File:2-8_緊急任務=Unreasonable decision-making/

「いえ、こちらは差し支えございませんが、取り込み中でしたか」

「ちょうど終わったところだよ。いいタイミングで来てくれた」

「それで、話とは――」


 なんだこの圧力は。

 いや、圧力というより重力に近い。重力値が数十mGalミリガル上がったような重圧感。万有引力定数が吊り合いをとれずに揺らいだように、空間が重たく感じる。


 足音の大きさ、単振動と踏み込みから体重は重たい。およそ百を超えているから肥満系――否、足取りは軽いので相当な筋肉質。機能性香料に混じっている二-ノネナールとジアセチルはやや強く、通行人を平均化・比較し五十代。声質は太め、だが滑らかで発声もいい、喉と周囲の筋肉、言語や含む前頭葉が発達、年齢は五十二~五十四に特定。声が聞こえた位置より身長は一九〇から二〇〇ほど。

 こちらの存在は認知しているも、CEOを優先したのか男は素通りしていく。まず思わせたのは典型的な軍人の、それも高位な階級の者の人物像。背筋が張ったまま、動けずにいた。

 そのとき、ドンと背中を叩かれる。インコードだ。


「しっかりしろ」と一言。気を取り戻したとき、フィニジャンクという人物は総統括の前に複数の非質量画面ホロウィンドウパネルをみせていた。その後ろ姿はシャープなスーツ越しでさえ筋肉質であると物語らせる。


「あの人は……」

「第八部門セクターの最高責任者を務めるフィニジャンク統括。つまるとこ、俺のいる治安維持部門の最高司令官トップだ」

 軍で例えるなら元帥か総帥に相当する人物だという。役職は総統括が上だが、漂うオーラを見るに、その何倍も威厳を感じさせる。今すぐにでもここを立ち去りたい。

 その思いを汲んだのか否か、「じゃ、失礼しまーす」とインコードが私の手をつかんでその場を後にしようとしたとき。


「待て」

 凍てつくような声。対象が私でもないのに、吹雪に直撃したかのように全身から鳥肌が立つ。筋肉が硬直していて、表情筋すら動かない。


「え、なんですか統括」

 インコードは毅然たる態度で強面軍人に返事する。その統括はアルベルクに何か一言を告げて会釈するなり振り返り、こちらへと来る。そこで初めて、フィニジャンクという男の顔を見ることができた。

 スポーツ刈りの金髪と鋭いイメージを沸き立たせる細い縁のブロンズの眼鏡。表情は強面そのもの、まるで厳ついマネキンがそこに立ってるかのよう。普通の目と変わりないが右目が義眼だと私には判別できた。

 私たちの前に立つと、目だけが動き、口を最低限の大きさまで開ける。


「話は聞いた。そいつを加入させるそうだな」

 心臓がレイピアで貫かれた錯覚を抱く。冷や汗が止まらない。いやな鼓動。肺循環で気体交換されないまま二酸化炭素濃度が濃い血液で全身を巡るような気持ちの悪さ。空の胃の中から何かが込み上がってくるような。


 今までにない恐怖を覚え、脚が震えだす。

 そんな私のことを気にもとどめず、インコードは買ってもらったおもちゃを親戚のおじさんに自慢するように私を紹介した。


「そうなんですよ。今日から所属することになった鳴園奏宴です。今さっき社長の最終面接やって合格もらったんですよ」

 表情はピクリとも動かない。なんだこの超合金生命体は。今どきのアンドロイドだってこんな顔はしない。

 殺気に似た視線を再び感じる。


「……そうか」

 私からもなにか挨拶しなければと思うが、思考が回らない。外見以上に中身がとんでもないパニックを受けている。

「これから"適合試験"を受けさせるところでして――」

 と言ったとき、フィニジャンク統括は私の方へと顔と視線を向けた。


 まるで巨人のような鋼の体躯を前に、極度の緊張と共に戸惑うばかり。

 目の奥を白眼視で見続ける。見下されている気分だったが、それよりも殺されるのではないかと錯覚し、鼓動が早まる。今すぐにでも逃げたい一心だった。視線から逸らしたいが、逸らした瞬間、心臓が停止するかもしれない。

 筋肉のATPが枯渇し、アクチンとミオシンが結合してアクトミオシンが生成される。人を見て死後硬直になりかける体験は今後一切ないと願いたい。

 長い数秒が過ぎた後、くるりと踵を返して口だけを動かした。


「総統括。B30025の件で提案がありますが、処理執行権を特策課第三隊に委譲してもよろしいでしょうか。彼女同伴も兼ねて」

「……え?」

 そう声を出したのは他でもない、インコードだった。


「統括! 流石にそれは……っ」

「理由を聞いてもいいかい」

 優しく諭すように、アルベルクは問いかける。フィニジャンクの返答はすぐだった。


「適合試験を行っても不良D判定になると見たためです」

「その根拠は三点」と続ける。「まず、彼女は"臨死領域"の閾値に達していないこと。カルマを得ている者たちは一部の異常れいがいを除き、皆その段階を経ております」


 死の経験が手術の成功につながるだと? 意味がわからない。おそらく死線を物理的な意味で乗り越えているか否かということだろう。

 心理と身体は大きく関わっている。死に隣接した恐怖の体験――扁桃核にとてつもなく強烈な刺激を与えることが適合試験のリスクを低減させるのかと私は硬直状態から少し緩むことができた脳で考え出した。それか長期増強LTPの増加も因子に入っているか。だとしたらそういう物質を添加すればいいだけのことではないか。


「ふたつめに、インコードの報告が真であれば、彼女のような先天性の特異遺伝子を有し、発現しているケース――"遺伝児ジェネティアクター"の存在は非常に稀だといえ、故にそれに対応していない"手術BHO"はリスクがあるといえます。臨死領域にも達していないのなら猶更です。事実、過剰反応ともいえる副作用を起こした例は過去にいくつか報告され、ここ百年で換算すれば"遺伝児ジェネティアクター"の累計手術成功率は二十八%です。

 そして三つ目、当イルトリックから発生する毒性物質から、BHOの副作用を緩和する物質"四酸化バファニウム"をはじめとする"キレトロイド成分"が検出されたと調査課と研究課の報告より判明しています。ただし、回収してもこちら側に持ち込めば崩壊するそうですが、要はイルトリック性の猛毒でなく、免疫作用を見込める種類と濃度の毒性がそこにあると言えるでしょう。当然、それの影響下に生身で入れば相応のリスクを負うでしょうが……利用すれば、今回の遺伝児に対するBHOの成功率の向上が期待され、さらなる戦力になると見たためです」


「もしそれに失敗したらどうするつもりだい」

「そのための第三隊です。収容対象として彼女を確保させるよう指示を出します。最悪は、私が責任を取りましょう」

「当然だね。二次被害は人に認知されやすい。それがどういうことかわかっての発言かい」

「無論です」


 何を勝手に話を進めてるんだこいつら。

 要は今のままじゃ使えないから現場投入して無理やり実力つけさせるということ。それで失敗して私が汚染やらで暴走しても構わないって、もはや実験体モルモットと変わらないじゃないか。


「統括、いくらなんでも突然すぎますよ」とインコードは抗議する。「それに、彼女は既に一度、イルトリックの被害に遭って汚染されています。このまま行かせるとどうなるかはわかるはずでしょう!」

「だったらそのまま失敗が目に見えている手術をしてE職員にするのか?」

「失敗する保証もないでしょう。それに三つ目の理由ですが、そんな虫のいい話が本当にあるんですか」

「"第一隊"に担当を任せようとした案件だといえば十分か?」

「……っ」

 インコードの言葉が止まる。目の色が変わったとでもいうべきか。


「こちらも目を疑った。そのようなときに鳴園奏宴という虫のいいサンプルそんざいが我々の前に現れたのだからな。偶然にしてはよくできた話だ」

 あちらの都合で何やらいろいろと話が進んでいるが、そんなのはどうでもよかった。行き当たりばったりだわこちらを人として見ていないわで、どうなっている。これなら普通に就職した方が何倍も――。


「何もせずして失敗するか、リスクを取って成功率を上げるか。その好機が与えられただけでも幸運だと思うが?」

「……え」

 まるで中身を見透かされたように、フィニジャンクは私に話しかけていた。


「自分だけがモルモットだと思っているようだな。その目を見ればわかる。なんにしろ、ここを人権が保障される地上しゃかいだと思わないほうがいい」

 フィニジャンクは冷たく言い放った。だが、その表情はひとつも変わっていない。それに倣うように、私の肉体も硬直し、声が出てこない。

 そんな私を見飽きたかのように、視線はアルベルクへと向けられる。


「総統括。いかがでしょうか」

 数秒の間。意思決定を終えたのか、代表は瞳を開ける。

「……承知した。許可しよう」

「っ、アルベルク社長!」とインコードの抗議は届かない。

「インコード。B30025の処理執行権を第三隊に移譲する。急で悪いが、直ちに彼女を連れて、隊を出動させなさい」

 歯を食いしばるも、それが無駄だと受け入れたのか、

「……わかりました」

 インコードは意を決し、誓うかのように静かにそう言った。


「すぐにそちらの"ルーム"に件のデータと出動要請を手配する」

「……」

 果たして黙り込んだインコードとは別に、フィニジャンクはアルベルクに一礼する。

「総統括、感謝いたします。では、私はこれで」

 そのまま退室してしまった。重力値が数十mGalミリガル下がり、重圧感が無くなるも、静寂が重たい。胸騒ぎは増すばかりだ。

 気が合わないと思っていたが、このときだけはインコードと同じ気持ちかもしれない。やはりここの秘密結社は陰謀論の如くろくでもなかったようだ。


「俺も直ちに出動します」

「ああ。君なら大丈夫だ。いい報告を待ってるよ」

「ありがとうございます」

 インコードがそう言い、踵を返した時だった。


「そうだ、鳴園さん」

「……はい?」

 突然呼ばれたことに驚きつつも、向けた顔は大層なものだっただろう。

 鋭い目を向けたにもかかわらず、総統括はふっと笑い、しかしその眼は真剣だった。


「君なら解っていると思うが、その生まれ持った力と無知ゆえ・・・・の優しさが我々にとって大きな恩恵をもたらすのは間違いない。それと同時、災いを招くことも十分にあり得る。誰を信じるか見極めて、自分を見失わないようにね」

「はぁ」

「あぁすまない、年寄りの・・・・小言だったね。ではさっそくの任務に出てもらって悪いが……健闘を祈るよ」

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