マトリックスから解放された男の見た夢とは?

ドラゴン西

第1話 『赤い靴』

【マトリックスから解放された男の見た夢】


~第1話~『赤い靴』


ニュースなどでキャンプ場で子どもが行方不明になった話が流れる。

遺体などは発見されない。

忽然と姿を消すなどあり得るのだろうか。


北朝鮮?変質者?宇宙人?


冷静になって地球規模で考えてみた事がある。


赤い靴と言うと子どもの頃に良く聞いた方も多いのではないか。


ちょっとここで「赤い靴」と「ドナドナ」の2曲の歌詞を置く。


①1922年発表「赤い靴」  作詞:野口雨情 作曲:元居長世


1. 赤い靴(くつ) はいてた 女の子

異人(いじん)さんに つれられて 行っちゃった

2. 横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って

異人さんに つれられて 行っちゃった

3. 今では 青い目に なっちゃって

異人さんの お国に いるんだろう

4. 赤い靴 見るたび 考える

異人さんに 逢(あ)うたび 考える


②1933年「ドナドナ」

作詞:ショロム・セクンダ 作詞:アーロン・ザイトリン


(元の歌詞からカッコ内の歌詞へ変更があったようです)

 ある晴れた 昼さがり 市場へ 続く道

 荷馬車が ゴトゴト 子牛を 乗せてゆく

 何も知らない 子牛さえ→(かわいい子牛 売られて行くよ)

 売られてゆくのが わかるのだろうか→(悲しそうなひとみで 見ているよ)

 ドナ ドナ ドナ ドナ 悲しみをたたえ→(子牛を 乗せて)

 ドナ ドナ ドナ ドナ はかない命→(荷馬車が ゆれる)



 青い空 そよぐ風 つばめが 飛びかう

 つばめよ それをみて おまえは 何おもう→(荷馬車が いちばへ 子牛を      

 乗せて行く)

 もしもつばさが あったならば

 楽しい牧場に 帰れるものを

 ドナ ドナ ドナ ドナ 悲しみをたたえ→(子牛を 乗せて)

 ドナ ドナ ドナ ドナ はかない命→(荷馬車が ゆれる)


また、別の訳しかたでは、本来の歌詞は以下のようになるという説も。


1.縛られた悲しみと?子牛が揺れて行く。

ツバメは大空?スイスイ飛び回る。(繰り返し)

風は笑うよ?一日中。

力の限り?笑っているよ。

ダナダナダナダナ

ダナダナダナダン

ダナダナダナダナ

ダナダナダナダン

2.「泣くな!」農夫が言った。

「お前は子牛か??翼があったなら?逃げて行けるのに!」


3.捕らえられむざむざと?殺される子牛

心の翼で?自由を守るんだ!


上記の内容からは、

「実はドナドナがホロコーストを歌った悲劇的な歌だ」

とも言われているようだ。


「赤い靴」「ドナドナ」この2つの曲に何か共通点は感じるであろうか?


ドナドナの歌詞の変更の経緯から察すると、

単なる飼い主の変更というだけでは無く、曲調から、


「食肉となる子牛」を連想する事になる。


そして「赤い靴」の歌詞、何故帰ってこれないのか。


貧しかったから、裕福な外国人に引き取られたのか。


身寄りが無かったから、里親さんに引き取られたのか。


捉え方はそれぞれ。


しかし、そもそも、子牛も子どもも、取引の目的にするものなのか?


子牛なら良くて、子どもは人間だからダメなのか。


お金でいのちを買う事を冷静になって考える時。


おそらく、「???」という感じがほとんどだろう。


この弱肉強食の連鎖を絶ちきらない限り、明日は我が身。


人ごとだと思っていたら、間違いで、自分の言動はそのまま、ありのまま世界に反映する。


「コロナが落ち着いたら」なんて言っていて落ち着くこと決してない。


落ち着く訳がない。なぜならば、世界は自分で選択するもの。


自分で動かなければ何も変わる事はない。


結局、自分でマスク外して、終了しなければ、コロナは永遠に続く。


結局、自分が「こうしよう」と思って動かなければ、何も変わる事はない。


そして、

【子牛、子馬、子豚、子羊などを、何も疑問に思わずに、

美味しいと言って食べる】という事は、


【自分の子どもが連れ去られて、何の疑問も思わず美味しいと言って食べられてもしょうがない事を容認している】


という事なんだと。


【わたしたち人間を、虫くらいに思っている大きな生物などいるわけがない】

などと、何故?言い切れるのか。


魚だって、豚だって、まさか食べられるために育てられてる、なんて夢にも思わないだろう。

人間も『人間牧場、オッケー牧場』で食べられるために育てられてる、なんて夢にも思わないだろう。


みたことがない事=いない事だとは言えない、というのは、実はわかっている事なのではないか。


殺人が無くならない、強盗が無くならないのは、

【すべての人の奥底にある意識】が

『力のあるものが得る事が許される』

『力の無いものは淘汰される』

というのは当たり前だ

という思い込みによるものではないであろうか。


その思い込みこそ、人間の意識であり、

【人間を虫のように食べる巨人】を突き動かす潜在意識なのであると。

『虫だろうと命は自分と同じ命なのだ』


時代が創った【人間の本来持つ意識とは逆の意識】それは

~弱肉強食の世の中~


そしてさらに、【自分一人くらい関係が無い】という思考は、

弱肉強食社会を肯定し、本来人間の持つ愛の精神を不安定にし、暴走させる。


その根本を変えなければ【誰かに何かされる】という根本的な不安は、

いつまで経っても解消される事は無い...


いざ、すべての人が「創られた」常識から抜け出す時がきたのだ。


「2話へ続く」→→→

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