第5話 このままじゃいけない

 フリーは第二グループでわたしはまだユリアちゃんと一緒に上位だった。

 わたしは観客席ではなくて通路裏の先にあったソファにずっと座っていた。


「あ、ユカ。写真撮らない?」

「いいよ」


 お互いに簡単な英語で写真を撮影することになったんだ。

 ユリアちゃんは淡い青い瞳がきれいで、淡い金髪をしているんだよね。

 今年十六歳になったばかりの彼女はとても頬を赤くしてこちらを見ていた。


「ありがとう。なかなか追いつけないよね」


 スマホで何かを見ているみたいだったけど、第二グループの六分間練習がスタートしているのが見えてきたんだ。

 彼女はずっと丁寧に話していることが多くて、楽しいことが起きているのが見えてきた。


「ソーニャ、とても強いんだよな。カーチャも」


 ソーニャというのはソフィアの愛称なんだよね。

 世界女王ソフィアちゃんは四回転ルッツをきれいに跳んでいて、とてもすごいことになっていたんだよね。


 軽々と羽が生えてそうなことを見ているけど、そのなかに体の変化とかを隠し去ってしまう。


 年齢も十六歳でここから体が大人の女性へとかなり変化していくので、そこが懸念されていくのが成長期に入るときのつらいところだ。


 同じクラブの星宮清華ちゃんもジュニア時代の二年間は苦しんでいて、ジャンプすらあまり跳べなくなっていたくらいだった。


 アジア系の場合はフィギュアスケートのカテゴリーでは平均的にノービスのときに始まってシニアデビューするまでに成長期が終わる。


 でも、欧米系の場合は十六歳くらいから始まっていくので早くてシニアデビューして少ししてから戦績が落ちていくこともあるみたいだった。


 前回の平昌オリンピックで金メダリストだったヴェロニカ・イワノワちゃんがすでに若手のソフィアちゃんたちに押されるように第一線から離れてしまうような感じになっている。


 ヴェロニカちゃんの演技がまた見てみたいと思っているけど、ここ最近のシーズンでエントリーされているのは見たことがない。

 本当に会えなくなりそうで少し寂しい感じだ。


「あ……ソフィアちゃん」


 なんとなくソフィアちゃんのジャンプが跳べていないように見える。

 四回転ルッツは跳んでいるけど、トリプルアクセルとかは跳べていないみたいだ。

 そのときにユリアちゃんも不安そうにモニターを見ていた。



 六分間練習が終わり、フリーの時間が始まろうとしていたんだ。

 紺色のドレスにラインストーンがキラキラと輝いている衣装を着ているのはアメリカ代表のレイラ・スカーレットちゃんが立っていた。


 流れてきたのは音が落ちてくるように聞こえてくるベートーヴェンのピアノソナタ『月光』だ。

 今年のテーマは「月」をイメージしているみたい。


 スケーティングがきれいなのはアイスダンサーだったご両親の指導が活きているのかもしれない。


 レイラちゃんもジャンプ構成は難しいわけではないんだけど、スケーティングなどの表現に力を入れているのでお客さんを惹きつけていくのがすごい。


「すごいな。レイラ」とロシア語でつぶやいているのか、うらやましそうに見ているユリアちゃんが隣にいた。


「ヤバいな……このままだと負ける」


 日本語で話してきたのは暫定三位のユミちゃんで同じアメリカ代表の若手を見て、負けてしまうかもしれないという顔をしているんだ。

 でも、レイラちゃんは体力切れを起こしたのか、とてもきつそうな表情で滑ってきているのがわかった。


 ジャンプも転倒するまでは行ってないけど、着氷のときに手をついてしまったりしていたんだ。

 そのなかでわたしは内心喜びそうになったのを感じて、ハッとしてしまいそうになった。


 レイラちゃんは一生懸命演技をやりきって、キスクラでは少し不安そうな顔で話をしている。

 得点は暫定三位の得点でユミちゃんが声を上げてのけぞっている。


「レイラに負けたな! よし、また日本大会で挽回だ。これからだ」

「ユミちゃん。うちも負けないからね」

「うん。ありがとう」


 わたしとユリアちゃんにハグして出ていったユミちゃんの姿はとても悲しそうだった。

 でも、これからが一番順位の変動がありがちだ。

 モニターの向こう側には小倉おぐら菜花なのかちゃんが滑ってきた。


 シルバーを基調とした甲冑のような衣装がとてもきれいで赤いスカートのようなものがひらひらと風に揺れている。


 流れてきたのは映画『ジャンヌ・ダルク』というハリウッド映画で、最近は女子で使われることが多くなってきている。


 菜花なのかちゃんが表現することが得意で目に見えない敵をなぎ倒して、敵の砦に向かうようなステップシークエンスはすごく気迫にこもった表情をしている。


 ジャンプはノーミスのままで、演技ものびのびとしたものが続いている。

 たぶん抜かされたかもしれない、アンナに完成度の高い演技ができるからだ。


「負けたな……」


 わたしはぽつりと独り言を言った。


 こんな感じになるのは小学生のころ以来かもしれない。

 全日本ノービスBの二年目、清華ちゃんがわたしよりいい順位になったときと似ている。

 そのままノーミスの演技のまま滑り終えていたんだ。


 菜花ちゃんは安定したノーミスの演技をして、暫定二位になっているのがわかった。

 なのでもしかしたら入賞圏内に入るかもしれないのはわかっている。


「でも、すごかったね。ナノカ、かっこいい」

「だよね。すごいかっこいいよね」


 英語でレイラちゃんも話していたけど、悔しそうにしていたんだ。

 わたしは三位の席に座って、順番を待っていたんだ。

 心がざわつくなかで気にせずにモニターを見て待つことにしたの。


友香ゆかちゃん。お疲れ様」

「菜花ちゃんもね。お疲れ様、点数抜かれた~」


 ちょっと悔しかったけど、これは仕方がないと考えているところだ。

 わたしは次に滑っていく岸茉莉まりちゃんの演技が始まろうとしているんだ。


 流れてきたのはアニメーション映画の『弓使いのリン』という曲で、和風ファンタジーの世界観を表現していく衣装がとても似合っている。

 リンが主人公で弓矢を武器として、一人で仕事をしていくというものだ。

 彼女がイメージしているのは主人公のリンでは着物風の楽しいことができているだとわかった。


 男勝りなリンはとても女性らしいことをしたことがないような感じで、男性的な振付が多かったりしている。


 茉莉ちゃんが最後に跳んだのはトリプルループ、きれいに着氷をしてからスピンでプログラムを締めくくった。ここでわたしは点数を越されて、暫定四位に順位を下げていっている。



 そのまま観客席にある関係者席へと向かうとアイスダンスで五位入賞のはた琉莉香るりかちゃんと新島にいじま颯斗はやとくんたちが席に座っているのが見えた。フリーを終えた男子も来ているのが見えた。


「友香ちゃん。おかえりなさい、お疲れ様」

「ありがとう~。たぶん入賞できるかなってくらいだと思う」

「でも。すごかったよ」


 ほめてくれるのがとても照れてしまうので、少し縮こまってしまう。

 琉莉香ちゃんと川内かわうち風磨ふうまくんに挟まれるように座って、リンクでは五番目で滑って来たエカテリーナ・モロゾワちゃんが来ているみたいだった。


「エカテリーナちゃん、すごく楽しそうだね」

「うん。でも、楽しんだ方がいい点数が出そうだよね」

「わかるかもしれない」


 エカテリーナちゃんが滑り始めたのはバレエ音楽の『ロミオとジュリエット』で、ジュリエットを演じていくみたいだった。

 最初に跳ぶのは四回転フリップがプログラムに溶け込みすぎて、あっという間に次のジャンプに向けての助走を始めていった。


「うそでしょ? 四回転跳んでから、あんなに滑れないよ」


 風磨くんが信じられないような口調でエカテリーナちゃんの演技をしている。

 四回転トウループ+トリプルトウループのコンビネーションジャンプとトリプルアクセルの単独ジャンプを降りていた。


「ヤバ……俺だったら、跳べないよ。こんなに後半に跳ぶのもあるのに」


 前半のジャンプは四回転とトリプルアクセルのみで終わらせて、すぐに演技をしていくのがわかっていたんだ。


「すごいな……今シーズン」

「北京オリンピックはヤバいことになりそうだね」

「うん。絶対に表彰台を独占するかもしれない」


 その最後にやってきたの世界女王のソフィア・ペトロワちゃんだ。

 演技を始めていくのは楽しそうなことをしているけど、丁寧に滑っていくことにしたんだった。


 演技を始めたのは『沈丁花じんちょうげの家』という映画だった気がする。

 澄んだフルートのメロディーに乗せて四回転ルッツを跳んで、新しい四回転サルコウ+トリプルトウル―プのジャンプを成功させていくのがわかった。


「スゲー! マジでサーシャと同じ構成で跳んでんじゃん」


 ジャンプが成功するたびに大歓声で観客席が揺れるぐらいだった。

 このままじゃ、行けないんだなと考えていたときに話しているのが見えてきた。


 あんな異次元のプログラムをやってのけるのは膨大な練習量でカバーできるものじゃないと思う。

 わたしの課題はメンタルだけじゃないと思う、心を締めつけている鎖のようなものがまだ残っている。


 ソフィアちゃんの得点が出て、今シーズンの世界一位を取って優勝していたんだ。

 フリーで挽回できたものの、わたしはショートの大失敗で総合五位と大健闘の位置になったんだ。

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