甘く、優しい言葉

@eyecon

甘く、優しい言葉

ㅤ紅葉並木を抜けると、強い風が私の身体を吹き抜けていった。その瞬間、地面に敷かれていた落ち葉の絨毯は散り、舞い上がって宙に踊る。風力を無くした紅葉は、一瞬にして紙吹雪のように姿を変えていく。私を歓迎するように。風に乱れた髪を直しながら、私は降り注ぐ紅葉の中を歩いていった。

ㅤやっと着いた。そう思うと嬉しくなって、自然と口角が上がってしまう。もしかしたら私の頬も、この紅葉のように赤く染まってしまっているかもしれない。なんて、恥ずかしげな姿を思い浮かべながら、真っ直ぐ歩を進めていく。

ㅤ降り注ぐ紅葉の影に、段々と『何か』が見えてくる。一歩、二歩、三歩四歩。私の足音は喜びを含んで、鼓動と共に加速する。そして、紅葉の吹雪が完全に止んだ時。その『建物』は現れた。

ㅤ真昼時の澄んだ青い空と、綺麗に色付いた紅葉の中に存在するには、あまりに不格好。そう言われても仕方ないほど廃れた木造の小屋が、私の目の前に建っていた。いつ見ても、酷い。まるで上から錆を振りかけたように汚れている。私は思わず苦笑いをしてしまう。



「よく来たね」



ㅤ不意に、後ろから声が聞こえてきた。仄かな蜜柑の香りがする。きっと彼だ。私が振り向くと、そこには私より背の高い、華奢な体つきの青年が立っていた。彼はその手に、蜜柑を二つ抱えている。その姿を見た瞬間、私の顔が自然と微笑んでいくのを感じた。



「疲れただろ。これ、食べて」



ㅤ私の手に、彼の手が添えられる。彼はそのまま、優しく蜜柑を渡してくれた。しかし、その手が触れた時、私は小さく声を漏らしそうになった。彼の手は、あまりにも冷たかったから。既に彼が死んだ人間・・・・・だと言うことを、私は思い知らされた。

ㅤ私の手は自然と、蜜柑を包み込むように彼の手を握り返していた。憐れみを含ませて。



「どうしたの?」



ㅤ不思議そうな顔で、彼は疑問をなげかける。私を覗く彼の瞳は陽に当てられ、純粋な光に満ちていた。心の中を覗き込まれているかのような、そんな感覚。言葉を失いそうになる。



「……感じる?ㅤ私の体温」



ㅤ目を閉じて、私は彼に問う。



「……分からないな」彼はそう言って首を振る。「ごめん」


「……ううん。いいの」



ㅤ微笑みを向けようとしても、顔が少し引き攣ってしまっているのが分かる。きっと彼も気づいているのだろう。答えなんて分かっているはずなのに。例え嘘だったとしても、私は彼の言葉に期待していた。自分の行動が嫌に意地汚く思えて、私は目を逸らしながら、握っていた手を離す。



「座ろっか」



ㅤ私はそう言いながら、小屋の前にある木のベンチの方へ行き、座り込む。そして、手でベンチを叩いて、彼を誘う。彼もそれに従って、静かにベンチへ座った。



「じゃあ、いただきます」



ㅤそう言って、私は蜜柑の皮を剥いていく。彼も私に続いて「いただきます」と言うと、蜜柑を剥き始めた。

ㅤ皮を取ると、半透明な橙色の果肉が現れる。私はそれを一つちぎって、口の中へ頬張った。果肉を歯で潰すと、甘く水々しい果汁が口の中に飛び出してくる。それは一度噛み潰す度に次々に溢れてきて、まるで舌に染み込んでいくように、その味を浸透させていく。私が普段食べている蜜柑よりも、果汁の持つ甘味の深さが違う。本当に頬が落ちそうになるような新鮮さだ。



「この蜜柑、本当に美味しいね」



ㅤ私がそう言うと、彼は嬉しそうに答える。



「母さんが供えてくれるんだ。『私が選んだ蜜柑だから、きっと美味しいよ』って。毎日飽きもせず、ずっと」



ㅤ途端、彼の表情に少し、曇りが見えた。



「それを見て、『ありがとう』って。伝わるわけがないんだけど、どうしても言ってしまう」彼は蜜柑を見つめる。「たった一言でも、伝わればいいんだけどな」



ㅤ彼は苦笑いをしながら、そう言った。その顔がとても寂しそうで、苦しそうで。私はとても見ていられなかった。



「きっと伝わってるよ、お母さんに」



ㅤ私はそう言って微笑み、彼の手を握る。伝わってるだなんて、思っているわけでもないのに。彼の悲しそうな表情が見たくなくて、もっと楽しい話がしたくて。そして……。



ㅤもっと私を、見てもらいたくて。



「寂しくなったら、私がいつでも話し相手になるから」



ㅤ自分に構ってくれる人がいないからって。



「だから……」



ㅤ私は彼を。



「一人で……抱え込まないで」



ㅤこの場所へ、繋ぎ止めようとしている。



「……ありがとう」



ㅤ彼はこちらへ向くと、私の手を握り返す。私はそれに答えるように、より一層強く握った。



「君は……優しいね」



ㅤそう言った彼は、本当に安心しているようで。甘く、暖かい言葉が、私に刺さっていく。だから私は、優しい私でいる。だけど、違うんだよ。優しいんじゃない。私はもっと……。



ㅤあなたを感じていたいだけ。

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