二本目 『罪を裁く者』《前編》

 セオドシア・リーテッド。

 自らを生と死を超える者──死霊術師である彼女にデクスター・コクソンは自身の命と、愛する父の尊厳を救われ、共に旅をするようになった。

 最初は、物語に出て来る英雄のような大冒険を期待し、心おどらせていたのだが、その理想とは異なる旅に、暗黒で鋭い不平を感じていた。

 ……──他ならぬ、彼女のせいで。


「疲れた〜……ああ疲れた〜……もう休みたい〜……」

「…………」

「ねぇ聞いてる!? つ〜か〜れ〜たぁ〜!! もう休もうよぉ〜!!」

「あぁ〜もう!! うるさいなぁ!! 僕まで余計に疲れることになるんだからやめてよね!!」


 デクスターは頭を項垂うなだれながら文句を垂れ続けるセオドシアに嫌気が差し、爆発するように叱りつける。

 旅をする前にも、デクスターは彼女の性格を一人旅に向いていないと評価したが、こうして一緒に旅をし、よりそれを身に染みて実感した。

 エゴイストでサディスト。他人に対する思いやりなど皆無に等しい彼女は、自分の欲望のままに行動する大きな子供そのものだった。またかなり雑な面もあり、旅をする為の地図はあるのかと聞くと。


「別に場所が目的じゃないからいらないだろう?」


 と正気じゃない台詞まで飛び出す始末。

 そりゃあ怪物を拷問するなんてまともじゃない発想出るよな。とデクスターは彼女に対する悪態を心に中にぐっと押し留める。

 そんなセオドシアであるが、旅をして振り回されるうちに、デクスターはふとした疑問を抱き始めていた。

 それは、彼女がどうしてこんな旅をしているのか? ということだった。

 確かに死霊術師のセオドシアなら、この危険な旅路も普通の人間よりかは幾分マシに渡ることが出来るだろう。しかし、出来ることが旅の理由にはならない。

 世間をまるで知らないデクスターだが、死霊術師であるなら死者の軍勢に働かせ、自分は研究に勤しむのが定石なのは父からなんとなく聞いたのを覚えていた。実際ただの歩くだけで文句を垂れるセオドシアも、そういう選択をするタイプに見える。

 それなのに何故、彼女は月住人ムーン=ビーストの跋扈するこの世界を旅することに決めたのか? その答えを知りたくて、デクスターはセオドシアに問いかけた。


「ねぇ、セオドシア」

「はぁ……はぁ……なん……だい……?」

「なんでセオドシアは、こんな危険な旅を続けてるのさ?」

「はぁ……そんなの……決まっているだろう……?」


 セオドシアはそう言うと立ち止まり、空に浮かぶさくを指差した。


「あの……はぁ……沈まぬ月を……ふぅ……引きり降ろして……本物の太陽の光を我々にもたらすことさ!!」


 セオドシアは、疲労に息を荒くしながらも、大事な部分はしっかりと宣言してみせる。デクスターはその言葉を聞いて、更に疑問符を頭に浮かべる。


「なんか、色々言いたいことはあるけれど、意外な理由だな……セオドシアって、太陽大嫌いのインドアに見えるから……」

「別に嫌いじゃないよ、好きでもないけど……」

「好きでも嫌いでもないのに、太陽を取り戻したいの?」

「好き嫌いは重要ではないという意味さ、あの月は『自分はこんな事ができるんだぜ? スゲェだろ』って感じがビシバシ伝わってきてウザいからねぇ……だから即刻消えて貰いたいのさ」


 そんな理由で成し遂げられるものなのか?そう思いながらも、デクスターは心のどこかで、そんな彼女だからこそ、本当にやってのけてしまうのではないかという、謎の期待感がほんの数日の間に芽生えていた。


「まぁ、セオドシアがそれでいいなら、僕は構わないけどね……」

「じゃあ、喋ったことだし、私は先に休ん──……」

「それとこれとは話が違うよ?」


 二人は、新月の光が反射し、白い湖のように輝く砂漠を歩いていた。

 まだ食料に余裕があるとは言え、また野宿となることだけはなんとしても避けたかったのだが、見渡す限りの砂が、そんな希望を打ち砕く。


「今日も野宿か……」


 デクスターがそう呟いた、その時だった。

 地鳴りのような足音が、連続して二人の遠い背後から聞こえてくる。

 二人が振り返り、音の正体を認識すると、サァーッと恐怖で顔が蒼ざめる。


「おい……おいおいおいおいおい!?」

「ボサッとするんじゃない!! 走れ走れ走れぇーッ!!」


 後ろから、砂埃を巻き上げながら、『蹂躙せし者ホワイプス』の群れが迫って来ていた。


「アレって前にお父さんに乗り移ってたヤツか!? なんであんなにいるんだよ!?」

「ホワイプスは知能も低くく、力も弱いが、その性欲の高さからかなりの繁殖能力を……」

「そう言うのいいから結論は!?」

「弱いくせに馬鹿みたいに多い!!」


 二人は身体を斜めにして、全力で逃走する。しかし人間が月住人の脚力に勝てるわけもなく、徐々にその距離を縮められていく。


「ヤバいヤバいヤバい!? こんなの絶対に追いつかれるって!?」

「落ち着け馬鹿者ォォォッ!! こんな時はぁぁぁ……コレッ!!」


 セオドシアは逃げながら、動物の骨を削って作ったナイフで自分の手を切り付け、ツギハギだらけの革製アタッシュケースの中に手を突っ込むと──中からくらを付けた二頭の骸骨馬が飛び出してくる。


「おぉ!? スゲェ!?」

「当然!! それより早く乗るんだ!!」


 骸骨馬に乗り、近づかれた分の距離を取り戻すように加速させる。


「やった! 離れてるぞ!!」


「いや……こんなの時間が経てば追いつかれる……使いたくなかったが……来いッ!! 『葬れぬ者ギガゴダ』ッ!!」


 セオドシアは、更に血液を消費し、ギガゴダの右腕を操る。

 右腕がハエを払うような動作をすると、青白い怨念の炎が拡散され、ホワイプスの行先の障害と化した。


「グギャアアアッ!!」


 先頭を走っていたホワイプス達から悲鳴が上がり、後続のホワイプス達は炎を恐れ、近付けずにいた。


「おお!? やったなセオドシ……おい!? どうした!? 気分が悪いのか!?」


 デクスターがセオドシアの方に声を掛けると、傷口の辺りからみるみる内に黄色く変色していくのを目撃する。


「ぐっ……あの、炎は、私の血液を……媒介ばいかいとしている……だから……」


 よく見ると、怨念の炎が燃える分だけ、セオドシアの傷口から血液が抜けていくのが見えた。


「セオドシア!? クソッ……!!」


 二人は骸骨馬を走らせ、ホワイプスから遠ざかっていき、最終的には追っ手を撒くことに成功する。


「やった……って、うわぁッ!?」


 デクスターが安堵した瞬間、骸骨達が崩れ、アタッシュケースの中へと戻っていく。


「も、もう……ダメ……だ……」


 血を抜き過ぎてしまったセオドシアは、骨を回収し終わると、そのまま砂漠のど真ん中で気絶してしまう。


「おいセオドシア!? しっかりしろ! セオドシア!! ……クソッ!! どうすれば……」


 デクスターは、セオドシアを抱き抱えたまま、途方に暮れていると、灯りが一つ、段々と近付いて来ることに気付いた。


「ホワイプス!? ……い、いや、灯りは一つだけだ……もしセオドシアの炎が燃え移ったにしても、青白くなくてはおかしい……あれは本物の火だ!」


 やがてその全体像を確認出来る程まで灯りは近付き、それが馬に乗った少年であるとわかった。並んで確かめたわけでは無いが、背丈はデクスターと同じくらい小柄、淡い金髪にエメラルドグリーンの瞳を持ち、肩上げした修道服に身を包んでいた。

 突如現れた謎の修道服の人物は、二人を睨みつけ、口を開く。


「お前達……こんな所でしているんだ?」

「あ、あなたは……一体……」


 デクスターがそんな質問をすると、修道服の人物は眉をキュッと寄せると。


「ボクは退魔師……聖なる名の下に、罪を裁く者だ」


 そう自らを称して、厳しい視線をデクスターに向けた。


 ◆◆◆


「……ん……んん〜……?」

「セオドシア! よかった……薬が効いたんだな……」

「デクスター……くん? ……ここは一体……」


 セオドシアが目を覚ますと、そこには焚き火の炎に赤々と染まったデクスターの四心配する表情の他、気絶する前に居たはずの砂漠とは打って変わって背の高い木々が存在し、ここが森の中であると理解する。


「森? ……君があの後倒れた私をここまで運んだのかい?」

「あぁ〜……そうじゃないんだ、実は……」

「ボクが君をここまで運んで、増血剤を打ったんだ」


 声のした方を向くと、丸太に腰掛ける退魔師と名乗った人物が、セオドシアの方を向き説明した。


「君は……?」

「退魔師の人だよ! 僕達をあの砂漠から運んで来てくれたんだ! えっと、名前は……」

「パジェット・シンクレアだ。デクスターから大体の事情は聞いているよ、ホワイプスの群れに追いかけられるとは災難だったね」

「ほんとですよ〜……けどセオドシアのお陰でなんとか──……」

「話したのかい? どうやって助かったとか……私の事を?」


 デクスターが先程起こった災難を振り返ろうとすると、セオドシアが鋭く尖った口調で遮って止める。


「え? どうしたんだよ? 話したかって……命の恩人に聞かれたらそりゃ話すだろう?」

「チィッ!! 全く余計なことしてくれるよ!!」


 そう言ってセオドシアが立ちあがろうとすると、突如赤黒い茨が現れ、彼女を転倒させ、動けなくする。


「ぐあッ……!?」

「セオドシアッ!?」

「動かないで、君もだ。そこの死霊術師には既に茨の種を『植え付け』させて貰ったからね」


 そう言うと退魔師は、茨をセオドシアの皮膚から突き破る音がするまで食い込ませる。


「ああッ!? ……クソッ!! やっぱこうなるか……!!」

「な、なんで……なんでこんな事するんだよ!?」

「理由? そんなの、彼女が死霊術師以外にあるのか?」


 その言葉に、デクスターは前にセオドシアにも聞いた噂の事を思い出す。噂の内容は『死霊術師は現在も月住人の増加に加担している』というものだ。


「違うんだ!! セオドシアは確かに自分勝手でわがままな性格だけど……」

「おいっ!? フォローするならそこ言わなくていいだろう!?」

「だけど……お父さんの件では僕を助けてくれたり……兎に角、悪いヤツじゃあないんだ!!」


 デクスターがそう訴えかけると、パジェットは怪我をして帰ってきた子供を見る親のような目をした後、恐ろしく│厳粛げんしゅくな顔になってそれを否定する。


「それは君の認識だろ? ボクの認識はね、子供を自分の都合の良いようにだま小狡こずるい死霊術師……それに尽きる。それに、彼女の肉体には彼女以外のおぞましい魂達が数え切れないほどうごめいているじゃあないか。それはどう説明を付けるんだ?」

「それは……その……」


 言い返そうにも、魔術の知識なんて一ミリも持ち合わせないデクスターは困ってしまい、そのまま黙り込んでしまう。すると、茨で拘束されていたセオドシアが、交代するように叫び出す。


「ああ〜クソッ!! 退魔師は相変わらず頭が堅いなぁ!! だから嫌いなんだ!!」

「ボクもだ、お前達死霊術師の魔術は見るに耐えない穢れた術を使う。ハッキリ言って大ッ嫌いだね!!」


 セオドシアの挑発に、パジェットも負けじと同じか、それ以上の熱量で言い返す──すると、セオドシアはデクスターの方を向き直り、


「ほら見ろっ!! 君のせいで退魔師が私に敵意むき出しじゃないか! なんとかしろ!」


 と、怒りの矛先を急カーブさせてデクスターの方へと浴びせる。


「僕っ!? 今勝手にあおったんだろう!? 僕は比較的穏やかに事を済ませようとしたじゃあないか!!」

「穏便に済ます? へぇ、そりゃ有り難い、それなら勝手に私の正体明かしてもいいよな!?」

「だってだって!! 最初に会った時だってセオドシア普通に名乗ってたじゃん!?」

「静かにしろッ!!」


 言い合う二人に対し、パジェットは雷のような激しい声を浴びせ、その場をシン……と静まり返らせる。


「ボクは野蛮人ではない、君が憎き死霊術師とは言え、この場での断罪はしない。教会に引き渡し、その後の処遇を任せるとする。もういいか? 枝を集めてくる」

「あっ、待って……!!」


 デクスターは去り行く彼を呼び止めるが、相手にされず、二人残される事となった。


「……よし行ったな。フハハハ!! 馬鹿め堅物退魔師……おいデクスター君、私のアタッシュケースを持ってくるんだ。この状態でも血液を付着させれば……」


 セオドシアが魔王のような高笑いで勝ち誇ると、デクスターは申し訳なさそうな顔をする。


「あぁ〜……それはあの人も対策してたっぽいよ……?」


 そう言って指差した方を見ると、セオドシアを拘束しているのと同じ赤黒い茨が、セオドシアのアタッシュケースをぐるぐる巻きに封じ込めていた。


「わぁ〜、あれじゃあ開かないなぁ〜……よし、プランBを考えるぞ!!」

「ぼ、僕がなんとか切ってみようか!?」

「それだ! 私の血液を使いたまえ!!」


 セオドシアは自身の唇を噛み切り、デクスターが狩りで得た獲物を捌くためのナイフに血を垂らす。


「クソ……鉄はやりにくいな……よし! これで──……」

「……──あっ」


 切れる。そう言おうとした瞬間、パキンッとナイフの折れる音がする。


「「…………どうしよう……」」


 二人は一緒になって唸り声を上げながら考えていると、パジェットが薪を抱えて戻ってくる。


「さて……長旅でかなり汚れているだろう。近くに川がある、そこで水浴びをするといい」

「するといい……って私はこの通り拘束され、鼻すらも掻けない状態なんだが?」

「大丈夫だ、ボクが洗ってやるから問題な──……」

「えぇッ!? 洗うのッ!?」


 異性の体を洗うというパジェットの発言に、デクスターは思わずど肝を抜かれた声を出して遮り──沈黙したままこちらを見る二人の視線に傷まれなくなる。


「……う、ウォホンッ!! ゴホンッ!! ……い、いや〜残念だなぁ〜……一番風呂は譲るよぉ〜……」

「川だから一番風呂とかなくないかい……?」

「まぁ……なんだ……そんなに先に行きたいなら先に洗ってきてもいいよ?」


 困惑した様子でそんな言葉を投げかける二人に、デクスターは裸を晒したくらいの屈辱的な思いに陥っていた。


「クソ……僕か? 僕がおかしいのか……?」


 それからしばらくして、水浴びを終え、さっぱりした様子のセオドシアが戻ってくる。


「ふぅ〜……スッキリ……」

「さぁ、デクスターも行ってくるといい。一番じゃないけれど……構わないね?」

「うっ……大、丈夫……デス……」


 パジェットの何気ない一言に傷付き、顔をうつむかせながら川まで向かう……すると、セオドシアと通り過ぎようとした時、彼女から耳打ちをされる。


「いい事思い付いたから後で」


 それだけ言われ、彼女は完全に通り過ぎる。デクスターは驚いた表情で聞き返しそうになるが、パジェットにその思惑を悟られる可能性を考え、顔を俯かせたまま川へと向かう。


「なんか……嫌な予感がするなぁ……」


 ◆◆◆


「…………」


 永遠に朝の訪れないこの世界でも睡眠は必要である。

 パジェットは皆が寝静まったの確認すると、起き上がって川の方へと向かう。


「…………本当に行った……」


 デクスターは水浴びに向かったであろうパジェットを追いかけながら、先ほどのセオドシアとの会話を思い返す。


「……──暗殺!?」

「シーッ!! 声が大きい! 暗殺と言っても狙いは命ではなく、聖遺物……つっても君じゃわからないよな、あの茨を解除することさ」

「解除……?」

「素人の君には伝わらないかもしれないが、術式は使いこなす為に多くの要素を必要とするんだ。知識や技術は勿論のこと、重要になってくるのは『霊力』だ。霊力は精神と密接に関係し、精神が弱れば術式操作が困難になるし、そもそも維持出来なくなるんだ……そこで、手っ取り早く精神を弱らせる方法で私の得意分野と言えば?」

「……痛みか!!」


 セオドシア曰く、これだけ長時間聖遺物を維持すれば、どれだけ燃費のいい能力だとしても、精神的疲労は必ず生じる。

 パジェットは着ている衣服すら聖遺物で固めている。狙い時は二人を見張る必要のない就寝時の水浴びで服脱いだ時──……。

 デクスターは茂みの中に隠れ、川辺に居るパジェットが服を脱ぎ終えるのをじっと待ち伏せる。デクスターの手に構えられた矢の鏃には、セオドシアの血液によって奇妙な模様と青白い炎が備わっていた。


(落ち着け……普段の狩りとなんも変わらないじゃあないか……)


 デクスターはそうやって自分に言い聞かせる。息を潜めて矢を射るだけ。

 何の違いもない……ただ、標的の兎が人間になっただけの違いだ。

 そうやって自己暗示をし続けるが、デクスターは今すぐこの場から引き返して、何も考えずに寝て明日を迎えたい一心だった。

 耐えきれず、本当に帰ってしまおうかと思った、その時だった。パジェットが修道服を脱ぎ始める。


(ぬ、脱いだ……!?)


 千載一遇のチャンスが向こうから訪れ、デクスターは覚悟を決めるしかなくなる。デクスターは弓に矢を番え、パジェットの太腿辺りに当たるよう、狙いを付ける。セオドシアから、そこに坐骨神経という最も太い神経があり、命を狙わず、激痛を与えるならそこだと教えて貰った。

 パジェットはズボンを降ろし、その肌を露出させる。


「……え?」


 矢を射ろうとした時、目の前の光景に目を疑い、その手を止めてしまう。

 柔らかな新月の光に照らされたパジェットの体は生まれてまもない赤子の様に艶やかで痛々しかった。が少し体を動かすと──ほんの少しの僅かな動きなのに──僅かな光に当たる部分が微妙に移動し、体を染める影の形が変わった。丸く盛り上がった乳房、小さな乳首、へそのくぼみ、滑らかな曲線を描く腰骨の作り出す粒子の粗い影はまるで水面をうつろう水紋の様にその形を変えていった。


(女の子……だったのか!?)


 女性と知ったことによる動揺か、初めて異性の裸体を見たことによる罪悪感か定かでは無いが、デクスターは茂みを揺らし、その存在を知らせてしまう。


「しまッ……」

「誰だッ!!」


 パジェットと目が合い焦ったデクスターは咄嗟とっさに矢を射る。

 しかし狙いもあったものじゃないその矢がパジェットに当たることはなく──逆に彼女の人間とは思えない速度によって、川からデクスターの居る茂みまで一瞬で背後に回られる。


「速ッ!?」


 パジェットはデクスターの片方の腕を捉え、両手を連動させて頸部けいぶを締め上げる片羽絞かたはじめという技を仕掛ける。万力のような容赦のない力に顔が破裂しそうなほどの息苦しさに襲われる。


「ぐッ……は、放せ……!!」

「……矢の件は不問にしてやる。どうせ、あの死霊術師に命令されたといった所だろう? アイツとは縁を切って大人しくしていればいい。近くにある街までなら、ボクが送ってあげてもいい」


 締め上げる腕の厳しさとは真逆の、反抗期の子を諭す様に、そんな優しい提案を投げ掛ける。デクスターは、腕の間に指を掛け、息苦しさを少しでも緩和すると、口を開いた。


「あ、あなたは……優しい人だ……セオドシアの、言う通り……頑固だけれど、憎いって言ってる人の体を洗ってあげるし、僕のことを、ぐっ……本気で心配してくれる……」

「……そう言ってボクが技を緩めると思っているなら、甘い考えだ……仕方ない、このまま締め落として……」

「いいや、あなたは緩めるさ……優しいからね」


 デクスターはそう言うと、自由な方の腕で、懐から骨を削り出して作ったナイフを取り出す。


「なっ……いつの間に!?」


 そのナイフは、セオドシアがホワイプスの群れから逃げる為に自らの手に傷を付けたナイフであり、デクスターはそれをナイフを振り下ろす。


「なッ!?」


 刹那──パジェットは二択の選択肢を迫られる。

 茨による防御は間に合いそうにないが、技を解いて離れればナイフの刺突は回避出来る──だが、そうすればデクスターは自ら振り下ろしたナイフによって命を絶ってしまう事となる。

 一人の少年の命か、忌まわしい死霊術師の拘束を優先するか──悩んだ末の解答が、肉体を通して出力される。


「ぐッ……ァァアアアアアッ!?」


 パジェットはそのナイフを自身の腕で防御し、デクスターを守る。

 瞬間、怨念の炎によって腕を焼かれ、熱した針を幾数本も突き刺されたような痛みに晒された。


「うっ……ごめん!!」


 デクスターは痛みに悶えるパジェットに謝罪を投げ掛けると、そのままセオドシアの元へ駆け出していく。

 ほんの少し離れた位置にある筈なのに、デクスターは遥か彼方を目指す様な途方もなさに襲われていた。


「ハァッ……ハァッ……!? クソッ……セオドシアは無事なのか!?」


 枝や葉がぶつかるのもお構いなしに走っていると、突然背後からの衝撃に襲われ、転倒する。


「なっ……!?」


 自分の背に乗る存在を確認すると、そこには先程ナイフを突き刺したパジェットが修道服を着込み、完全武装した姿がそこにあった。


「流石だよデクスター……君の勇気と行動力をみくびっていた……治療の為に第三級の聖遺物を使わされた……誇っていい……だが、ここまでだ」


「ぐっ、クソ……何やってんだ……ここまでやったんだ。早く……早く来いよ!! セオドシアーッ!!」


 デクスターが声を荒げて叫んだ次の瞬間──青白い炎がパジェットに向かって放射され、デクスターとの間に壁が作られる。


「ウグッ!? まさか……解けたと言うのか!?」

「フハハハハッ!! よくやったデクスター君!! お手柄だぜ」


 声のした方を見ると、茨が消え自由の身となったセオドシアが、清々しく勝ち誇った表情でそこに立っていた。


「死霊術師……!!」

「遅いんだよ全く!! めっっっちゃ怖かったぞ!?」

「主役は遅れて登場するものさ……さて、と……」


 こうして、死霊術師と退魔師というカードは合間みえ──……。


「さぁ、喧嘩しようぜ!!」


 今、戦いの火蓋が切られたのだった。

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