第68話 地獄の呪い

「どうしてディダルがここに?」

「私が呼んだ。ディダル殿は母上の元仲間だ」

「……ええ!?」

「あー、確かにそうだったなァ」


 初耳すぎる。まさか、あの嫌味な冒険者であるディダルと母さんが一緒に冒険をしていたなんて……。


「今は私に冒険者として手ほどきをして頂く講師というわけだ」

「はぁい。そういうことでぇす。しかし、まさかレイラの息子が君だったとは――驚きでしたね」

「母さんの……」


 母さんはどんな人だったのか、母さんとどんな冒険をしたのか。気になるところではあるが、今回の本題はここじゃない。

 俺はグッと堪えて親父の部屋へと向かう。


「では、私とディダル殿は別所に居ます。兄様は離れをご自由にお使いください。いつものように、夕餉などは自動的に運び込まれるので」

「ああ、ありがとう」


「すげぇ態度の変わり様だなァ。ミアの奴」

「元々、生真面目な妹なんだ。キッチリとしてる」

「違いねぇ」


 今までの態度から一変させて、妹らしく振る舞うミアの姿を見てクラノスが肩を竦めていた。俺としては、ツンケンとした妹の方が珍しいというか……。なんというか。

 いつも俺に懐いてくれていたイメージなんだけどなぁ。なんて思いつつ、親父の部屋にやって来た。この扉。見るだけ息が詰まってしまいそうだった。


 物心ついた時から、この扉を越えて親父の部屋に入る時は大抵ロクでもないことが待ち受けていた。

 家を追放されるっていうのは、その最たる例だろう。


 一応の礼儀として、俺はドアをノックして返事を待った。


「……」


 帰ってこない。ノックに返事を返せないほどに衰弱してるってことなんだろうか。

 俺は取り敢えず扉を開けて中へ入った。


「……っ!」


 そこにあったのは親父“だった”もの。

 既にその身体は半分以上溶けており、呪いとも言えるような真っ黒な空気が親父の周辺に漂っていた。


「あのオメガニアがこのザマとはなァ。これが次世代にバトンを渡すってことなのか?」

「いいや、これは……」


 思わず、視てしまった。

 この部屋の魔力の流れ。明らかに淀んでいた。

 人為的だ。

 何故かは分からないが、この部屋に“呪”が集まっているのだ。そういう魔力の流れが生み出されている。一体、誰がどうやって?


 俺は確かな悪寒を感じつつ、親父の見舞いよりも部屋の調査を優先した。


「どうしたんだメイム」

「一つ、気になることがあって」


 風水?

 それとも占星術的なもの?

 どちらにせよ、この部屋の配置――俺が知っている部屋の配置じゃない。不吉な部屋の模様。ただ、これは願掛けみたいなもの。

 もっと直接的なのは、やはり魔力の流れだ。


 どこからか、呪が運ばれてきている。

 一体、どこから?


「親父は……今まさに殺されかけているのかもしれない」

「誰にだ?」

「分からない。いや、可能性として考えられるのは……」


 ディダルはあり得ない。

 だって、ディダルがそんな素振りを見せたならミアが見逃すわけがなかった。じゃあ第三者がいる? それも考えにくい。第三者がオメガニアの敷地にいるのならば、これもやはりミアが対処するからだ。


 じゃあ、誰?


 消去法で考えると、答えは一つしかない。

 いや、この場合誰が親父に呪いを集めていたとしても――。ミアが関与していなければならないのだ。


 ディダルにせよ、俺たちの知らない第三者のせいにしろ。その悪行をミアが懇意的に見過ごさなければならない。


 でも、それは俺としても信じたくなかった。

 ミアはああ見えて、優しい妹だ。多分。なんだかんだ言って、家族のことを大切に思っていたはず。だっていうのに、そんなことをするとは……信じたくなかった。


「ううん、まだ分からない」

「そうか。分からないなら誰も信頼できねぇってことだな?」

「そうなるな……」


 部屋の調査を終えた俺は、親父を一瞥する。

 やっぱり、自分の妹が肉親をこんな酷い姿にしてしまったとは思いたくなかった。ミアじゃないと確信を持つためにも、俺はこの嫌な魔力の流れを追うことにした。


「で、今は何をしてんだ?」

「魔力の流れを追ってる。どこからか、呪いのようなものを集めているみたいだからな。クラノスはミアやディダルが近くにいないか見ておいてくれないか?」

「ああ、構わねぇが」

「助かる」


 親父の部屋に漂っていたどす黒い呪いを追いかけていく。

 俺が立ち入りを禁じられていた本邸の内部。今は緊急事態だ、家族のルールを無視して俺は先へと進んでいく。離れも俺一人で使うにはかなり大きかったが、確か本邸はその数倍くらいの大きさがあったはずだ。


 それはもう家とは思えない設備と入り組みようだった。


 一体何に使うのか分からない部屋や、資料などが置かれた巨大な図書室。あるいは触媒や素材などが保管された研究室。


「流石は魔法王と呼ばれるだけはあるなァ。オレじゃその価値は欠片も理解できねぇが」

「俺を含めて一般的な魔法使いなら泡吹いて倒れるくらいだな……」


 本当なら、一つ一つを手に取って精査したいくらいなのだが……今はそんな暇は欠片もない。少しばかり惜しいが、貴重な品々に別れを告げて俺たちはどんどんと歩みを進めて行く。

 およそ、本邸を歩き回ること五分ほど。

 たどり着いたのは地下室へと続く石階段。明らかに、下からの空気が濁りきっていた。


「魔力に疎いオレでも分かるぜ。“ここ”からだな」

「ああ」


 覚悟を決めて、俺は階段を降りていった。

 古来より、魔法や呪いを扱うならば地下がいいと相場が決まっている。地下は冥府と近いとされ、生命を鈍化させる。それは一転して、負の素養を多く持つ魔法の分野に対して高い親和性を発揮していた。

 つまり、ネクロマンシーや呪いというような魔法である。


 一方、回復魔法や奇蹟などの正の要素を多く含む魔法は高いところが“聖域”とされている。聖職者が天に贄を捧げるのに対して、多くの魔法使いが地下へ何かを埋めていくというのも、そういうことなのだ。


「しっかし、この先に何があるのかねぇ?」

「俺はこんな場所に入ることは許されていなかったから、検討もつかないな……ただ、ロクでもないものなのは確かだ」


 一段、一段降りる度に肌を焼き付くような嫌な圧が、ドンドンと高まっていくような気がした。

 目眩すら感じてしまうような、悪いもの。それが地下から上へと汲み上げられていた。

 ただ、あの親父を蝕むほどの呪いには“まだ”足りていないようにも思える。親父はこの国最強の魔法使いなのだ。

 ちょっとやそっとの呪い、あるいはある程度高位の呪いですら、自動的に跳ね返す。まぁ、この下にあるものを見れば理屈が分かるかもしれない。

 そう期待して、俺は階段を降りきった。俺の視界に入ってきたのは……。


「……これは」


 広々とした薄暗い地下空間に。

 おびただしいほど積もった人骨。そして、恐らくそれらの人骨で作り出されたであろう――謎のモニュメント。

 恐らくあれが、呪いの本陣なのだろう。


「なんだァ、ありゃあ」

「……分からない。いや、本当になんなんだ、この景色は」


 何故、地下にこれほどの骨が散らばっているんだ。多分、これは大規模なネクロマンシーの一種だ。この人骨たちにこべりついた悪感情を、あの骨のモニュメントで集積して親父に打ち込んでいる。

 それは分かる。

 だけど、これほどの死体をどこから?


 ミアがわざわざ運び込んだのか。いや、それは非現実的だ。だとすれば、合理的に考えてこの骨は元々ここにあったものと考えるしかない。

 なんなんだ、ここは……。

 意味が、分からない。


 ゾクゾクと、死神が俺の背を撫でていった。


「全く。困った兄様ですね」

「……!」


 かつん。

 かつん。

 かつん。


 あの靴の音が響いたかと思えば、背後からそんな声が響いた。

 この声は……。


「ミア! これは、どういうことなんだ!?」

「どういうことも、こういうことですよ。それとも――やはり出来損ないの兄様では、この程度も理解できないのでしょうか?」

「ミアなのか? 親父を殺そうとしているのは」

「どうせ、もう直に死ぬのだから。いいのでは?」

「……そんな言葉、ミアから聞きたくなかった。この意味の分からない像は潰すぞ」


 ミアがレイピアを引き抜いた。

 ――とぷん。

 この部屋を満たすほどの魔力が一気にミアから広がった。しかも、これは脅しじゃない。ミアは本気で魔法を放つ気だ。

 ビリビリとした魔力。その威圧が部屋中に走る。


 カタカタカタカタ。


 ミアの魔力によって人骨たちが打ち震え、不気味なオーケストラが奏でられ始めた。


「それは私のセリフです。ですが、兄様が私の邪魔するというのなら――容赦はしません」

「メイム! オレの後ろに居ろ!」

「クラノス、鎧は?」

「まァ、なくてもなんとかならぁ!」

「見くびられたものだな。ならば、受けて見ろ」


 部屋に広がった異常な魔力がレイピアの先に収束。

 暗闇を切り裂いて、閃光が走った。


「来い、相棒!」


 クラノスの手に魔方陣が広がったかと思えば、いつもの大盾が出現。クラノスはミアが放った火柱を受け止め、天井へと受け流した。


「ったく。マジで殺す気だっただろ。冗談じゃ済まされねぇぞ」

「言ったでしょう。兄様、矛を収めてください。私に従って、父上を看取ってください」

「……それは、できない。妹が親父を殺そうとしているのを黙って見過ごせるわけがないだろ」


 くるりと、レイピアを回して。

 ミアは俯いた。

 かん、かん、かん。レイピアで、三度地面を突けば。


「そうですか。では――残念ですが、さようなら」


 面を上げたミアの眼光は、酷く冷たいものだった。

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