この世界にふたりだけ?

「……なんでここにいるんだ?」

「なんでって、だってここは学校だよ?」


 時刻は朝の九時を過ぎており、いつもであれば完全に遅刻である。

 だが、見慣れた教室は、まるで二時間の勘違いをしたように閑散かんさんとしていた。


 窓際の机に腰かけている銀髪の少女が一人だけ……、他の生徒は誰もいない。

 もっと言えば。


 外を見渡しても、人の一人もいなかった。

 車道を走る乗用車も、駅前のロータリーに並ぶはずの行列も。


 交差点の信号機はずっと黒を示していた。

 つまり、この教室どころか世界で今、彼女と二人きりである。


明城みょうじょうくんは、なにも知らない?」

「知らない。……大規模な避難訓練でもしてるってわけでもなさそうだ」


 朝、目を覚ました時点ではなんの疑問も抱かなかった。

 両親は仕事だし、妹も学校に向かった後なので、家には誰もいなかったのだ。

 遅刻確定だと気づけば、焦りもしない。

 ゆったりと学校へ向かう途中で、初めて異変に気づいた。


 近くに誰もいない感覚。似たものを感じる事は以前にもあったが、本当に、遠く離れた場所だろうが誰もいないと分かってしまった時の、背筋が凍った感じは印象深い。


 テレビ番組でナレーションよりも早く心霊映像に映る幽霊を見つけてしまったような感覚に近いのか……。


「大したことない、って思ってそうだね」


「まあ……そうかもな。だって昨日の夜にはおやすみって言ったんだ、両親妹ご近所さん全員が一夜で消えるってのは、あり得ないだろ」


「あ、妹にもおやすみって言うの?」

「……それで、このおかしな状況について、月宮つきみやの方は?」


「妹ちゃんにおやすみとかおはようとか、毎日言ってあげてるの?」


 周りがうぜぇだのブスだのと姉妹の事を悪く言う中でからかわれたくないので隠してきたが、思わずこぼしてしまった事実に彼女が食いついた。

 窓際でいつも本ばかり読んでいるくせによく周りに耳を傾けているものだと感心する。


 表情だって滅多に動かさない、深窓の令嬢の印象が嘘みたいだ。

 こいつ誰だ? と思わず言ってしまいたくなる。


「……たまに言うくらいだよ。昨日がたまたまだったんだ」

「優しいんだね、おにいちゃん。意外……でもないかな。妹想いの感じはするし」


 妹を悪く言う姿の方が見てて無理してる感じだった、と彼女は感じていたらしい。


「安心していいよ、たぶん私だから気づけたと思うし」

「お前も……月宮も、ここまで活発に喋るとは思わなかった」


「気分が乗れば喋るよ。人を暗いコミュ障みたいに言わないでよ、失礼しちゃうわ」


 唇を尖らせてぷいっと視線が逸らされた。セミロングの銀髪が頭の動きについていく。

 誰かの霊でも憑依しているのかと思うほどに、今までのイメージが崩れていく。


「気分が乗れば、って言ったけど、じゃあ今は気分が乗っているのか? この状況で?」


 逸らした顔のまま、視線だけをこちらに向けて、


「私もどうしてこんな世界で明城くんと二人きりなのかは知らない。だけど、だからこそ面白そうって思わない? 後ろ向きに考えたら気分は落ち込むばかりだよ。前向きに考えようよ、学校をサボれる以上に、誰もいないなら好き勝手し放題だよ?」


 もちろん、犯罪行為に手を染めるとか、そういう話ではない。

 お店に人がいないからって、自由に商品を取っていいわけではない。


 あっさりと、この異常事態が元に戻った時、商品の数が合わなければ簡単に犯人は絞り込まれる。この姿や会話だって仕掛けられたカメラで撮影されているのかもしれないのだ。


 大がかり過ぎるドッキリ……であってほしいが。そう考えると不用意な発言は控えるべきか。

 後々に見返して、うわぁ……、と悶えたくなるような状況はごめんである。


「……前向きに、か。それもそうだよな」


 後ろ向きだった自覚はなかったが、

 この状況をちょっとやばいと感じていたのは確かだった。

 ……それは悪い事でもない気がしたが。危機感がないのもそれはそれで危険信号ではないか?


「月宮がいたなら他の誰かもいそうな気がするけど……月宮は誰かと連絡を取ったか?」

「いると思う?」

「…………ごめん」


 したと思う? ではなく、それ以前に連絡を取るような知り合いがいないのだろう。

 月宮は、明城から見て、見た目は可愛く、今のような明るい調子で話しかければ、男子からの人気もさらに上がる事だろう。

 普段は消えそうな声でしか喋らないので近寄りがたい雰囲気を放っているが、男子からは密かに注目されている。細いその見た目から、病弱そうな印象が男子は好物なのだ。


 で、そうなると女子側からは嫌われる傾向にある。見た目が良いだけでなにかと目の敵にされる。明城には女子の世界は分からないが、陰口を聞いていると、明らかに月宮の話題が多い。

 派手になにか嫌がらせをされているようには見えないが、当然、見えていない場での事は分からない。仲良しグループで組む授業の時に、いつも一人で余っている事を思い出すと、こんな時に連絡できる友達などいないのだろう。考えなしの不用意な発言だった。


「明城くんが確認してよ」

「俺は……」


 取り出したスマホを操作して、指が止まる。……さて、誰に連絡する?


「どうしたの?」

「いや……、ここで連絡して、なんで一番目に俺に? って思わないかな……?」


「……? クラスの鬱陶しい仲良しグループにいるよね、明城くん」


 鬱陶しい……? は、ひとまず気にせず、思いついてグループチャットを開いてみる。

 数人が一堂に集まっているので、一声かければ全員から反応が得られる。……が、


「でも俺、自分から発言した事ないんだよな……レスポンスを返すことはあっても」


 全て受け身であり、理由がなければ自分から連絡を取った事はなかった。

 理由と言えば、今のこれも当てはまるが、相手も同じ状況であれば当然、グループチャットにメッセージを入れるはずなのだ。なのにないという事は、……そういう事だろう。


「そこ、躊躇う必要あるの? 普通に元気? って入れれば、返事がくるんじゃないの?」

「そうだけど……」


 指を彷徨わせている間に、画面が黒く染まった。それを機にスマホをしまった。


「月宮が耳を傾けて得ている情報ほど、俺はあのグループに溶け込んでいるわけじゃない」


 仲は良い、授業中もふざけてお喋りをする、授業でも一人、余る事はないだろう。

 放課後、そのまま遊びに行く事も多々ある。だけど、それは数人がいてこそなのだ。


 会話が飛び交い、割り込みがあって、ボケてツッコんで、それらが機能した中でひとまず違和感なく会話に混ざれるくらいでしかなかった。


 これが一人ずつ顔を合わせて、になってしまうと、会話が、がくんと減ってしまう。


 まったくないわけではないが、間が多く、気になる。

 間を埋めるために無理して話すと、

 相手もまた妙に力が入って、短い時間でも疲れがどっと出る。


 所詮はその程度。友達であって、親友は一人もいない。

 ハリボテがたくさんあっても、ホンモノは手元になかった。


 見てくれが良いだけで、実際の交友関係は月宮と似たり寄ったりかもしれない。


 充分に恵まれているくせに、贅沢を言うなと怒られそうだが。


「なんで私が可哀想みたいになってるの。別にあんな奴らと親密になりたいわけじゃないから」


 クラスメイトをあんな奴らと言った。一応、一年間は共に過ごした仲間だが……?


「連絡はするだけ無駄かもね。私、明城くんが来る前に警察に連絡したけど、誰も出なかったし、あらゆるお店に電話したけど結果は同じ。お店の番号ならたくさん知ってるの。登録件数は一〇〇〇を越えてるわ!」


 電話帳のスクロールがトイレットペーパーくらいありそうだった。

 それも驚いたが、電話帳を久しぶりに見た。


 今はほとんどアプリ内での連絡しかしてこなかった明城である。

 なぜだが、月宮が取り出したのがスマホで安心した。


「メールもひっきりなしにくるから振動がうるさいのよね」

「お店からね」


 そのメールも今日はきていない。

 インターネットサイトへも繋がらないし……つまり今日の天気予報すら分からない。


 空を見れば晴れだが、午後から崩れるとしても、それを知る術がなかった。


「やっぱり、人は探さなくちゃな。前向きに考えるなら、せっかくだし遠出でもするか」

「あ、私ね、行ってみたい場所があるの!」

「どこ?」


 聞いた行き先の行き方を調べようとして、……あ。


「インターネット、使えないんだ……」


 検索に頼り過ぎている、と自覚できたのは良い経験なのかもしれない。


 ―― ――


 キーを差し込んで右に捻る。


 メーターの丸印に光が灯り、

 ブレーキと一緒にハンドルのスイッチを押すと、エンジンがかかった。


 しばらく待ってガソリンの有無を確かめ……、半分が入っていた。


「まあ……足りるだろ」


 足りなくてもガソリンスタンドに寄ればいい。数百円で満タンにできるのだ。

 高校生のお財布事情に優しいので、いつも助かっている。


「おー、かっこいー」


 隣にいる月宮へ、ヘルメットを渡す。

 ん、んっ、という短いやり取りがあった。


「……髪型が崩れるから被りたくないんだけどなー」

「被らなくても向かい風でどうせ崩れるよ。意外とヘルメットをしてた方が崩れないもんだ」


 疑う視線が向けられたが、明城はそれ以上は言わなかった。

 あとは好きにしてくれ、である。


 ――ついさっき、学校から出て、明城の家へやってきた二人だった。


 月宮が言う、行きたい場所は遠く、いつもなら電車を使う。確か、路線を変えずに一本だったはずだ。しかし世界がこんな状況で、電車は動いていない。

 となると移動手段は徒歩か、自転車か、バイクになる。

 ちょうど、明城がバイクを持っていたので、それを使う事にしたのだ。


 明城もヘルメットを被った。するとバイクが一瞬、沈み込んだ。

 明城の後ろに腰を下ろした月宮だ。彼女も結局、明城に従って、ヘルメットを被っていた。


「もうちょっと前にいって。後ろの、この硬いのがお尻に当たって痛い」

「少ししかいけないんだよ。二人乗りしたらダメなやつだし。少しはがまんしてくれ」


 月宮が乗った事で、車体が傾きやすくなる。

 いつもと違う感覚に、まともに運転できるのか、少し不安になってきた。


 しかし道路は貸し切り状態だ。

 慣れるまでは時速一〇キロ程度で走り、段々と速度を上げていく事にしよう。


「じゃあ、動くぞ」

「はーい」


 月宮の手が明城のお腹に回る。

 さらに、ぎゅっ! と密着され、背中に柔らかい感触が当たった。


 咄嗟に急ブレーキである。


「わっ!? どうしたのっ、故障!?」

「……くっつき過ぎ」


「いやだって、落ちたら恐いし……」

「そんなにスピード出さないから。掴むのはいいけど、あんまり力を入れないでくれ……」

「分かった」


 お腹に回った手の力が緩んだ事で、背中の感触も消えていった。

 名残惜しくもあったが運転に集中できないのでこれで良い。


 そして二度目の出発である。ハンドルを手前に捻ってタイヤを回す。


「きゃー、こーわーいー!」


 自転車よりも遅い速度なのに、月宮が急に恐がりだし……、ただし棒読みのセリフだ。

 さっきと同じように明城の背中に、力強く密着してきた。


「お、おまえな……っ!」

「振り落とさないようにしてね?」


 そして、二人の旅が始まった。


 ―― ――


「なあ、なんで新宿に行きたいわけ?」

「聞こえなーい」


 時速三〇キロも出ていないし、まったく風も切っていないのに、聞こえないわけがない。

 こいつ、言いたいだけである。


「あはははは! 本当に誰もいないね! 信号だって無視し放題!」

「無視はしてないよ、だって点いてないんだし」


 交差点を、速度を落とす事なく通過した。

 すれ違った信号機の、並んだ三つの丸の全てが黒である。


 もしも点灯していたとしても、きっと無視していただろう。

 二人乗りをしている時点で、少々の違反はするつもりだった。


 だが、律儀に曲がる時はウィンカーを出している。


「そう言えばヘルメットもそうだね。注意されないのに被ってる」

「これは安全面を考えてだ。転んで頭を打った時、あった方がいいだろ」


 違反はし出すと止まらなくなる。だから守る部分は絶対に守ると決めた。


「それで? なんで新宿? なんかあったっけ?」

「色々あるよぉー」


 その色々が明城は分からないのだが……。


 普段から遠出をせず、最寄り駅の近くで買い物やら遊びを済ませる明城だ。

 県から出た事もなかった。近いようで、東京は滅多に行かなかった。


「……あ、オカマがいるんだっけ?」

「絞り出してそれなの?」


 だが、その言い方だとどうやら正解のようだ。

 明城の知識ではそれが限界だった。


「なんでもいいけどさ、人がいないって事を前提で考えろよ」

「人がいないからいいの」

「?」


 行きたいお店があるわけではないらしい。この状況を考えれば、楽天的過ぎるか。


「えっと、明治通りに乗ればいいのかな……?」


 バイクを道の端に止め(別にど真ん中でもいいのだが)、スマホを取り出し、地図アプリを開いて現在地と目的地を確かめる(地図は開けるのか……)。

 道順を把握しておかなければならない。もう、ここは未知の世界なのだ。


「あぁ、あれいつもの電車か……あれを辿って行けば……じゃあ坂を上がって、真っ直ぐか」


 道順がなんとなく分かったところで、一旦下りた月宮を呼び戻す。


 彼女はガードレールに腰を下ろして、退屈そうに駅前のロータリーを眺めていた。


「月宮、そろそろ出発しよう」

「ねえ、明城くん」


 月宮は視線をこちらに向けずに、


「人って、浮く事って、ある?」


 クラス内での月宮がそうなんじゃないか? とは言えない空気だった。

 そういう事を聞いているんじゃない。


 月宮の視線を追えば分かった。

 浮いている、と言うほどではなかったが、ゆっくりと、人間が落下している。


 傘を差したまま飛び降りたような、そんな動きであった。


 もちろん、傘など持っていないし、

 現実に傘を差したところで、滞空時間は伸びやしないだろう。


 二人きりだと思っていた世界にいた、三人目だ。


 ……自分たち以外にも人がいた事で、明城が安堵の息を吐く。


 人を見つけられた、という嬉しさが、

 目の前の異常な光景に蓋をしてしまっている事に気づきもしないで。


 すると、明城たちと年齢が近そうな少女が、地に足をつけた。


 桃色の髪を結んで、左右に垂らしている。

 服装は典型的なお遊戯会のお姫様のようだ。


 ファンタジー世界から出てきたような装飾過多な格好で、駅前のロータリーにまったく似合っていなかった。いや、魔法少女として見れば、はまっていると言えるのか?


 なんにせよ、普通は関わりたくないと思うだろう見た目ではあったが、こんな状況であっては、見逃すわけにもいかなかった。


 明城がバイクから降りようとした、その時である。


 少女が手に持っていた、おもちゃに見える光線銃を、こちらに向けてきた。

 先端の大きな丸に、螺旋を巻くコイルのような装飾。近未来的なデザインだが、昔の作品によく出てきたデザインなので、逆に古く感じた。


 はい、これが近未来感でしょ? と言われたようなあざとさである。


「た、ターゲット、見つけましたよ! ほら、目の前に、二人もいますっ!」


 明城たちに言っているわけではない。もしそうなら言葉が正しくない。


 ここにはいない第三者に指示を仰いでいるように聞こえた。


 もっと言えば、そうとしか聞こえなかった。


「いえいえ、隊長の手伝いなどいりません! 

 今度こそ、今・度・こ・そ、討伐してみせましょう!」


 光線銃の引き金に、少女の指がかかっている。


 しかしだ、駄菓子屋に売ってそうなあんなおもちゃを向けられて、危機感を抱く方が難しい。


 世界に自分しかいないと思っていた少女が、アニメや漫画に憧れて、そういう一人遊びをしているのだとしか思えなかった。


 だからハンドルに手は置いていなかった。

 それに、バイクから降りようとまで思っていたのだから。


「……なんだあれ」

「ね、やっぱり浮いてた」


 ただ。

 現時点のこの世界において、果たして浮いているのは、どっちだ?



 収録タイトル

『ログイン・ライン:異世界接続術と大混戦』

 https://kakuyomu.jp/works/16816452219639610548

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