを観る際には、狸の妖怪回なので、緑のたぬき天そばを食べようよ」と、提案します。


 この時点ではAも、別段べつだん不服ふふくは申しませぬもので、僕とAは早速スーパーへとおもむき、赤いきつねと緑のたぬきの専用売り場前にやって来ます。いざや、二週放送分の緑のたぬきを確保です。


 しかし、僕が緑のたぬきに手を伸ばした瞬間に、土壇場どたんばでAのやつめが「いや、やっぱりちょっと待ってほしい」と、僕の腕をつかんで制止したのです。あまつさえAは「ここは赤いきつねの方にしよう」と、反対の姿勢を示すのです。


 僕は「何故なぜに赤いきつねの方を推すのだ」と、その根拠をAに聞けば「同年の夏に公開された件の妖怪アニメの劇場版がその理合りあいだ。あの作品でのラスボスはきつねの妖怪だったではないか」とAはのたまいます。


 いや、確かに僕もあの映画にはいたく感動し、超絶ちょうぜつ面白かったのですが、来週、いては再来週の最新回では狐の妖怪ではなく、狸の妖怪がメインな訳です。そこに合わせる麺類めんるいとしては、どう考えても緑のたぬきが最適であろうと、僕は主張します。


 そうしますと、Aはより一層食い下がり、件の妖怪アニメの別の回に登場した、他の狐の妖怪の話を引き合いに出し、狐の妖怪の方がどれだけ素晴らしいかを熱く語り始めたのです。


 こうなって来ますと、僕の方も意地になりまして、断固として緑のたぬきを譲りたくありませんし、Aの方とて、最早もはや赤いきつね以外の選択肢は一切ないと言った、深刻な事態に陥ります。


 議論は平行線の様相をていし、らちきません。


 所が、この膠着状態こうちゃくじょうたいを破ったのはAの方でした。


 なんてこったい。Aはいきなり僕の頬を軽くはたいたのです。全然痛くはなかったけれど、まさかの暴力行使です。


 ……ほう、此奴こやつめ。この僕とですか、そうですか。先に手を出したのはAの方だからね。目に物見せてくれよう。後悔するなよ。


 ……とまあ、色々いろいろな事を脳内で思い浮かべるのは自由ですよね。


 実際の僕は特に反撃する事もなく、先程のAのは極小ダメージにもかかわらず、たちまちのうちに、めそめそと泣き出してしまう始末です。


 ええ、僕が弱っち過ぎる所為せいで、喧嘩けんかにもならなかったってな話ですよ。


 僕自身、この時の雑魚ざこさ加減を痛感し、のちに少林寺拳法の門をたたく訳ですが、それはまた別のお話。


「こらこら、何してんねんきみら。ケンカはアカンて」


 そんな台詞せりふともに、何者かが僕とAの間に割って入ったのです。そこで其奴そやつの顔を確認して、僕とAは同時に「あっ! 赤いきつねと緑のたぬきのCMの人!」と、驚きの声を発します。


 何とそこに姿を見せたのは、言わずと知れた、赤いきつねと緑のたぬきのCMイメージキャラクターである、Mr.Tだったのです。


 Mr.Tと言えば、坂本龍馬さかもとりょうまフリークとしてあまりにも有名でしたし、その坂本龍馬と言えば、ここ高知県が出生地しゅっしょうちであります。


 そう考えれば、Mr.Tがおしのびで来高らいこうしていても何らおかしくはないのですが、よもや本人と邂逅かいこうするとは思ってもみない事ですし、僕もAも動揺を隠せないでいました。


 しかし、Mr.Tがぐにこれを否定いたします。


「なはは、な、よう言われんねんそれ。めっさMr.Tにそっくりやんけってな。せやけど、って、おっちゃんより大分だいぶ年下で、出身も関西圏かんさいけんちゃうしな。まあ、この世には自分に瓜二うりふたつの人間が3人はるらしいし、こう言う事もあるやろうで。知らんけど」


 ふむ、ほどです。おじさんによる関西弁の勢い&ノリの合わせ技により、何だか僕もAも無理くり納得させられてしまうのです。


 であるからして、飽くまでこのおじさんはMr.T似の一般人である事を、ここで強調しておかねばなりません。大事な事なのでもう一度言いますね。おじさんはMr.T似の別人です。


「そないな事よりな、おっちゃんは単なる通りすがりの旅行者やけど、ちびっ子の悶着もんちゃくを見過ごす事とかでけへんねや。何でいさかいになったん?」


 おじさんのその問いに対し、泣いてばかりの僕では土台どだいお話になりませぬ。ですので、いたりて冷静なAが事の経緯を説明する事となります。


 とは言え、件の妖怪アニメの話をした所で、恐らくおじさんを混乱させるだけだと判断したAは「赤いきつねか緑のたぬき、どっちにするかでめています」と、シンプルに告げたのでした。


 それを受け、おじさんは即答します。


「それ分かるわ~。おっちゃんもな、うどんもそばもめっちゃ好きやねん。せやさかい、よう悩むねや」


 僕とAは、おじさんの話に、黙って耳を傾けます。


「それよか、ここのスーパーの店員さんて、ホンマべっぴんさんぞろいやね。近所やったら、おっちゃん毎日この店に通うてるわ~」


 いや、今はそれ全然関係ないし、知らんがな。


「そやから、おっちゃんな、迷うた時は、うどんもそばも2つとも頼むねん。ただしやね、おっちゃんはもう大人やし、せの大食おおぐいやから平気なだけで、食べ過ぎには要注意やで。健康には腹八分目はらはちぶんめが最善らしいしの」


 おじさんのこの意見に、僕もAも、はっと気付かされるのです。


「まあ、こないな、しょうもない事で、いがみ合いとかアホらしいし、友達とは仲良なかようせなアカンて。親友は一生の宝物やって言うし、ガチで大切にせんと。ほな、おっちゃんは時間やさかい、もう行くわな」


 そう言い終えると、おじさんはその場から足早に立ち去ろうとします。ですが、幾許いくばくか歩を進めた地点で、僕とAが居る方向にくるりと振り返りつつ「それか、なかを取ってスパゲッティにしてもええんやで!」と、満面の笑みで親指を立てるジェスチャーです。


 流石さすがはお笑いの本場である関西です。しっかりボケてオチも忘れません。


 そんな感じで、おじさんのとどこおりなく終了した直後、Aの方から「殴ってご免ね!」の一言を頂戴ちょうだいいたします。続けて、既に泣き止んでいた僕の方も「こっちこそ、華麗に回避できない未熟者でまぬ!」との返しに、かさずAの「我等われらも、まだまだ修行が足りぬようじゃのう!」が炸裂さくれつします。二人して大爆笑です。


 そうですね。素直に謝罪する事も容易たやすかった幼き時です。速攻そっこうで仲直りができた、僕とAなのでした。


 その、僕とAは「うどんもそばも2つとも頼む」と発言したおじさんの言葉からヒントを得て、赤いきつねと緑のたぬきを、各々が一ケずつお買い上げです。


 その心は、結局、件の妖怪アニメの前編放送回には赤いきつねを食し、翌週の後編放送回では緑のたぬきを食すと言う形で落ち着き、ほん事変じへんは平和的に幕を下ろしたのです。


 ちなみに、あの日以来、二度とおじさんに会う事はありませんでした。


 もしかしたら、例のおじさんは狐か狸の妖怪で、僕とAの仲裁ちゅうさいのために、態々わざわざ化けて現れたのではないか? ……と、こんな風な馬鹿げた妄想で、いまだに盛り上がってくれる話し相手は、やっぱしAだけだったりします。


 だからこそ余計に、のおじさんには「僕とAは今以いまもって仲良くしていますよ」って事は伝えたいなと、不意ふいに思う時があるのです。


 そのわけは、あれからも僕とAの良好な関係はずっと続き、やがてお互いが異性として意識するようになりまして、これまで「大親友」であったAの称号も、今や「最愛の妻」へと転じたものですから。


 くして、あの頃より随分と月日がちましたが、での年越しそばと言えば、今でも必ず、赤いきつねと緑のたぬきの両方を用意しているのです。

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