第二十六話

偉炎は覚悟を捨てたりはしなかった。

 春風が舞う中で学校の屋上では二人は自身の髪がみだれながら作業に取り掛かる。

 ただ準備とは言っても拳銃を右手に、ハンガーを左手に持って透明のワイヤーに引っ掛けるだけだ。あとは、屋上のフェンスを越えてワイヤーをつたい、敵に急襲をかける。

「作戦はさっき説明した通りね。ちゃんと覚えているかな?」

「大丈夫だ。」

「あと、ARコンタクトでもしもの事があった時は連絡してね。とは言っても、一瞬の戦いだからしくじったらゲームオーバーだけど。」

「・・・」

 偉炎はここに来て自身の「死」が近づいていることに気が付いた。赤虎組のチンピラは目で見て確認できる範囲で五人いる。もちろん、武器を所持している。そんな相手に戦闘未経験の現役高校生が拳銃一丁で戦うのだ。無謀すぎる。それでも偉炎はすでに覚悟を決めていた。なぜなら、彼にとって普通でない生活というのは死より恐ろしいことであるからだ。

「私もすぐに行くから、あとは運に任せて大丈夫♡」

ここにきて今までの人生で一番安心できない「大丈夫」を聞いたところで偉炎は屋上のフェンスを越え、切風が設置したワイヤーにハンガーをかけた。そして春風が吹く中、少しだけ目を瞑り思いふけった。


「「戦闘シフトに切り替えます。準備はよろしいでしょうか?」」

 偉炎はついにワイヤーが張ってある屋上のフェンス外に立った。もし一歩でも足を踏み外したらそのまま落ちて死んでしまう。そんな不安を抱えながら彼のつけているARコンタクトが戦闘態勢に入ることを告げた。そして、切風からもらったどこの市販品かも知らないハンガーを体育館の屋上まで繋がっているワイヤーに引っ掛けた。

その時の彼は意外にも冷静であった。もちろん、これから起こる初めての出来事に対して、負の感情を持っていることは否定できない。しかし、拳銃を手にしてから既に二時間が経とうとしていた。そのため、彼は現在起こっている異常な出来事にある程度、慣れてしまったのだ。これは確かに、戦闘態勢に入るためにはいいことかもしれないが、果たして普通の生活を取り戻すことができるのかには疑問が残る。

「戦闘態勢に移行してくれ。」

 目の前が青くなり、戦闘のための情報が出てくる。


 偉炎は最後に自分の気持ちを整理した。

(くそっ、やっぱり怖い。そもそもハンガーで飛び移るだけでも何かの罰ゲームなのに・・・今ごろみんな始業式で覚えてもいない校歌でも歌っているんだろうな・・・僕もそこにいるはずだったのに・・・)

まず、負の気持ちから。

(でも、ここで何もしなかったら、普通に戻れなくなるのは確かだ。それは、自分が自分を殺すことと同じことになる!それぐらいなら、自分を生かすために他人を殺す!)

次に覚悟の気持ち、まさしく炎である。

そして最後に心の中でこう告げた、


(僕は普通だ!)


災厄の日常が今始まった。


「やるねー、あの子も」

 偉炎がワイヤーとハンガーを使って体育館の屋根に向かったのを見て切風はほくそ笑んだ。

(やはり、彼こそが私の願いをかなえてくれる数少ない希望と見て間違いなさそうね。)

切風は元々、本性を表に出す人間ではない。それは、今までの彼女の不可解な行動を見ればわかるだろう。しかし、彼女は一回だけ偉炎に対して本性を見せた時がある。それは偉炎を威嚇した時ではない、彼の気持ちを理解した上で、この学校の人を守ることを望むと偉炎に伝えた時だ。切風は心の底から平和を望んでいる。人々の笑顔とか幸せとかを見るのは嫌いではない。そして、それを侵害しようとする者がいるならば、全力で食い止めるのが信条である。そう、かつて彼女の大切な人がそうしてきたように・・・。

「さてと・・・。」

彼女は自身のARコンタクトを起動させた。そして、ある人物と連絡を取るように指示した。その後、数秒もかからないうちに切風のARコンタクトに応答マークが表示される。

「お疲れ様です閣下、先ほど最上偉炎が作戦を決行しました。閣下の予想通りです。・・・はい、・・・はい、分かりました、ではすぐに彼の援護に行きます。」

 切風は閣下と呼んだ人物との電話を二十秒足らずで終えると、彼女は事前に準備していた自分用のハンガーを手に取り偉炎の後を追った。切風が真面目に会話をしている姿を見たら果たして偉炎はどのように思うだろうか。

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