中学生とヤバいクスリ

ブラックコーヒーと未来の美女

 クリスマスも終わり大晦日も近づいたある日、突然の来客に真咲まさきは顔を顰めた。

 その誰かはインターホンを連打し、それに合わせてドンドンとドアを叩いている。

 その音で眠りに落ちる寸前だった真咲は叩き起こされたのだ。


「誰だよ、こんな時間に……」


 そう呟きつつベッドから身を起こす。

 遮光カーテンで窓が塞がれた真っ暗な部屋、ダブルベッドの横のサイドテーブルに置いた時計は午前十一時を指している。


「ったく……うちの営業は日の入りから日の出までだぜ……」


 ぼやきながらサイドテーブルに置かれた日焼け止めを塗り、同じくテーブルに置かれた目を覆うスポーツ用のサングラスをかけると、真咲はパジャマ代わりのグレイのスエットのまま寝室を出た。


 ペタペタとスリッパを鳴らし、廊下を歩き事務所にしている部屋に入る。

 ここは雑居ビルの二階。

 真咲は五年程、この部屋を事務所兼自宅として使っている。


 事務所には安っぽい灰色の事務用の机と、これまた安っぽいソファーとテーブルが置かれ、壁にはファイルを入れる棚が一つ置かれていた。

 その机とソファーの間を抜けながら照明を点け、真咲は未だにドアを叩きインターホンを鳴らしている誰かに声を掛ける。


「誰だよ、営業時間は終わってるぜ?」

「私! 梨珠りじゅ! ねぇ開けてよ!」

「梨珠? 何だよ……」


 まだ五年も経ってねぇだろ。


 そう思いながら真咲は欠伸を噛み殺して事務所の扉を開けた。


「遅い!」

「……開口一番、それかよ……んで、何の用だ? 血を貰うのは五年後の筈だろ?」


 ポリポリと首を掻きつつ、その少女、美山梨珠に目を向ける。

 彼女はこの前とは違う、ファーの付いた白いコートを着て真咲を見上げていた。

 あの時の帽子は被っておらず、ショートボブの黒髪が蛍光灯の光でツヤツヤと輝いている。

 クリっとした瞳、小ぶりな鼻、桜色の唇……実に将来が楽しみだ。


 その桜色の唇が言葉を紡ぐ。


「……聞きたい事があるの」

「聞きたい事……はぁ……名刺に営業時間も書いてあったろ?」

「……だって、夜は出歩くなってママに言われたんだもん」

「そりゃあ、母ちゃんが正しいな」


「そのママの事で聞きたい事があるのよ! あと他にも……」

「母ちゃんの事? ……ふぅ……寒ぃから、取り敢えず入れよ」

「うん!」


 梨珠は事務所の様子が珍しいのか、キョロキョロと視線を彷徨わせながら部屋の中央に置かれたソファーに腰かけた。

 真咲は空調を操作し暖房を入れた後、梨珠に声を掛ける。


「コーヒーでいいか?」

「うん」

「砂糖とミルクは?」

「……いらない」

「……はいよ」


 梨珠の返事を聞いて真咲は、事務所の隅に置かれた電気式のコーヒーメーカーに水と豆をセットしコーヒーを淹れる。

 コーヒーが抽出されている間に使い捨てのカップをホルダーに二つセットして、出来上がったコーヒーをカップに注ぎそれを梨珠の前に置いて、真咲は彼女の前のソファーに座った。


「ありがと!」

「どういたしまして……それで、何を聞きたいんだ?」

「うっ、苦い……何で大人はこんな物を……?」


 ブラックコーヒーに顔を顰める梨珠を見て真咲は苦笑を浮かべ立ち上がると、コーヒーメーカーの横においてあったスティックシュガーとポーションミルク、それにプラスチックのスプーンを梨珠の前においてやる。


「ほらよ。牛乳はねぇからそれで我慢しな」

「……ありがと」

「へへッ、背伸びしたい年頃だもんな」


 いそいそとミルクと砂糖を入れる梨珠を見て、真咲はニヤッと笑みを浮かべた。


「うるさい! いつもは平気なの……ただこのコーヒーが特別苦いだけで……」

「そういう事にしといてやるよぉ……んで、母ちゃんがどうかしたのか?」


 真咲が話を振ると、梨珠は両手で持っていたカップをテーブルにおいて、おもむろに口を開く。


「ママがね。なんだか若返ってる気がするの……肌もピチピチしてるし、髪もツヤツヤだし、それに目の下のクマも消えて……ねぇ真咲、ママ、吸血鬼になってないよね?」


「あー。それな……あん時、お前の母ちゃんを一時的に吸血鬼にしたろ?」

「うん」


「それの副作用つーか、なんつーか、年相応に健康になっただけだ」

「健康に? 吸血鬼になった訳じゃないの?」


 梨珠の問い掛けに真咲は苦笑を浮かべ頷いた。


「ああ、あの後、ちゃんと朝日を浴びせたんだろ?」

「うん……怖かったから無理やりベランダに連れ出して、これでもかっていうぐらい浴びせた」

「んじゃ、吸血鬼にはなってねぇ」


「でも……健康になっただけであそこまで……」

「なぁ、梨珠。お前の母ちゃん、キャバ嬢なんだろ?」

「……うん」

「だったら一般人よりゃ、そうとう不健康な生活してた筈だぜ。酒は飲まなきゃだし、煙草だって吸ってたんじゃねぇか?」


 真咲はソファーにもたれコーヒーを飲みつつ、梨珠に尋ねる。


「うん……いつもお酒の臭いと煙草の臭いをプンプンさせて帰って来てた」

「んじゃ、肝臓も肺も大分へばってた筈だ。そいつが一気に健康になったんだ。肌も髪も綺麗にもなるさ」

「じゃあ、ママは大丈夫なのね?」


「まあな……折角健康になったんだ。酒は無理でも煙草は控える様に言っとけ」

「……分かった……ありがと」

「質問は終わりか? んじゃ、とっとと帰って俺を眠らせてくれ」


 欠伸を噛み殺しそう言った真咲に、梨珠は更に言葉を続ける。


「他にも用があるって言ったよね? 一個頼みたい事があるんだけど……」

「……ふぅ……梨珠、この前は成り行きで助けたが、俺は便利屋だぜ。ただで仕事はやらねぇ」

「……よくよく考えてみたんだけどさぁ……真咲は五年間、純潔を守れって言ったよねぇ?」


「ああ……それが何か?」

「てっことはさぁ、私、中学でも高校でも彼氏作れないよね?」

「いや、それはお前、別にプラトニックな関係でいりゃいいじゃねぇか?」


 真咲は少し慌てて梨珠に答える。

 彼女はその答えを聞いて、深いため息を吐いた。


「付き合って何もしないなんて、絶対フラれちゃうよ」

「んな事ねぇだろ。好きだったら多分……そっ、それによ、セックスは駄目だけどキスなら何万回しても別に……」

「真咲……十代の男の子がキスだけで我慢できると思う?」


「…………思わねぇ」

「でしょう? 先輩の話を聞いてたら何だか報酬としては高すぎるんじゃないかと思えてきて……」

「クッ……母ちゃん助けてやったろう?」


 少し卑怯だとは感じつつも真咲は梨珠の母親、香織を助けた事を持ち出した。

 このままでは五年間、この少女にタダでこき使われそうな気がしたからだ。


「確かにママは助けてもらったよ。それはすごっく感謝してる……でも、十代の女の子が一番輝いている時期を誰とも付き合わずに過ごすなんて……可哀想だと思わない?」


 瞳を潤ませ両手を組んで真咲を見つめる梨珠に、彼は深いため息を吐いた後、そのため息と同じトーンで言葉を吐き出した。


「……何を頼みたいんだ?」

「真咲、大好き!」

「……俺は嫌いだよ」

「えへへ、照れてるの?」


 梨珠は先程迄、目を潤ませていたのが嘘の様に嬉しそうにニコニコと笑っている。


「ふぅ……やっぱ子供でも女だな……んで、頼みってなんだ?」


 真咲が聞く体勢になったのを見た梨珠は笑顔を引っ込め真剣な顔になった。


「実はさ。友達が卒業した先輩から集中力が上がるクスリを貰ったみたいなんだ……それが何だかヤバい奴みたいで……」

「クスリ……お前、多分だけど中学生だよな?」

「そうだよ」


「……中学でクスリって……まったく世も末だねぇ。それで俺にどうしろって言うんだ。先に言っとくが俺は新城町の便利屋であって、中学校に出張は出来ないぜ」

「分かってるけど……なんだか沙苗さなえ、昨日会ったら凄くイライラしてて……真咲なら治せるんじゃないかって? それにクスリをくれた先輩が買ったのって新城町らしいの」


 ふぅ……と真咲はため息を吐いた。

 梨珠の友人という事は当然、中学生だろう。

 恐らく梨珠は母親の香織と同じように、その沙苗という友人を一度吸血鬼にして治せばいいと思っているらしい。


 ただ、梨珠にも言った様に彼の守備範囲は十八歳以上なのだ。

 仮に事務所に連れ込んで血を吸ったとしても、それを早苗が言いふらせば確実に逮捕されるだろう。


 それに、一度、薬が抜けても元を絶たないと同様の事は何度でも起こりそうだ。


 真咲はそんな事を考えながら梨珠をチラリと見た。

 不安そうに真咲を見つめる梨珠に、彼はガシガシと頭を掻いた。


「……その友達を連れて来い。それとクスリの入ってた袋とかあったらそいつも持って来てくれ」

「やってくれるの!?」

「未来の美女の頼みだ。聞いてやるよぉ……ただし、五年後、ガッツリ血は頂くからな」

「ありがとう! 死なない程度なら好きなだけ飲んでいいよ!」


 再度、キラキラとした笑みを浮かべた梨珠に、真咲は厄介な女に捕まったものだと苦笑を浮かべた。

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