蒼き雷刃の真性異言
雨在 新人
幼年期0章 第七皇子と乙女ゲーヒロイン
神との邂逅、或いは転生譚としての蛇足
ふと、暗闇で目を覚ます。両の手で頬に触れ、首筋を通して肩まで流す。
その感覚が有ることに安堵し、吐き気を催す。
突然の自分の体すら見えない暗闇の中でも、俺は、体は……万四路を殺したこの忌まわしいモノは此処に確かにあるのだと。
『これはこれは、実に小さく可愛らしいお客様だ』
暗闇に、ぼんやりとした影が浮かび上がった。
いや、影なのだ。それは確かなのだが、目の前すら認識できない真っ暗闇では、その影と分かるナニカは淡く輝いて見えた。
輝いているのは影だけ。右手を目の前に翳してみてもその影は見え、影が輝いているならばそれを遮るはずの手の姿は何処にもない。
「……お客、様?」
『そう、お客様。ようこそ、輪廻に還る狭間の世界へ』
その声は優しく、そして何処までも胡散臭く響く。
「りんね?」
理解できないというように、俺はぼんやりと聞き返す。
いや、知っている。道徳の本で読んだのだから習っている。ただ、脳が理解したくないだけ。
輪廻転生。死者の魂が生まれ変わる事。
『ああ、小さな客人、君はあまりにも残酷な真実に気が付いてしまったのだね、おめでとう』
声は、人のそれ。何時しか姿を取っていた影も、人という形状からそう外れてはいない。けれども何処となく異形に見える尖った足先や頭、そして幾重にも突きだした首筋から察するに……影を取った彼の姿は道化だろう。
いや、彼というのが正しいかすら分からない。響く声は男にしては高く、けれども女にしては低いもの。判断はつかない。
色々と不可解だが、死後の世界の事なんて何も知らない。認識している常識が通用しなくても何も可笑しくはないのだと割り切る。
道化師が、影だけの姿で語る。そんな事もあっても可笑しくはないだろう。何たって、俺が今まで13年も生かされていた狂った世界の先だ。
不思議と混乱は無い。ああ、やっぱりかと思うだけ。暗闇だと認識した瞬間に、何となくそんな気はしていたから。ただ、死を祝われたのが少し……頭に来た。
俺は、祝われるような何かを……為せて、いなかった気がして。
そんな人生に、何か意味はあったのか。居ない方が良かったんじゃないか。
こんな、俺なんか。
漠然と、分からない不安だけがあって。
「死んだのか、俺は。それで、ならば貴方は死神だとでも?」
思い出せないそれを振り払うように、俺は声を紡ぐ。
『おやおや、客人。取り乱さないのかい?それはいけない、死とは人生において何より大きな一大イベントなのだから。何よりも楽しまなければ、死に失礼ではないか』
言われ、有ることしか分からない体で、動くことは分かる脳味噌を回転させる。
……覚えていない。俺は誰で、何時何処でどうして死んだのか、そんな簡単な事すら、上手く思い出せない。
ふと、体が震える。ならば、俺は誰だ?そんな恐怖に駆られ頭をかきむしる。
覚えてなくちゃいけない大切な事。守れなかったもの、守らなきゃいけなかったもの。全て……忘れちゃいけない筈で。
収まらない。実在認識出来るだけの触感、それしかないからか、どれだけ頭を抑えても何も変わらない。
『イィィッヒッヒッヒ!そう、それさ!それこそが死の醍醐味!』
文字通り道化のように、影の尖りが下を向き、笑い声が響く。恐らくは、喉を抑え、上を向いての道化笑いなのだろうが、影では判断がつかない。
『それが見れただけでも、門を開いておいた甲斐はあったよ。
さて』
ふと、影が此方を見据えた、気がした。
途端、体が硬直する。元々有ることくらいしか分かっていなかったが、指一本動かせないと感じる。けれども、口だけは動く。
『客人、君はまだまだ若くして脳味噌を床にぶちまけて死んでしまった。ああ、なんたることか。まだ前途がある君は、若くして永遠にそれを生きる術を失ってしまったのだ。
ああ、具体的に言えば、君はバスケットボール……分かるかね?こういう丸いものさ』
と、大きめのボールらしきものが、影に加わる。
『君は、このボールを集めた籠に、思い切り頭をぶつけて死んだのさ。憐れに!無様に!何者にも助けられることなく!』
道化の腕が、目頭だろう場所を抑え泣き真似る。当然泣いてなどいない。死を祝った彼が、今更泣くなんて有り得ない。
『さて、可哀想な君には、二つの選択肢をあげよう。
一つは、このまま輪廻の輪に戻り、新たなる存在として転生すること。当然ながら、客人はもう客人であっても客人そのものではなくなる。
ああ、けれども君はきっとこの道を選ばないだろうね、客人』
どこまでも猫なで声で、道化は言葉を続ける。
『もう一つの道はそう、おすすめの道さ。自分が誰かすら分からなくなって消えていく恐怖!それを体験した客人は、勇気があるならばきっと此方を選ぶ』
ケタケタと高笑いしながら、道化は続ける。柔らかく熱い何かが、頬を撫でる。
「もう一つの道?」
『そう!もう一つの道さ。
客人は客人のまま、新たに人生をやり直す。所謂異世界転生、という奴さ』
「異世界転生?」
思わず、聞き返す。
読んだことがあるような、無いような。死の間際に異世界へと飛ばされた兵士が、翼の靴の聖戦士と呼ばれて異世界で戦うという物語。って、それは転生というか転移か。
『ああ、安心してくれて良い。どんな酷い世界に転生させられるのだろうかという不安ならば必要ないよ、客人。
君を招待するのは、君の大好きなゲームの世界さ』
「ゲームの、世界?」
……自分の名前すら忘れているというのに、それだけは思い出せる。よっぽど、生前の自分はそのゲームに関して時間と情熱を注いでいたのだろう。
遥かなる蒼炎の紋章。そう呼ばれるゲームに違いない、のだろう。
いや、他のゲームやったこと無さすぎるだけか。
「いや、ゲームの世界にってどういう話だよ」
それは、当然の疑問だった。ゲームは、あくまでもゲームなのだから。その世界にと言われてもよく分からない。特に、あのゲームは所謂SRPG、ユニットを動かして敵と戦わせるシミュレーションゲームでもある。自分がその世界で、ユニットとしてプレイヤーに動かされるのか?それは……嫌だ。
自分の命運くらいは、自分で決めたい。
それが例え、一見とても簡単に見えて、殆ど誰しも果たせない程の無理難題だとしても。
『ああ、語弊があったね。
君が転生するのは、何時か誰かが夢の中で見て、未来予想を描いた世界。言うなれば、君がやっていたゲームとは、その世界を夢で垣間見た人間が造り上げたシミュレーションなのさ。
つまり君は、あの娯楽に極めて近く、限りなく遠い世界で、改めて生きる事になるのさ』
「何故、俺なんだ」
姿のはっきりとは見えない影の、それでも恐らくは眼があるだろう位置へと目線を動かし、問い掛ける。
『これは、正直な話だけれども。
誰でも良かった。だから、門を通りこの地にやって来た迷える魂に、話を持ち掛けた訳だよ』
影が、自身の服の中を探り、手らしき部分に一つの、それと分かるものを取り出す。
燃える玉。影のようにぼんやりとしてはおらず、明確な形をもって輝いている。
その燃え盛る表面へと、道化は顔を近付け、躊躇いもなく焔を嘗めた。
……燃えない。燃えそうでいて、その焔はまるで燃やす実体がないかのようにただただ嘗め取られる。
『これを取り込むと良い。それが、転生を助けてくれるだろう』
ぽいっと、手首だけで道化が果実を投げて寄越す
慌てて両の手でもってそれを掬うように受け止める。何時しか、体は動くようになっていて。
「……っ!」
同時、両の掌に感じたのは灼熱。
火なんてまともに触れたことはない。星空キャンプの夜、面白がって松明の一本を脇腹に押し付けられた時くらいだろうか。
それが何時だったかは、覚えていないけれども。覚えていないならば、きっとそんなもの、俺にも相手にもどうでも良い事だったのだ。
痛い。熱いのではなく、ただただ痛い。
くつくつと、含み笑う声が響く。
『道化が真実しか語らなければ、それは単なる語り部に過ぎない。そうだろう?
その林檎は、君の魂を焼き尽くす地獄の焔の塊、地獄の果実。
私は君に一つ、嘘を吐いた』
ふと、視線を感じた。彼は、何かを待っている。
手の焔は少しずつ燃え広がってゆく。掌から甲、腕、もう肘までも灼熱しか感じない。
……考えるまでもない。彼は一つ嘘を言った。
勇気があるならば、きっと。
躊躇わず、首を伸ばし果実にかじりつく。
歯で焔を巻き込んで削り取り、舌を焼かれながらも無理矢理に咀嚼する。苦くて、苦しくて、あまりにも甘い矛盾した味が口の中に広がる。
『はい、御仕舞い。
全て食べてはいけないよ。それは原初の罪人ですら出来なかった話だからね。人には許されてはいないのさ』
焔をものともせず、果実は道化に取り上げられた。
『うん、思い切りが良いね。かじりすぎだ』
俺の残した歯形を繁々と眺め、道化は呆れる。
『どうして、かじってしまったのだい?』
「わざわざ嘘を言ってくれたじゃないですか」
そう、分かりやすかった。
果実は転生を助ける。果実は魂を焼き尽くす。一つだけが嘘ならば、どちらかは本当だ。
そして、勇気あるならば転生を選ぶと道化は言った。
ならば、転生に近いのは勇気をもって言われた通りに果実をかじり、取り込むこと。
わざわざ矛盾点を言ってから嘘を付いたと宣言してくれたのだ、これほど分かりやすい答は無い。
道化が悲劇を演出するために本当にかじれば燃え尽きるものを渡していた可能性はあった。だが、それを怖れて迷っていては意味がない。信じて無視した。
直感を信じる勇気、ただそれだけに全てを託して。
意識が薄れていく。
認識していた体が、確かに其処にある、と思えなくなってゆく。
視界がぼやけ、道化の影が焔のように揺らめきだす。
『……よい夢を、客人』
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