茅(ち)の輪くぐり

白川ちさと

第1話 父と母と

 父と母、自分との三人で、一泊の小旅行に行ったのは、小学校二年生の七月のことだった。どこだったかはハッキリとは覚えていない。父の運転する車で、温泉地だった気がする。父と入る広い風呂は楽しかったが、自分よりも父と母の方がくつろいでいるように見えた。


「圭介。近くの神社でお祭りをしているみたいだよ」


「お祭り? 行く行く!」


 畳に寝そべっていた自分は、父の言葉に文字通り飛び上がって喜んだ。


「じゃあ、三人で行きましょうか」


 母も一緒に三人で旅館を出る。旅館の下駄を借りたので、カラコロと音を立てて歩いた。神社に着くと、まだ夕刻だというのに人がたくさん来ている。


「はぐれないように手をつなごうね」


 母が右手を父が左手を握った。まるで幼稚園児のようで恥ずかしかったが、父と母の手が暖かく一度繋ぐと離しがたかった。


 三人で歩きながら、祭の様子を観察する。手作りだろう、絵が描かれた灯篭が吊るされ、たくさんの屋台が並んでいた。


「あ! たこ焼き! たこ焼き買って!」


「あとで。まずは参拝だ」


 父にそう言われ、参拝なんてすぐに済ませようと先を急いだ。


「おっ! 茅の輪があるぞ。圭介、見てみなさい」


 父が見えないだろうと自分を持ち上げてくれた。人がずらずらと並んでいる先に、緑色の草を編んで出来た大きな輪がある。人の背丈ぐらいあるそれを先頭の人は周りを歩いて回っていた。


「あれが茅の輪?」


「そう。厄災を払って無病息災をお願いするんだ。くぐっていこう」


 つい、えーっと声が出た。早く屋台でたこ焼きが食べたかったのだ。


「病気になりませんようにって、よーく神様にお願いしないとね」


 母も自分の手を引いた。そこは茅の輪に続く列の最後尾だ。やっと先頭に来たときには自分はすっかり待ちくたびれていた。


「ほら、くぐり方が描いてあるぞ」


 父が頭上を指すと、そこには輪のくぐり方が描かれていた。


「三回もくぐるの?」


「そうみたいだ。それじゃ、三人で左回りから」


 親子三人、手を繋いだまま左に一回、右に一回、そしてまた左回りをして元に戻った。


「これで真っ直ぐ進んで参拝に行く、と」


 正直、子供の自分は辟易としていた。長い時間待ったうえに、何回も輪の周りをグルグルと回ったのだから。


「最後まで無病息災をお願いしていきましょう」


 母がそんなことを言う。だけど、自分はそんなこともう考えてもいなかった。早く参拝を済ませて、お祭りを楽しみたかった。


「今年もあと半年、何事もなく過ごせますように」


 父が本殿に向けて言う。参拝を済ませて、念願のたこ焼きにありつき、お祭りを思う存分楽しんだ。けれど、それが家族最後の思い出になる。


 次の日の夕方。父の運転する車は大雨の中、高速道路を走っていた。トラックがスリップして横倒しになる。後方を走っていた自分たちの車は、止まることが出来ずに衝突。奇跡的に助かったのは後部座席にいた自分だけだった。


 それから十年以上のときが過ぎた。事故以来、親戚の家を転々とすることになる。おしゃべりだった自分は寡黙になり、サッカーボールを蹴っていた休み時間は図書室で借りた本を読むことに費やすようになった。


 大きな変化は時と共に、自然へと溶けていった。まるで、はじめから両親はいない子供のような気さえする。八歳という年齢を考えても仕方がないことだった。一緒に学校に通う子供と同じで何も特別ではない。そう思うようにしていた。しかし、一つだけ確実に他の子供と違うことがあった。


 あの事故以来、神社嫌いになっていたのだ。


 厄災を払う茅の輪のはずだった。これでは全く逆ではないか。あの輪をくぐったから厄災を招いてしまったのではないか。


 当時はそう強く思い、神様に憤っていた。引き取ってくれた親戚に誘われても神社には夏祭りだろうと、正月だろうと断固として行かない。そのため、可愛くない子供と思われた。

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