からくり忍法こい十手

ぜろ

こいなどしらぬ。

 奥女中としてさるお家の江戸屋敷の奥向きに通された時、老女との面接は色々と厳しいものがあった。足の痺れとか。

「そなた伊賀者か」

 身上書をぽんと膝に置いて、老女は私に尋ねる。一番痛い所を突かれた私は、はい、と答えるよりほかがない。身上書と違うことがあれば雇われることもないからだ。伊賀――甲賀と並ぶ、忍びの里。しかも私はそれだけではない。

「伊賀者の母と、甲賀者の父の娘にございます。薬の調合も少々できれば、身辺稽古の習い事なども」

「そこまでは聞いておらぬ」

「申し訳ございません」

「しかしそうか、伊賀と甲賀の――」

 くっと老女の皴の寄り始めた顔に笑みが浮かぶ。

「こちらへ来なさい、玻璃はりとやら」

「はい」

 とやら、が付くとは、やはりまだ信用はされていないのだろう。痺れた足を引きずって隣の間に向くと、下げられた御簾があった。薄暗い部屋だし、まさか姫の物ではあるまい。きょとん、としてしまうと老女はするすると御簾を上げた。

 そこにあったのは十手だった。

 しかも風変わりで、四方鉤――棒心に対して四方に鍵が付いている、とても女だらけの奥向きには向かないものだった。

「こい十手、と仰います」

 十手に敬語を使うのはなぜだろう。思いながら私は老女と一緒にまた座り込み、習うように頭を下げる。

「奥向きの警護のためにおいてあるものです。私以外は姫しか存在も知りません。そなたを唯一と認めることがあれば、十手様の方からそなたを選ぶでしょう。それまではくれぐれも内密に願いますよ、玻璃」

「はあ――」

「気の抜けた返事をするものではない。こい十手様の御前であるぞ」

「は、はい」

「よろしい」

 にっこり笑った老女は、御簾を下す。

 一瞬そこに影が見えた気がしたが、すぐに見えなくなってしまった。人影のような――剛毅に足を開いて座っている、だが女のような影。きょとんとすれば、老女は笑みを深くする。

「伊賀と甲賀。相対する者同士の間に生まれたお前が、十手様は気に入ったようじゃ」

「は、はい。勿体なきお言葉にございます」

「では奥向きでの作法を教えるよし、付いて参れ」

「はい、萩様」

 どうやら面通しは、無事に済んだらしい。

 懐の剣を撫でながら私は、ほうっと息を吐いてもう一度御簾の向こうに目を凝らした。

 何も見えなかった。


 女中の仕事は伊賀屋敷でやっていたのと大して変わらない。ちょっと迷子になりかけはするけれど、その時は自然に誰かが袖を引っ張って導いてくれた。おかげで覚えの良い新女中として姫様にも可愛がられ、ちょっとした嫌がらせも受けはしたが、甲賀者と蔑まれていた頃に比べたら屁のようなものだった。伊賀からも甲賀からも放逐された身となれば、奥向きは自由すぎるぐらい自由だった。足踏みして洗濯するのも冬だと言うのにたいして苦にはならず、次々持ち込まれる側室様や正室様の寝間着を喜んで踏んでいたら、最初は冷たかった人々も大分頬を緩めてくれるようになって。時折はお湯を足してくれるようになって、それはそれで嬉しいことだった。友達も数人出来て、台所でぺちゃくちゃしていると萩様に怒られてみたりもして。十五で里をほっぽり出された私には、見るものすべてが珍しい。どこかの城で奥向きに仕えなさい、と助言してくれた母の妹様には感謝してもし足りない。確かに腕力のいる仕事ばかりだし、私にはうってつけだ。布団の上げ下げからカボチャを叩き割ることまで、私には本当、うってつけ。

 でも叔母さまはどうしてそんなことを知っていたのだろう。出仕していたことでもあるのかな、忍びとして。叔母さまは本当に器量のよろしい方で、殿様の側室にだってなれただろう。だけどそれを良しとしなかったのは――やっぱり私を押し付けられた手前、かな。叔母さまの人生の浅い所を、私は滅茶苦茶にする存在だったのだろう。と思うと罪悪感がある。母方の両親は私を拒絶した。父方なんて何年も行っていないから、下手をすれば間者と間違えられてばっさりだっただろう。流行り病でぽっくりと逝ってしまった父と、その穴を埋めるために働き続けて小さな長屋で亡くなった母。八つの頃だ。その私を唯一庇ってくれた叔母さま。たまに文を書いて送るけれど、届いているのかも読まれているのかも分からない。

 心地如何か、なんて平安の世の貴族みたいなことは出来ないし、返事を強要しているようで何とも言えない。大体私はこの奥向きから出られないのだ。表使いに頼んで文を外の殿方に手紙を託すのが精々で、それもしょっちゅうともなれば痛くもない腹を探られるだけ。幸いにもまだそんな目を付けられてはいないけれど、火のないところに煙は立たないの論理でいけば、私はちょっとばかり火を噴いているのかもしれない。存在自体がそうなのだ。どちらからも祝われることなくどちらからも追われて。そんな私が今こんな暮らしをできているのは、ひとえに叔母さまのお陰である。

「玻璃、玻璃」

「はい、何でしょう姫様」

「無精じゃ、双六に付きおうてはくれぬか」

「はい、勿論。では道具を用意いたしますね」

「ああ、頼む」

 遊びに見えるけれどこれだって立派な仕事だ。姫様の無聊を慰めるのも立派な女中の務め。とは言え熱が入りすぎると萩様に怒られるのだけれど。

「萩! 萩はおらぬか!」

「はい、ここに、姫様」

「萩も双六に付き合わんか? 二人では寂しいのでな」

「はいはい、姫様は昔から天真爛漫でいらっしゃいますから、この萩ではお相手になれるのもあと幾月か……」

「寂しいことを言うでない。玻璃、準備は?」

「整うてございます。ではどなたからか、賽を振りましょう」

 そう。

 そして、賽は投げられた。


 奉公も半年が経つと気づくこともあるものだ。例えば殿様の出入りがない事。これは噂だが、どうやら市井の遊女と一杯引っ掛けて病を貰ったらしい。だから男ってのはねえ、と言うのは先輩女中の柊だ。奥向き勤めなどしていては男など出来ようはずもなく、その腹いせのように男は男はと嘆いているのか羨ましがっているのか分からないことを言う。

「玻璃ちゃんも可愛い年頃の女の子なんだから、気を付けなきゃいけないよ。最近殿のお渡りが少ないからって入り込もうとする男が増えて来てるって言うからねえ」

「奥向きと中奥を繋ぐ通路は一つっきりじゃあないですか。無茶は出来ませんよ、あの杉の戸の固いことったら」

 中奥は大名の生活空間だ。表で仕事をし、中奥でくつろぎ、奥向きで世継ぎを仕込む。中奥から奥向きに至るには頑丈な杉戸があり、刻限になるときっちり閉められてしまうのだ。男が黙って入るには無理がある。まさか忍びじゃあるまいし。私でも渡れないのだから。いや試してことなんてごにょごにょ。暮れ六つ時の施錠時間ならと思っていたが、それには老女の萩様がしっかり見張っているから、あらよっと、とばかりに外に出るのは難しい。大体そんなところをうろうろしているのが知れたらお叱りものだ。くわばら、くわばら。

「だから中に居るんじゃないかって萩様がピリピリなさってるのよ」

「居るって……何が?」

「引き込み役」

 普通は泥棒の通路確保に鍵を開けておいたりする獅子身中の虫を指す。だがこの奥向きでそんな度胸のある人はいない。姫様の次の間には萩様が控えているし、他所も長刀を持った女中たちが一晩眠らずに警戒しているのだ。側室様だって似たようなものである。男が入って来たとて、遊べるのは女中ばかり――まさか。

「女中を食い荒らしてるって言うの、そいつ」

「かもしれない、って噂だよう。誑しこまれないように、一緒に気を付けようね、玻璃ちゃん」

「う、うん、柊様」

「様は良いったら。どうせあたしもまだ一年目の奥女中だからねえ」

「そこ、口だけでなく手を動かしなさい」

「は、はいっ萩様!」

 慌てて私達は洗い物の仕事に戻る。

 それにしても、奥向きに忍び込もうとは太いやつだ。殿が患う前からか後からかは知らないけれど、とっ捕まえて首を――と、この考えは良くない。どうも国元での癖がまだ抜けないな、私も。国と言うか里と言うか。お国言葉は恥ずかしいと知ったのは江戸に入ってからだ。大店の娘さんの綺麗な言葉遣いったらなかった。何日か見学して大体の事を覚え、湯屋に行って髪を整え一張羅の着物。そして叔母さまが作って下すった身上書だけを持ってやって来た。字はひらがなしか読み書き出来ないから何て書いてあるのかは分からなかったけれど、伊賀者であることを書いてくけたのは、良し悪し分かれるなあ。なんて、私はお風呂を頂く。

 ふと窓を見ると、ぎらぎらした目が見えて思わず水を掛けてしまった。ぎゃ、っと聞こえた声はやっぱり野太い男の物。私は浴衣に着替えながら響く声で叫んだ。

「男です! 男が忍び込んでいます!」

 にわかにざわめく奥向きで、私が一番最初に向かったのは御正室の姫様の所だった。幸い私が入ると脇息に腕を掛けてうとうとしていたところだったらしく、間一髪というほどではないけれど、無事なのは良い事だった。

「玻璃? どうしたのじゃ、そのような格好で」

「え。あ、曲者が出たので真っ先に姫様の下に向かってしまい……」

「なんと。それで浴衣だけ引っ掛けた来たのか……愛い奴よのう、お前も」

 くすくす笑われて顔が赤くなる。ごほん、と咳払いが聞こえたのでそちらを見ると、萩様がじっと座っていた。やっばい帯もろくに締めてない。慌てて下がると、きゃあっと言う声が聞こえた。向かってみると、

 そこには男が一人、かんざしで喉を突かれて死んでいた。

 ぎょろりとした目は、私が見たのと同じだった。

 つまり――曲者は私に見付かったことで、口封じに殺されたのだ。

 へたり込む奥女中たちをかき分けて、男の首に刺さったかんざしを引き抜く。

 ご丁寧に毒ゼリのニオイがしていた。

 そして。

 そのかんざしは、私が伊賀を出る時分、叔母さまがくれた物とよく似た作りの一品だった。


 当然疑われたのは私の訳で、だが私は私のかんざしがあったので無罪とはいかずとも見張り付きになった。男の死体は杉戸から中奥に送られ、後日見聞を受けるそうだ。とは言え見る所などないだろう。かんざしで喉を一突き、以上。周到に毒ゼリを塗り込んであったが、それも効く前に死んでいる。犯人は奥向きの誰か。筆頭容疑者私。

 なんだってこんなことに。私は鏡箱を覗いてため息を吐く。叔母さまが少女の頃に使っていたと言うのだから大分古いだろうかんざしは、それでも刺さると痛い。厨房からは当然のように外され、また寝間着を踏む日々に戻ったが、今度は誰もお湯を足してくれることはない。真逆どころか負の出発点に戻ってしまったことは、大いに計算外だった。男も知らずにここで朽ちて行く覚悟をしてきたと言うのに、その男は私に不運しか持ってこない。父上だってぽっくり逝ってしまったのだから、男なんか信用のないものだ。頼りにならない。なるのは己だけ、と、私は懐の懐剣を手でなぞる。叔母さま曰く母の形見だが、勿論奥向きで持っていて良い物じゃない。いっそこれで自害でも、と思っても、人間そう簡単に決心なんて付かないものだ。死は恐ろしい。恐ろしいことは出来ない。はあっと息を吐いてかじかんだ足を履物に通し。私は寝間着を干していく。長めのものだから土が付かないようにしっかりと。するとくすくす笑う声が聞こえた。あえて聞こえないふりをして耳をそばだてると、奥女中仲間の嘲笑う声。

「恐ろしいったらないわねえ、かんざしで喉を一突き足せなんて」

「寝間着に針でも仕込まれたら大変よぉ」

「姫様たちの分は私達で着てからお袖をお通しになるんですって」

「まあ、こわあい」

「ほんと、こわあい」

 大丈夫、慣れてる、蔑まれることには。ふうっと息を吐いてたらいの水を捨てる。少し心を開きすぎていたなと言うことは反省すべき点だ。誰も信じちゃいけない。誰もが敵になる。だから誰も信じちゃいけない。叔母さまはそう言って私を育ててきた。恐らく私の出生がいつか足かせとなることを考えてくれていたのだろう。今は違うけれど、同じようなものだ。大丈夫、大丈夫。私は強い。萩様のような強さはないけれど、図太さならあるつもりだ。何がこわあいだ。喉でもどこでも懐剣で切り刻んでやろうか。なんて、空恐ろしいことを考える。そうできる力が私にはあるから、痛くないし怖くない。もっとも萩様の信用を失ったらそれまでだけど。今も葦簀の戸の向こうから見ていらっしゃるし。こわやこわや。女中百人より老女一人の視線の方がこんなに恐ろしいものだとは。

「玻璃ちゃん」

「柊様」

「様は良いったら。それよりほら、温石。足冷たいだろうからって、姫様が」

 幸いなのは姫様も私を疑っていないことだろう。手ぬぐいに包まれたそれを足にくっつけると、暖かいのが分かる。随分悴んでいたんだな。江戸の冬も中々に寒い。じんわりと柊が熱をもみ込むように足をさすってくれる。ありがたいなあ。友達一人でこんなにありがたいとは、まったく涙が出るほどだ。食事も一人別部屋にされたし、寝床も倉庫に近い空き部屋に移された。ある意味安全だけど、そんな安全がいつまでも続くはずもない。奥向きに忍び込んだ男は浪人者であったらしい。ただの浪人に奥向きをのさばらせられるほど、奥向きの警備は柔らかくもない。風呂焚きをしていた奥女中は気絶させられていた。顔を見る間もなかったという。玻璃、と呼ばれる声がして、はあい、と答えて私は柊に礼を言ってからぺたぺたと裸足で声のした方に向かって行く。

 こっちですよ、と案内されたのは杉戸だった。

 鍵を掛ける刻限になっていないから、まだそこはするりと開く。

 居たのはいかめしい顔の侍たちだった。

 あー……。

 面倒くさいことになって来た、と、私は息を吐いた。


「それでお主が姫の下に行ったとき、男は見ていなんだな?」

「浴衣だけ引っ掛けて姫様の下へ参りました。奥向きで一番にお守りすべきは姫様なので」

「然り。その心構えや良し。そして悲鳴に庭に出た所で、」

「男の死体を見ました」

「恐ろしくはなかったのか? 喉にかんざしを突っ込まれた死体など」

 見慣れてるなんて言えない。この人達は私が伊賀者だとは知らされていないようだ。萩様のお心遣いだろうか、まったく胸に沁みる。

「恐ろしさより驚きが増しました。奥向きに男など」

「それは、確かに」

「侵入経路は解っていらっしゃるので?」

「それをそなたに話すわけにはいかぬ」

 でしょーね、容疑者第一候補だもの。意外と出来ているもんだ、奉行所と言うものも。伊賀ならまっすぐ切り捨て御免だよ、疑わしきは罰せよの精神で。その中で生きていられた私の運の良さも、ここまでみたいだけど。あー追い出されたらどーしよっかなー。どっかの代官所か奉行所でそれこそ隠密にでもなるかあ? それぐらいしか出来ること無いしな、私。って言うかいい加減同じことばかり喋らされて喉も痛ければ足も痛い。せっかく温石で温めてもらったのに、もう冷たくなってるのが分かる。胡坐かきたい、胡坐。しかしそれでは奥女中の品位も何もあったもんじゃない。って言うか座布団ぐらい出してよ。板の間の六畳間で男四人に囲まれてると色々たまるのよ、こう、苛々としたものが。

「そろそろ暮れ六つか……また何かを聞くことがあるかもしれぬ故、その時は証言を頼むぞ」

「はい」

「うむ」

 ようやっと去って行った侍たちを見送り、私は取り敢えず足を崩した。でもゆっくりしてたら杉戸の鍵を掛けられてしまう。痺れた足を無理やり揉んで、立ち上がろうとするとやっぱりふらふらした。だけど根性で立ち上がり杉戸に戻る。この戸を開けたらまた針の筵かー。思うと少しばかり鬱々しいものがあるけれど、私の潔白は誰より私が知ってるし。

 と、杉戸を開けると、むっつりとした萩様が座り込んでいてぎょっとする。

 脚痺れないのかな、あれからずっとここに居たのなら。

「ご苦労でした、玻璃」

「あ、いえ、それほどの事は」

「そなたが姫様第一にしたことで不在証明が立ち、男を殺したのがそなたではないことがはっきりしたと、さきほどの侍衆が言っていましたよ」

「私には言わないのに萩様には言うんですね……」

「吐けと言ったのは私ですが」

「それは……」

 まあ萩様に詰め寄られたら男衆でも泣いちゃうだろう。この貫禄、若者にはない。

「これからは布団も食事もみなと揃ってするが良い。寝床も布団を戻しておきました。あなたは晴れて清廉潔白ですよ、玻璃」

「そうとも……言えません」

「ほう?」

「男がどうやって奥向きに入ったのか。どうして誰に殺されたのか。それが分からなければ、この玻璃、奉公に精を出せませぬ」

「まるで隠密ですね」

「まあ、身上書がアレですから」

「それもそうですね……少しの間、あなたを通常の仕事から外しましょう」

「へ?」

「間抜けな声を出すものではありませんよ、玻璃。そなたをこれから、奥向き隠密として扱います。有事の際はそれにて姫様をお護りなさい。私は少し、歳をとりすぎましたからね」

 とんとん、と肩を叩く萩様は、まだまだ若々しく見えた。実際だって四十ぐらいだろう。それでも駄目かもしれないって。

 一体この奥向きでは何が起こっているんだ。

 改めて疑問に思い、そして私はそのぐるぐる頭のままみなと同じ部屋で眠った。


『……やろうか』

『助けてやろうか』

『玻璃、お前を助けてやろうか』


 ……んあ?

 誰かの声がする。

 知っているような知らないような声がする。

 安堵するような声がする。

 私は眠りの深い深い所に落ちて行くのに、くくくっと笑うその女声だけはいつまでも頭に響いていた。


 日が昇りかけた朝の時間、布団をしまって私はそのまま草履をつっかけ庭に出る。確かこの辺りだったよな、と今更男が倒れていた場所から風呂焚きの方に向かうと、五尺ほどだった。その五尺の間に何があったのか、私は身の潔白の為に考えなければならない。とは言え血の跡も残っていないし、犬がいる訳でもないから後も付けられない。と、変な方向からの風に、私は垣根を見る。

 海鼠塀が、人一人通れるぐらいにぽっこりと穴をあけていた。

 何人か何度か使ったものがいるのだろう。あの男もその一人だし、それをかんざしで殺した女も同様だ。否、女と決め付けるのはまだ早いか? とりあえず後で萩様に連絡はしておこう。もう忍び込んでいる可能性だって高い、相手が暗器使いや忍びなら。隣の城の海鼠塀を見ながら、よくこんな細い場所を見つけたな。なんて思う。やっぱり女か?

 だとしたらしれっとした顔で奥女中にいるかもしれない。萩様に見聞してもらえば多分分かるだろうけれど、流石にそれは無理だろう。少なくとも隠密には出すぎた真似だ。しかしこの割れ目、人の手による物か? 自然に、というには少しあちこちが鋭角的だ。こんな穴を人知れず空けるなんて、里の者の仕業にも思われる。だが、これと言った証左もない。

 奥向き隠密も楽じゃないな。思いながら私は穴を隠して、萩様への報告に向かう。すると、ばっしゃばっしゃと水の音がした。角を曲がると、柊が洗濯をしているのが見える。私が顔を出さないものだから押し付けられたんだろう。慌てて台所に向かってお湯を持ってくると、きょとんとされた。それから柊はにっこり笑う。

「さっき萩様も足してくれたから、大丈夫だよう。その辺においといて。しかし玻璃ちゃん、何してるの?」

「忍者ごっこ」

 ごっこじゃなくれっきとした忍者が言うと笑えるな。へらっと笑うと、そっかあと柊が笑う。さて、有言実行とするには、やっぱし屋根裏からかね。誰もいないのを確認して、私は三角飛びで天井板を拳で外し、その上に昇った。

 奥向きの柱構造は独特で、ちょっと忍びにくい所もあったけれど、木自体はしっかりした作りで、私一人の体重移動では大したことがないようだった。しっかりした大工さんに立ててもらったんだろう。叔母さまと住んでいた茅葺屋根の家は毎年どこかの葺き替えを手伝っていたものだ、修行の一環として。そこには屋根裏すらなかったものだから。大変だった。身体の軽い子供の仕事、だけど茅は子供に軽くない。夜のうちに目を慣らしつつ一件分を替えると、子供たちはくたくただった。そこの家人に気付かれなければ干菓子だってもらえた。私は鼻つまみ者だから貰えたことはなかったけれど、流石に叔母さまの家はそうでなく、知らないうちに綺麗になっていた時はほわあ、と息を吐いたものだった。閑話休題。

 おそらくどっしりとした柱で囲われている部屋が姫様の部屋だろう。隣は萩様。しかし綺麗だな、まるで事前に掃除をしていたような綺麗さだ。蜘蛛の巣も虫も鼠の気配もない。全く巡り合わない。まさかと思い、私は萩様の部屋の天井板を外した。だけどそこに萩様はいない。おそらくは杉戸で番をしているのだろうと私はそちらに向かう。

 果たして萩様はそこにいた。

 変わり果てた姿で、胸を脇差で貫かれて。

 ひゅっと喉が鳴る。

 刻限は暮れ三つ、まだ入ろうと思えば男も忍び込める時間。

「萩様!」

 急いで下りてみるけれど、身体はまだ暖かく、誰もその姿を見ていないことから間もない犯行に思われる。

「玻璃……」

「はい、萩様! 玻璃はここに!」

「姫とこい十手様を……頼みましたよ」

 そうして。

 老女として一生を遂げられた萩様は、亡くなられた。

 御年四十四歳、速すぎる死だった。



 萩様の死を看取ったことで私の容疑はいよいよ濃くなり、奥向きから出されて事情聴取を受けるのも二回目だ。悲鳴の一つも上げなかったのはなぜだ、と言われても、息を呑んでしまったし屋根裏にいたから音を立てない習性が備わっていた、などとも言えない。ただ、こい十手の事は気になった。あんな一つ言葉を話すのもおぼつかない様子で、なぜ十手の事なんて。

 それにしても足が冷たいし痺れて痛い。ため息を吐くと、向こうもため息を吐いた。強情な娘だとでも思われているのだろう。凶器の出どころすら怪しいと言うのに。むしろまだ鍵の開いている奥向きに大小差した侍が来て、脇差で萩様を殺した、という方が筋が通っていると思うのに。

「こい十手と姫様を頼む、と言われただけでした」

「こい十手?」

「奥向きに飾られている十手です。御存知ないのですか?」

「奥向きの事は我らには……」

 よく知っている殿はいまだ病中にあって奥向きには行けない。

「奥向き隠密、と称されました」

 言うといよいよ男たちはどよめく。それからきちりと背筋を伸ばした壮年の侍が私に頭を下げた。

「奥向き隠密がおられるのならば、わしらのすることもない。くれぐれも萩様を殺した犯人を、一刻も速く見つけて下され」

 と、四人の侍は頭を下げた。

 意外と便利な屋号を貰ったのかもしれない、思いながら奥向きに戻るとひそひそした声があちらこちらから聞こえた。彼女たちの中では私はもう人殺しなのだろう。あー、面倒くさいなあ。女社会は厳しい。私は飯を食って寝てればいいものになってしまった。仕事も与えられないから例の海鼠塀の事を調べるにはうってつけだったけれど、それでも視線は痛いもので。ここで暇なんか貰ったりしたら楽なんだろうけれど、身上書にはろくなことを書いてもらえないだろう。それに私が関わった事件だ。私が解決しないわけには行くまい、身の潔白を証明するためにも。

 萩様の訃報を聞いた姫は一瞬くらめいたようだったけれど、脇息にしっかりと掴まって、それを耐えた。そうして私の部屋はなぜか姫の隣、萩様の部屋にと移された。しがない奥向き女中にこの待遇は何なのだろう。姫は私を頼っているようだった。萩様に生前何か言われたのだろうか、分からないけれどそれも私に対する風当たりを強くした。気にならなかったけれど。萩様の部屋はまだ萩様のにおいが残っているようで、ちょっと寂しくなったりもした。老女なんて役職だったから、あまり個人的な会話はしなかったけれど、それでも私を気に掛けてくれていたのは事実だ。私だって寂しいものは寂しい。親を亡くした子供のような、とまでは行かないけれど、それはむしろ姫様の方だろう。輿入れ前から姫の世話係だったという萩様。一番姫に近い場所にいた萩様。こい十手。姫。こい十手とは何物なのだろうか。私はいよいよそれを知らなければならないな、と萩様の部屋からいつもの方法で屋根裏に移る。相変わらず綺麗なままの屋根裏をきしきし言わせながら、天井板を外したのはこい十手の部屋だ。こい十手。恋? 乞い? なんなのかも聞きそびれたのだなあと、自分のぼんくらさに腹が立つ。だってこんな所であんな凄惨な事件が二度も起こるなんて思いもしなかったのだ。

 と、ごろり布団に寝ていた耳に庭からの気配を感じる。五人ほど、気配を消す様子は手練れのようだけれど、敢えてあのままにしておいた海鼠塀から入って来たのだろう。私は寝間着の裾を括り上げ、懐剣を手に廊下に出る。丁寧に一枚ずつ雨戸を外していく手は女に見えた。奥向きだから気でも使ったのだろうか、いらない心配だと思う。月明りが照らすその顔は――

「――瑠璃叔母さま?」

「玻璃?」

 叔母さまの、姿をしていた。声をしていた。

 まっすぐな髪を高く結わえて。

 瑠璃叔母さまは、そこにいた。


 後で知った事には、夕餉に薬を盛って寝ずの番の人々も睡魔に襲わせていたらしい。私は自分で軽く湯漬けで済ませていたから気付かなかったが、遅効性の薬は姫も寝ずの番もすっかり寝入らせていたようだ。そしてみんながすやすやと眠る真夜中、叔母さま達は来た。何をしにかは知らない。どこぞの側室が雇ったものか、姫達の持つ京友禅や加賀友禅などの着物を盗みに来たのか。どちらにしてもよく解らない状況なのは確かだった。だけど先に状況を把握したのは叔母さまで、ひゅんっと殺意を込めた苦無が私の胸元に向けられる。それを懐剣で弾くと、壊れたのは懐剣の方だった。そう言えばこれは叔母さまのくれた物――最初から何もかも、計画済みだったという事だろう。

 私が入った奥向きのある屋敷でお勤めをする。疑いはすべて私に向くように。あの簪だって。綺麗に掃除された屋根裏だって。すべてがすべて、叔母さまの仕込み。

 寝ずの番が取り落としていた薙刀を拾い、私は叔母さま達が入ってくる前に雨戸の前に立ちふさがる。刺客は五人、予想通り。みんな里で見掛けたくノ一だった。ぼん、と煙玉で自分たちの気配を消そうとするけれど、夜目に慣れていればそうそう凌ぐのは難しいことではない。まずは一人、薙刀で足を狙う。ぎゃっと声がする。もう一人、柄で突くように今度は腹を。ぐえっと声が出たけれど、誰も出て来ない。と、腕を両側から固められて薙刀を落としてしまう。そのまま庭に押さえつけられると、叔母さまが冷たい目で私を見下ろしていた。睨み上げるけれど、その目の温度は変わらない。叔母さま。叔母さまどうして。

「叔母さま、どうしてっ」

「あなたがいなけりゃねぇ、私だって腰元からもう少し上までは出世できたのよ」

「叔母さま?」

「なのに姉さんが死んだからあなたを引き取れって里から強制された。誰も養い手がないからって。奥向き女中になったあなたにも、今はそれが分かるでしょう? どんなに屈辱的なことだったか」

「解りま、せんっ」

 腕を外すように身じろぐけれど、流石に両脇から固められていては私に馬鹿力でもない限り無理だろう。

「姫の覚えもめでたくなってきたころだったのよ。私もあの華やかな世界に身をうずめたかった。里とは手を切ろうとしていた矢先だったのに、あなたが来た。迷惑この上なかったわ、って言ったら通じる? ねえ玻璃」

 頭をがんッと蹴られる。痛かった。これが叔母さまの痛みだったのだろうかともうろうとした頭で考える。脳震盪だ、いけない。ぶんぶん頭を振って誤魔化そうとする。


『……やろうか』

『助けてやろうか』

『玻璃、お前を助けてやろうか』


 聞こえたのはあの女声。ああ、幻聴まで来てるならやばいな。耳の奥がキンとする。


「あの男を殺したのは……叔母さまですね」

「そうよ。やっと開いた穴だったのに目ざとく見付けて入って行くんだもの。しかもしたのが覗き。馬鹿みたいだから殺してやったのよ。今更念願叶うところだったのにあんなのに邪魔されて堪るもんですか」

「念願……?」

「奥向きの秘宝やら家宝やらを根こそぎに奪ってやること。そうしたらそれらを売り払って忍びを辞めて、どこかで小間物屋でも開くの。伊賀者だとしても生まれたくて生まれた物じゃない。みんな同じ願いを持って、ここに来たのよ。それをあなたが、よりによってあなたが出て来るとはねえっ」

 もう一発頭を蹴られる。

 誰にも必要とされなかった里の中で、唯一私を守ってくれた叔母さまが、その本音が、これか。

 くっと笑う。


『玻璃、お前を助けてやろうか』


 ああ、助けておくれよ。


「来い、十手!」

 私が強く叫ぶと、四つ鉤のそれは障子も雨戸も突き破って飛んでくる。まず右側を抑えていた女の肩を貫く。それから私の手に張り付くように、こい十手は収まった。左肩を外そうとした手を切りつけて、私は完全に自由になる。


『我を乞うたな?』


 ああ、乞うたよ、こい十手。私はなぜか初めて手にするはずのそれに妙な馴染みを覚えながら叔母さまの持っていた忍者刀とつばぜり合いの態勢になる。手元の切り替えを押すと、鉤だけがするりと上に動いた。発条仕掛けか何かだろう、急に込められる力が変わったことに驚いた叔母さまは一瞬離れようとする。それを抑え込んで、くるりと手を回すと、刀はぽきりと折れた。クッと喉を苦渋に鳴らした叔母さまは、にわかにあの海鼠塀の方へと走って行く。

 私はもう一度、切り替えを押した。

 四つ鉤は叔母さまの背に当たり、倒して、そのまま動かなくした。

 私はそのまま、倒れ込む。

 身体が芯から疲れ果てているのが分かった。

 叔母さまの蹴りのえげつなさもあったけれど。

 見付けられたのは、朝になって悲鳴が上がってからの事だった。


「姫、お暇を頂きとうございます」

「玻璃? 突然に如何した?」

「今回の賊は私が引き入れたようなもの、しかも主犯は叔母です。もうここに勤めてはいられません。半年という短い間でしたが、姫には本当にお世話に――」

「何を言う。そなたが居なければ次の老女は誰がすると言うのじゃ」

「へ?」

 きょとんっと思わず顔を上げた私に、姫は少女のようにくすくす笑いかける。否、十八だから十分に少女めいていても良いのか。

 叔母さま達はあの杉戸を通って奥向きから追い出され、聞くところによると島流しになるらしい。何年か経って戻って来たとしても、伊賀にはもう居場所はあるまい。江戸で商売をするにも元手がない。となればどこぞに奉公にでも出なければならないだろう。身上書を書くぐらいは出来るかもしれないが、それはこの奥向きからでは出来ることではない。それにあの海鼠塀を放置していたことも、私の責任だ。真犯人をおびき出そうとした、私の。

 なのに老女? 私が? はてなという顔が出たのだろう、姫は笑いを止めない。

「萩の文机の中身は見たか?」

「いえ、萩様の物には何も手を付けておりません」

「ならば見てみよ。おそらくこい十手様の事から奥向きの動かし方まで書いておるはずじゃ」

「萩様は――」

「先代の奥向き隠密は、萩じゃ」

「こい十手様とは、いったい何なのですか?」

「奥向きの守り神、といったところかな。数代前の老女に十手術に長けていたらしくてのう、その形見のようなものじゃが、気に入りの人間を見付けると中に入って悪事を防ぐのだそうな。男は成敗だからと放っておき――萩の時は、間に合わなかったのだろう。残念じゃが」

「そうだったのですか……」

 ってことはあの身体の軽さは憑かれていたという事か。ぶるっと思わず背筋を震わすと、姫はけらけら笑う。

「そなたは、一度すでにこい十手様を乞うておる。死ぬまでこの奥向きから、出せはせんぞ?」

「……はい。分かりました、姫様」

「おや、物分かりの良い」

「お二方とも私を逃がすつもりはなさそうでございます故」

「然り。では老女として、今後も頼むぞ? 玻璃」

「はい。姫様の仰せのままに」

 くすくす笑う姫にはあっと肩を落とす。とりあえず萩様の遺したものを見て行こう。私は姫の部屋を出て行き、自分の部屋に戻って旅仕掛けを解く。そこに、とんとん、と障子を叩かれた。はいどうぞと声を掛ければ、膝を付いていたのは柊他何人もの奥女中たちだった。私がまたぽかん、とすると、柊が取りすがるように私の着物の裾を掴む。

「ごめん、玻璃ちゃん、私ちょっと玻璃ちゃんのこと疑ってた」

 あちこちから私も、と声がこだまする。

「でも玻璃ちゃんは潔白だった。どころか私達や姫様たちのために戦ってくれてた。だからこれからも、ここに居てください。――老女様」

『先手を取られたのう』

 耳の奥からあの声がする。うるさいよ、と頭の中で返事をする。

「一応姫様にも引き留められたから、出ては行かないよ。柊」

「じゃあっ」

「次の相手が来るまでは。そういう事なんだろう、多分」

 柊が今度はきょとんとした顔になった。

「どうにしろ、死ぬまではここに居ることになりそうだよ。だから心配しないで、みんな」

 やれよかった助かったと皆がそれぞれに言う。とりあえず老女の仕事は萩様を見て覚えてる分にはそう指示を出して、あとは書き置かれたものを暗記としよう。半年で自分が一気に老女まで上り詰めてしまったのは大いに遺憾だし呆れた事ではあるけれど、それでも私はあのこい十手に選ばれてしまったのだ。仕方ないと諦めよう。しょーがないのだ、こーゆー時は。

 と、表使いがぱたぱたと駆けて来る。

「た、大変です!」

「如何した? 松島」

「今宵は殿のお渡りがあります! ご病気が快癒したそうです!」

「ほー、めでたい……」

 しまった。こういう時どうすれば良いのか分かんない。

「ちょっと頭を整理するるから取り敢えずみんなはいつも通りに仕事してて! えーとえーと、こういう時の老女の指示の仕方は……!」

 障子を閉じて私は萩様の文机を見る。代々使われてきたのだろうこい十手の事を書いた紙だけは日に焼けている。でも今はあんたの事かまってる場合じゃない――あった、殿のお渡りの事!

 そうして私はなし崩しに奥向きの権力者となってしまった。


 ――錦なりけり、錦なりけり。

 江戸に咲きしは乞いの華。

 その選定は、恋のなさ――。

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からくり忍法こい十手 ぜろ @illness24

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