のこった
ここで、大相撲の力士になるための条件、というものをいちおう軽く説明しておこう。大相撲の力士だけが力士のすべてではないし、アマチュアの世界では女性がまわしをしめてスポーツ競技として相撲をやるというのも全く無いわけではないのだが、マイは別にそういうものは全くやっていないし、何より「大乃国以来の、次の北海道出身横綱になるのはあたしなんだよ。どすこい」と本人が言ってるから、大相撲の力士ということでよいのである。
さて、大相撲の力士になるためには、新弟子検査を受けないといけない。まず義務教育を卒業していること。この条件はマイも満たしている。二十三歳未満であること。これも満たしている。健康状態に問題がないこと。これはちょっと、あとで説明するが微妙。身長167センチ以上、体重67キロ以上であること。マイは小柄だし細身なので、どっちもダメ。そして最後にこれを言うが、「男子であること」である。前述の通りマイは女である。子供の頃に一緒に風呂に入ったことがあるから、それは絶対に間違いはない。大相撲の世界は厳しく女人禁制だ。つまり完全にダメである。説明せずとも分かっていたとは思うが、つまりマイは絶対に力士ではないし、力士にはなれないし、力士であったこともないのである。
さて。マイには力士を自称することのほかに、もう一つ非常に厄介な奇癖がある。俺はマイが持ってきたスーパーの買い物袋と、袋に入っているレシートを確認する。商品を照らし合わせる。一つだけ、レシートに記載されていないものがあった。チューインガムだった。200円くらいの。
「マイ。これは、金を払ってないな?」
「うん。ごめん、またやっちゃった。どすこい」
「じゃ、今日も行ってくるから。ちょっと待っててな。ごはんは作っておいてくれな」
俺は自宅を出て、同じアパートの一階にある、小さなスーパーマーケット、といっても個人でやっているので八百屋に毛が生えたくらいなものだが、そこを訪れた。店主に、いつものように謝罪する。
「マイが今日もやりました。すいません、レジ通してください」
「はいよ。北野君も、相変わらず世話女房だねえ」
「はは」
俺は現金でチューインガムの代金を払った。この店主は慣れているのである。
何故って。
マイがこの店でガムやら飴やらを盗んでくるのは、毎日のことだからだ。ここに住み始めて一年くらいは経っているが、やらなかった日、というのが果たして一回でもあったかどうか。そういうレベルだった。
マイは障害者手帳を持っている。地域住人からも、存在を受け入れてもらっている。だが。彼女の負っている心の傷は、とても重いのだ。
「おかえりどすこい。ちゃんこできたよ。ごはんもたけたよ。どすこいどすこい」
「うん。それじゃ、ごはんにしような」
俺はマイと一緒に食事を始めた。だが、五分後くらいの事だった。うっ、と言ってマイは口を押えた。
「マイ。トイレ行ってこい」
「う、うん。ごめんねどすこい」
マイはトイレに行き、そこで食べたものをすべて吐いた。
マイには診断済みの病名が二つある。一つは病的盗癖、クレプトマニア。もう一つは、拒食症だった。かなり重度の。
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