ゲロ

門前払 勝無

第1話

「ゲロ」


 わたしが悔やむのは人間に生まれてしまったと言うことである。


 この世に生まれて意識が芽生えた頃から違和感を感じていた。成長するに連れて日々違和感は増大していった。希望を持って色んな世界を見た色んな人と交流をした。そうした経験を積めば積むほど違和感が大きくなった。何度か妥協して捩れた世界に馴染もうともしたが違和感は常に心にあったのである。

 人間には数種類が存在していて稀に例外があるのだが99%は数種類しか居ないのである。分野は違うが同じ悩みを抱えている。その悩みは動物的悩みでは無く不必要な悩みが殆どなのである。稀な人間がそれらを利用して99%を誘導しているのだ。

 人のキャパシティは環境により左右されていて閉鎖的な環境に居る人間は容量が非常に小さく物事の理解が出来なくて利用されやすく脳に異常を起こしやすい。キャパオーバーしやすいのである。開放的な環境に居る人間は比較的キャパシティは広がりやすいのだが横に習えになりやすく様々な分野に進むが全て共通の悩みに陥りやすい。

 開放的な環境と言うのは都市部、閉鎖的な環境は地方である。つまり田舎者は視野が狭いがゆへに目の前に起きている事が理解出来ない、他人の言葉の内容が頭に入らない等の障害を持っている。都市部の人間は様々な選択肢の中で生きているのだが1%の思惑の中西居る事に築かないままマニュアルで進んでいる事に気付いていない。


 大きく人間を分けると以上の通りになる。


 今現在の違和感は、小説を生業にしたいと思いサイトにて自作品を後悔している。そして、それらをツイッターにて拡げようとしているのだがツイッターを見ていて思うのは同じ夢を見ている者達が“いいね”“フォロワー”等を異常に欲しているのである。

 そこに横に習えを感じる。

 そもそも小説や絵や歌は作者の作品に共感したものが賛否するのもであり万人に受け入れられる物では無いのである。万人に受け入れられる物が良い物なのであれば万人の目に止まる場所へ媒体を出さなくてはならない。それは良し悪しではなくて流行り物と言うのである。それと作品は別物なのである。


 わたしはそういった流れに嫌気がする。


 小説を売る


 これを目的とするのならば壮絶な死を向かえるのが最高の媒体である。

 無名の小説家がスカイツリーから飛び降りたのならば死後にどんな作品を書いていた人間なのか興味をそそると言うことである。


 わたしはそれがつまらないと思う。


 生きると言うのは無意味なのである。


つづく

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