美女と美少女

 鏡の中にアイドル顔負けのボーイッシュな美少女が映っていた。

 映っているのは女性では無く男性、長かった前髪を眉のあたりでカットし、マッシュヘアーとなった拓海たくみだった。

 場所は香織かおり梨珠りじゅがいつもカットしてもらっている、新城町にある行きつけのヘアサロン。


 その店の客や美容師たち、そして付き添いの梨珠も前髪を切った拓海を見て、頬を上気させうっとりと彼を見つめていた。


「凄い……こんな可愛い子、見た事無い……しかも女の子じゃなくて、男……俺、開いちゃいけない扉が開きそうだ……」


 拓海を担当した美容師の男性はしみじみとした口調で呟いた。


「……」


 だが、店中の注目を集めている拓海本人は、あらわになった自分の顔を見て表情を曇らせていた。

 彼はその容姿でいじめを受け、変質者に付きまとわれ、色々あって引き籠りとなった。

 他人と面と向かって話す事に緊張し、吃音が出る様になったも原因は全てこの顔の所為だ。


 その事を考えるとやはり、どんなに賞賛されても拓海は素直に喜ぶ事は出来なかった。


「どうしたの、拓海さん?」


 梨珠は鏡に映った顔を見て、辛そうに顔を顰めた拓海に声を掛ける。


「やっ、やっぱり、じっ、自分の顔は、すっ、好きになれない」

「……そうかなぁ? 私は可愛くて好きだけど……」

「そうだよ。その顔は君の武器だ」


 拓海をカットした美容師の男性も二人の会話に加わった。


「ぶっ、武器……でっ、でも僕は、こっ、この顔の所為で、いっ、いじめられて……」

「……可愛い子がいじめられるって話は俺もよく聞くよ。でもその事で隠してしまうのは勿体ないと思うんだ。開き直ってさらけ出せば味方になってくれる人は必ずいる。俺みたいにね」


 美容師はそう言って、拓海の肩にポンッと手を乗せた。


「みっ、味方……」

「私も拓海さんの味方だよ! だって可愛いは正義だもん!」


 美容師と梨珠の言葉に店にいた全員がうんうんと頷く。


「みっ、味方か……せっ、整形でも、しっ、しない限り、こっ、この顔と一生付き合っていかないと、いっ、いけない訳だし……まっ、前向きに、かっ、考えてみるかな……」

「うん! それがいいよ!」


 そう言って梨珠は拓海に向かって満面の笑みを浮かべた。

 その後、拓海は定期的にカットモデルとして店に来てくれないかという誘いを何とか断り、梨珠と共にヘアサロンを後にした。


「勿体ないなぁ、無料でカットしてくれるって言ってたのに……」

「しゃ、写真を店に張られるなんて、ぼっ、僕には、ハッ、ハードルが高すぎる」

「私だったら二つ返事で引き受けるんだけどな」

「きっ、君ならそうだろうね」


 そんな話をしながら事務所への道を歩いている二人を、道行く人が振り返る。

 注目を集めているのは勿論、梨珠では無く拓海だった。

 彼はそんな人々の視線が気になるのか時折ビクッと体を震わせていたが、梨珠は街の人の反応がなんだか誇らしかった。


 美人な彼女を連れた男の人はこんな気持ちなのだろうか。

 そんな事を考えながら梨珠は拓海の手を引いて街を歩いた。


 そんな二人を道行く人に混じり、一人の男がじっと見つめていた。

 長髪の恐らく二十代だろう、細身で黒いスーツに白いコートを羽織った色の白い男だった。


「見つけた……よもやこの様な盛り場で出会うとは……あの者こそ我が嫁に相応しい……」


 そう呟いた男の口元から細く長い舌が一瞬見え隠れする。

 男は雑踏に混じり二人に近づくと、すれ違い様にその舌を拓海の首筋に素早く這わせた。


「痛っ!?」

「えっ!? 大丈夫、拓海さん!?」

「くっ、首にピリッと来ただけだ……たっ、多分、せっ、静電気だろう」

「首だね、どれどれ……ちょっと赤くなってるけど、血は出てないね……事務所に戻ったら一応消毒しようか?」

「おっ、大げさだよ」


 そう話ながら去っていく二人を男は切れ長の目を向け見送った。

 その瞳は夕暮れの陽光を浴びて、縦に細長く収縮していた。



 ■◇■◇■◇■



 梨珠と拓海が事務所に戻ると真咲まさきは笑みを浮かべ、ラフルは驚きで目を丸くしていた。


「中々似合ってるぜ、拓海」

「これほどとは……何だかよく分からない感動が込み上げてきましたよ」

「へっ、変じゃないか?」


「あなたが変なら、世の中の殆どの人間は変になりますよ」

「そうだよ。自信持って拓海さん!」

「うっ、うん」


 真咲は梨珠に頷きを返した拓海を見て嬉しそうに笑うと、口を開いた。


「愛美さんには連絡したぜ。彼女、リハビリ中で今日は休みらしいから事務所に来てくれるってよ」

「ほっ、本当か!? ……どっ、どうしよう、いっ、いざ会うとなったら、きっ、緊張してきた」


「落ち着いて、愛美さん、私も会った事があるけど気さくで優しい人だから……そうだ、真咲、消毒したいんだけど、薬ってあるかな?」


「消毒? 怪我でもしたのか?」

「拓海さん、首の所がピリッてしたんだって、血は出てないけど赤くなってたから……」

「どれ、見せてみな」


 真咲がソファーから立ちあがり、拓海の首を見ようと近づいた時、事務所のインターホンが鳴った。


愛美あいみです』

「あっ、愛美さん!? どっ、どうしよう真咲!? ぼっ、僕はどうしたらいい!?」

「どうしたらって、会いたいって言ったのはお前だろ? 何を話すとか決めてないのか?」

「いっ、色々、かっ、考えたり、しっ、調べたりしたけど、こっ、声を聞いたら全部、とっ、飛んでしまった……」

「ふぅ、しょうがねぇなぁ……まぁ、相手は会話のプロだ。何とかなんだろ。お前は座ってろ」


 真咲はそう言うと、事務所の入り口へ向かった。


「わっ、分かった」


 拓海は壊れたロボットの様に、ガクガクと震えながらソファーに向かって歩き、なんとか腰かける。


「ふむ……邪魔してもなんですし、我々は食事でも取りましょうか?」

「そうですね。頑張ってね拓海さん」

「なっ、何をどう頑張れば……」

「それは……わかんない、だって私も経験ないんだもん」

「そっ、そんな……」


 眉根を寄せ心細そうに梨珠を見る拓海に苦笑しながら、彼女は拓海にとにかく頑張ってと手を振りながらラルフと共に事務所から出た。


「真咲さん、我々は一階のヌードルショップに行ってきます」

「そうか、俺もすぐに行くよ。愛美さん、あいつが拓海です」


 真咲はそう言って事務所に入った愛美に拓海を紹介した。

 今日の彼女は休日の為かナチュラルメイクで、服装も白いセーターにジーンズ、上はベージュのウールコートといったシンプルな物だった。


「……女の子?」

「はっ、始めまして! せっ、瀬野拓海せのたくみです! こっ、こんな顔ですが、いっ、一応男です!」

「フフッ、初めまして、加藤愛美かとうあいみです……真咲君に聞いたけど、ストーカーの家にいた私を見つけてくれたの、君なんだってね?」

「はっ、はい! おっ、お役に立てたのなら、うっ、嬉しいであります!」


 愛美は立ち上がり、直立不動の姿勢になった拓海に歩み寄ると彼を促しソファーに座らせ、自身もその横に座った。


「IT系に詳しいって聞いてたから、違うタイプを想像してたわ」

「そっ、そうですか!?」

「そういえば、この前、送った写真、気に入ってくれたんでしょう?」


「はっ、はい! じっ、実際にシャロンがいれば、きっ、きっとあんな感じな筈です!」

「フフッ、知り合いにコスプレやってる子がいて、その子に頼んでやってもらったの……初めてやったけど、キャラになり切るのって楽しいわね」


「あっ、愛美さんなら、どっ、どんな物でも、にっ、似合うと思います!」

「そう? そんな風に言ってもらえると嬉しいわ……ねぇ、今度あなたもやってみない? 二人でコスプレとか楽しそうじゃない?」

「ふっ、二人で!? ぜっ、是非、お願いします!」


 微笑む愛美に、拓海はぎこちない笑みを返す。


 大丈夫そうだな。


 流石に現役のキャバ嬢だ、口下手な拓海相手でも会話を成立させている。

 邪魔者は消えるかと、真咲は愛美に目配せしてラルフ達がいるだろう一階のラーメン屋へと向かった。



 ■◇■◇■◇■



「「「らっしゃいませーッ!!!」」」

「野菜と油ちょいマシ、味辛めで」

「はいよぉ!!! 野菜、油、ちょいマシ、味辛め!!!」

「「野菜、油、ちょいマシ、味辛め!!! ありがとうございまぁすッ!!!」」


 顔なじみの店員にオーダーを伝え、梨珠とラルフが座っていたテーブルに足を向ける。

 店内は少し時間が早い為か、客の数は少なかった。

 真咲がテーブルに着くと梨珠が箸を止め彼に尋ねる。


「二人は?」

「コスプレの話してたよ。まっ、恋人になれるかは分からねぇけど、友達にはなれんじゃねぇか」

「友達ねぇ……ねぇねぇ、もし二人が恋人になったらさ、何て言うか、美女と美少女って感じで一部の人たちから絶賛されそうだよね」


「ふむ……日本には女性同士の恋愛を賛美する人達もいるのですか?」

「うーん、女性同士の恋愛っていうか、美しい物を見たいって感じかなぁ」

「美しいねぇ……愛はどんな形でも美しいと俺は思うがなぁ……」


 そう言った真咲の顔を梨珠とラルフは、麺を持ち上げた姿勢のまま固まってまじまじと凝視した。


「……何だよ?」

「複数の女性に気を持たせているあなたからそんな言葉が出ようとは……」

「ラルフさんの言う通りだよ。そう思っているんなら色んな女の人に愛想振りまくの止めなよ」


「フッ、俺は守備範囲内の全ての女性を愛してるんだ。止める訳にはいかねぇな」

「……やっぱ、サイテー」

「同感ですな……血の事があるにしても、パートナーは一人にすべきです。そもそも、そういう関係にならずとも血を得れる方法を考案すべきでは?」


 その後、真咲がラーメンを食べ終わってもラルフの説教と梨珠の合いの手は続いた。


 そんな二人に苦笑しつつ、真咲が一息ついていると二階からガラスの割れる音と共に女性の悲鳴が響いた。

 店の客も店員も動きを止めて思わず天井を見上げている。

 真咲達も一瞬固まったが、我に返るとテーブルに金を置き慌てて事務所に駆け戻った。


 ドアを開く事ももどかしく事務所に駆け込むと、窓が割られ、床に座り込んだ愛美が真咲達をボンヤリと見上げていた。


 真咲は愛美に駆け寄り、その肩に手を置いて呆然としている彼女と視線を合わせた。


「愛美さん、何があったんです!?」

「……分からない……急に窓が割れて、驚いている間に拓海君がピンク色のロープみたいな物で絡め取られて……私、必死でロープを外そうとしたんだけど……」


 そう言った愛美の手は透明な粘液の様な物で汚れていた。


「彼、真咲君の言う通り、純情でとてもいい子だった……ねぇ、お願い、彼を助けてあげて」

「勿論ですよ……ラルフ、悪いが愛美さんを洗面所に連れて行ってくれるか」

「分かりました。愛美さん、取り敢えず手を洗いましょう……洗ったら、家までお送りします」

「……うん……ありがとう、ラルフさん……」


 ラルフが彼女を支えて廊下に姿を消すのを見送った真咲は、梨珠に視線を向けた。

 彼女も何が起きたのかと、事務所に視線を漂わせながら立ち尽くしていた。


「梨珠、お前も今日はもう帰れ……ラルフに送ってもらうんだ」

「えっ? でも……」


「愛美さんの手に付いてた液体、ありゃ唾液だ……拓海はどうやら人じゃないモノに攫われたらしい……危ないからお前は家にいろ」


「人じゃ無いモノ……拓海さん、大丈夫だよね?」

「もちろんだ……俺のダチに手ぇ出したんだ。ただじゃ済まさねぇ」


 真咲はそう言って立ち上がると割られた窓ガラスの向こう、日が落ち暗く沈んだ空を見てギリッと歯を噛み鳴らした。

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