それが恋と知ってしまったなら。

t-sino

君はそれを恋と知らない

第1話



 

 彼女は帰ってこない。


 ここ、三週間ほど。


 







 「…朝、か。」


 何か夢を見た気がして、しかしその内容を思い出すことはできなかった。

 

 ひとつ、伸びをしてからベッドから下りる。自室の何割かを占めるベッドは大学進学祝いで両親が買ってくれたものだ。奮発したらしく少しサイズが大きい。


 着回している黒いシャツを着て、紺色のズボンに白いパーカー。シンプルな服が割と気に入っているから、たいていの場合は無地のものを着る。



 朝ごはんを用意して食器棚を開くと自分の分と来客用がある。

 自分の分の食器を取り出して、大きいほうにゆでたウィンナーとトーストとスクランブルエッグを載せ、小さいほうにはサラダを盛って塩を少しかけた。マグカップにはホットミルクを注ぐ。


 

 ぼんやりと朝ごはんを食べながら考えた。

 


 高校の同級生。

 

 


 ということくらいしか、彼女との接点はない。後は、一緒に住んでいるということも接点として挙げられるだろうか。


 今はいないけど。


 

 

 そんな大して深い関係でもない相手にどうして会いたくなるのか。


 

 それと、そもそも何で彼女は帰ってこないのだろう。



 




 食事を食べ終えて、肩くらいまである猫っ毛を丁寧に梳かし、ゆるく結ぶ。

 髪の支度が終わったら歯を磨く。他に音を立てるもののない静かな部屋の中にただ歯を磨くシャコシャコという音が小さく響く。そばに置いてあるコップに水を注ぎ、うがいをする。


 鏡の向こうにいる自分は何とも言えない無表情を浮かべている。

  

 そりゃあ、そうか。だって私はどちらかというと今不機嫌なのだから。

 



 さっきメールの着信を確認したら、肝心な彼女からの連絡はなかった。

 

 彼女とは、『ちょっと家を出ます。』という簡素なメールが来てから三週間、その間生存確認みたいなやりとりしかしていない。

 

 しかも私は、彼女がどうして帰ってこないのかさえ知らないのだ。

 

 少し、腹立たしい。




 一緒に暮らしているからと言って、そこまで仲が良かったわけじゃない。

 

 なのに、彼女が帰ってこないことに対していろいろと詮索する目を持つ自分がいる。


 勘違いしちゃいけない。自分に強く言い聞かす。


 私と彼女はお互い詮索しあえるような関係性にあるわけではないのだ。


 

 それが、寂しいといえればこの歪な関係から抜け出せるのだろうか。


 ということを考えることすら怖いのだからどうしようもない。八つ当たりのようにコップを雑に元の位置に戻してから、洗面所を後にした。


 

 シェアハウスとして利用している一軒家を出て鍵を閉める。

 

 駅からは少し離れていて、バス停もそんなに近くにはない。

 微妙な立地だからか家賃はあまり高くない。

 外装はシンプルな白。四人まで住めるので、まあまあ広い。あまり新しくはない。


 いろいろな条件の家を見て、最終的にここに決めた。彼女も家を探していたらしく、私たちがここに住むことになったのにはいろいろな偶然が重なっている。


 つっかけたスポーツブランドのスニーカーは、彼女が帰ってこないこの三週間の間に購入したものだ。まだ数回しか履いていないので、まっさらである。


 



 「りょう、おはよう!」


 シェアハウスを出て数メートル、背中にバシッと音でも聞こえてきそうなほどの衝撃がやってきた。


 「…痛い。」


 「ごめんごめん。そろそろ行こっかなと思って家出たら、亮が見えたからつい。」


 叩いてきた張本人は大して悪びれるでもなく、頭をくしゃりとかいている。その姿さえ様になるようなボーイッシュな雰囲気が、女の子への人気につながっているのだろう。



 新渡戸凛にとべりん。私の数少ない友人だ。運動が得意でスポーツ推薦で私と同じ大学に入ったが、頭もすごく悪いわけではない。



「凛?そんなに勢いよく行ったら高坂さんも困るだろ。」


 そんな彼女を嗜めるようにしながら歩いてきた彼もまた私にとって馴染み深い友人だ。


 「おはよう。江戸崎えどさきくん。」


 「おはよ。高坂こうさかさん。」


江戸崎奏えどさきかなで。名前が女の子らしいことを気にしている彼も、凛と同じく高1からの付き合いだ。大学も同じになった私たち三人は話すことが多い。


 「ごめんって。でも、亮が見えちゃったら走るしかないじゃんね?」


 「本当に凛は高坂さんのことが好きなんだから…」


 やれやれといった表情で江戸崎君がため息をつく。少し拗ねているように見えるのはやはり、彼が凛のことを大好きだからなのだろうか。



――――



 最寄駅から電車に乗ること数分。大学のある駅に到着する。私たちが通っている大学はあまり都会とは言えないところに位置している代わりに、全国有数といえるほどに広大なキャンパスを有している。だからと言っては何だが、学生の雰囲気も全体的におっとりしている。


 構内に入り、二人とは別れて自分のとっている授業を受ける。講義をしてくださる教授はかなり年を取っているはずだが見た目は若々しくて、紳士的な優しい人だ。

 少し低めの聞き取りやすい声を聴きながら、ノートにペンを走らせる。大きな黒板が白い文字で埋まっていく。その様子を眺めながら、私はまた今朝のことを思い返していた。


 いつ、帰ってくるんだろうか。いつも彼女は気まぐれで私もそれを知っているし、受け入れる様に努めているけれど、そろそろ限界だ。


 例えば、一言『寂しい』って送れば良いのかもしれない。帰ってくるかどうかは別として、私の気持ちは伝わるだろう。


 でも、そうじゃないのだ。私が、頑固で意気地なしだから送れないのではない。


 帰ってこい、ばか。


 そんなに深い関係でもない私が望むには大層なことかもしれないけれど、君からすれば大した関係のない同居人かもしれないけど、それでも。


 仮にも一年同居人をしているのだから気付いたって良いと思うのだ。




 そんな事を考えていたら、力を入れすぎたのかシャーペンの芯がポキリと折れて我に帰り、私はため息をついた。


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