婚約破棄、したいです!〜大好きな王子様の幸せのために、見事フラれてみせましょう〜

待鳥園子

第1話「見てるだけ」

 長かった寒い冬も、そろそろ終わりを告げようとするとある春日和。


「……セラフィナお嬢様。庭園の方に、ラドクリフ王子とメイベル様のお姿が」


 セラフィナの傍近くに仕える侍従かつ護衛騎士のジェラルドは、表情を動かす事なく淡々と言った。


 それを聞いたセラフィナは、貴族令嬢にあるまじき素早い動作でお気に入りの赤いティーカップを慌てて置いて、ジェラルドが視線を向けていた大きな窓に駆け寄った。


「……まあっ……なんてことっ」


 セラフィナ・サフィナー公爵令嬢の婚約者であるこの国の第二王子ラドクリフは、金髪碧眼のいかにも王子様らしい優美な容姿の美男子だ。中性的な顔貌にも関わらず兄の王太子から軍属にあることを望まれているために、日々騎士団の訓練に混じり剣や弓の稽古を欠かさず鍛え上げられたがっちりとした身体付きがとても魅力的な男性だ。


 隣に居るメイベル・シーバート男爵令嬢は、ふわふわとしたピンクブロンドの髪を持つ可憐な女性だ。彼女は平民出身で庶子だったのだが、貴族しかいないこの学園で、元平民への強い風当たりにも負けずに三年間優秀な成績を取り続け卒業する芯の強い女性で男子生徒からとても人気がある。


 二人は何か親密そうに話し合いながら、セラフィナが張り付いている窓から見える庭園を横切って行く。


 セラフィナは手を握りしめ、ふるふると周囲から見て取れる程にわかりやすく体を震わせた。


 ——今日も、大好きな人を目に出来た感動で。


 頬は紅潮して、紫色の双眸は潤む。誰がどう見たとしても、明らかに恋する乙女でしかない。


 ラドクリフからじっと目を離さぬまま、これから何が始まるかを悟り石像のような顔になっているジェラルドに、セラフィナは熱っぽく話し始めた。


「今日もラドクリフ様が着用されているお召し物、とても素敵ね。それに、髪を切られたのかしら? 少し長めも好きだったけど、短めも素敵……っていうか、ラドクリフ様だと長髪でも坊主でも、なんでも似合いそうなお顔を持っているもの……それを言うなら、服だって……なんでもお似合いになる。何も着ていなくても良いけど……いいえ。いけないわ。そう。それは、メイベル様にしか見ることが、許されないのだから。ねえ? ジェラルド?」


「……いえ。現在のラドクリフ王子の婚約者は、セラフィナ様お一人ですので。その権利はセラフィナ様のだけのものです。そのよくわからない、悪役令嬢ごっこまだ続けているんですか? どうやったらそれ、終わるんですか?」


 いかにもうんざりした様子で、ジェラルドはセラフィナが先程置いたティーカップの中にある冷めてしまったお茶を入れ替えていた。


「まあっ! 何言ってるの。私は悪役令嬢のセラフィナ・サフィナーなのよ! 明日の卒業記念パーティーで、婚約破棄宣言をされるのだからっ! そのために可愛らしいメイベル様に足を引っ掛けたり、二人の前で彼女のことを悪く言ったりしたのよ! 心は痛んだけど、仕方のないことだったわ。けれど、明日になればそういった努力も、すべて実を結ぶ……そうしたら、もう愛するお二人の邪魔を二度としなくて済むわ。私は多分、もうお嫁には行けないだろうけど……ラドクリフ様が幸せだったら、良いの」


 窓の外でやがて小さくなっていく後ろ姿を見つめながら、セラフィナはうっとりと呟いた。


(ラドクリフ様。やっぱり素敵……婚約破棄されたら、もうこうして、こっそりとお姿を見ることも出来なくなるから。目に焼き付けなきゃ……)


 ラドクリフの少し癖のある柔らかな金髪が、ふわっと風に舞った。


 セラフィナの前世の記憶が戻ったのは、十年前のラドクリフとの婚約成立時の顔合わせの時だ。


 彼の顔を見た瞬間に、何かで堰止まっていた濁流が流れ込んできたように。前世で寝る間を惜しんでやっていた乙女ゲーム「ときめき★ラブエッセンス」の中で悪役令嬢セラフィナとして生まれ変わったのだと、その時にセラフィナは自覚した。


 前世での最推しキャラは、もちろんメインヒーローである第二王子のラドクリフだった。


 けれど、セラフィナは彼から疎まれて嫌われる存在だったのだ。そうでなければいけなかった。乙女ゲームのヒーローは、唯一の存在ヒロインとハッピーエンドを迎えるために用意された存在だ。


 彼の幸せは、ヒロインのメイベルと結ばれること。


 幼いセラフィナはその時に思ったのだ。「前世でも今世でも大好きなラドクリフの幸せの邪魔を、してはならない!」と。


「……明日の卒業パーティーは、エスコートは出来ないと予定通りに手紙が来たから。メイベル様は、ラドクリフ様のルートで間違いないわ」


 いつものように、婚約者の義務として彼の目の色のドレスや靴、そしてアクセサリーなどが届いていたが、短い謝罪の言葉と共にそう書かれていた。もっとも、他キャラとのルートであれば、卒業記念パーティー前日にあんな風に庭園デートをしているなどは考えられない。


 だから、これからのことはもう、すべて決まったことではあるのだ。


「……んで。よく分からないんですが、セラフィナ様は、もしラドクリフ王子に婚約破棄されたら、どうするおつもりなんです? お嫁に行けないとは先程、言われておりましたが、あちらからの一方的な婚約破棄なら同情してくれる方も出てくるのでは?」


「いいえ! 私は結婚するなら、絶対絶対ラドクリフ様が良いわ。彼でないと、嫌なの。もし、それでお父様から勘当されたら……修道院に行くわ。ジェラルドも、一緒に付いて来てくれるでしょう?」


「……いや、俺は男なんで……修道院は流石に無理ですよ。俺には昔からお嬢様の言う理屈が、良く分からないんですけど。ラドクリフ様がお好きなら、ご自分で彼を幸せになされば良いのでは? 俺の目から見たら、メイベル嬢よりも、明らかにお嬢様の方がラドクリフ様に対する熱量が多いですし」


 そう言って肩を竦めたジェラルドは、サフィナー家に代々仕えてきた家系だ。


 だから、幼い頃からセラフィナの傍に仕えて、前世の顔合わせの時にもラドクリフを一目見て卒倒したセラフィナを支え、用意して貰ったベッドに寝かせたのも彼だ。セラフィナが目を覚ました瞬間に「私は悪役令嬢に生まれ変わったのね!」と叫んだ瞬間を目撃し、仰天して腰を抜かしたのも彼だ。


 その後に、記憶を取り戻して混乱していたセラフィナに、早口で全ての事情を明かされたのも、彼だけ。


「……でも、私が好きなだけでは……ダメでしょう? ラドクリフ様は、メイベル様がお好きなんだもの。あんなに可愛らしいのに、近くに居て心惹かれない方がおかしいわ。私はラドクリフ様が幸せであれば、もうそれで良いの」


 もう彼はいないというのに、名残惜しそうにじっと窓の外を見つめる主人を見て、ジェラルドは大きくため息をついた。


「愛する者への、捨て身の献身ですか。それが、尊い行為だと言う人間も……中には居ますけど。俺はせっかく生きているからには、最大限自分の幸せを優先にして欲しいと思いますよ……セラフィナお嬢様」


 春が近づき、季節柄強い風が舞い、庭園にある早咲きの花の花びらを攫っていった。

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