第26話 雪織千尋の煩悶
1
さて、どうやって告白をしようかとわたしは考える。
十七年間ろくに恋愛もせずに過ごしていたので、当然のことながらその方面はズブの素人。
幸いにも美和子から今まで人見君に告白して玉砕していった数々の女子たちのデータを手に入れた。
しかし手に入れた情報自体は幸いでもなんでもなかった。
人見君はわたしが思った通りの人で、自他共にものすごくドライな人間として認識されているが、そのくせ最終的には困っている人を見捨てたりはしない性質らしい。
ほとんどの女子たちは無愛想でありながら根はお節介な性分である人見君に世話を焼かれ、結果勘違いして木端となり散ったらしい。わたしは完全にそのケースに当てはまる。敗色はより濃厚になった。
人見君は、わたしじゃなくても部屋に上げて風呂に入れて宿題を写させて、ご飯を食べて送って……それで手とか繋いでいたんだろうか。
いや、部屋にはあげてないと彼の母の証言があった。でも、バリエーション違いで部屋に上がり込んで風呂を借りたりしてる可能性はある。手を繋がずにキスとかしてるかも……。
考えただけで具合が悪くなりそうな想像だった。
もしそうなら、説教の対象だ。わたしが振られた暁にはそんな思わせぶりは撤廃させなければならない。でないと悲しい歴史が繰り返される。
軽く憤慨しながら学校の廊下を歩いていると、端でうずくまっている組木君を発見した。
「あれ、組木君どうしたの? 大丈夫? 具合悪い?」
「ちょっと……ついさっき突然頭に血が上った恭介が来て殺されかけて……」
「……え、大丈夫?」
「しばらく俺の首絞めてたけど突然、よく考えたらそれはないとかなんとか我に返ってどこかへ去った……」
「我に返ってくれてよかったね……でも、何があったんだろ。喧嘩でもしてた?」
「いや、恭介とは喧嘩したことないし……ていうか頭に血が上った恭介も、初めて見たし」
「えー、なんだろうね……」
長い付き合いの幼馴染みが初めて見たとか、ただごとじゃない。
そのあと廊下を歩いていたら、加藤君が転がっていた。床に少量血が溢れていて死体みたいだった。
「うわ……」とつぶやいて素通りしようとしたら、ガバッと起き上がった。鼻血が出ている。
「雪織さん! 雪織さーん! 素通りしないで救急車を呼んでくれよぉ!」
「え……鼻血出てるけど、大丈夫そうだよ」
保健室には行ってもいいかもしれないけど、救急車を呼ぶほどには見えない。
「はい、ティッシュ」
「うう……あ、ありがとう!!」
「鼻もだけど、床も拭いてね。汚れてるから」
「………………うう……ハイ」
「誰かと喧嘩でもしたの?」
「違う! 人見が現れて、大暴れして、俺をのして去っていったんだよ!」
「えぇ……! 人見君が? 加藤君何したの?」
「何も……何もしてないんだよ……なのに、ろくに話も聞かずに容疑者扱いされて……!」
「容疑者……? なんの?」
「わかんねぇけどぉ……容疑者はしらみつぶしにのしてくって言ってた」
「何その剣呑極まりない話……」
どうも、わたしがこれから告白しようと息巻いている人の情緒がおかしい。
さっきまで、今日にでも思いの丈をぶつけてやろうと鼻息荒くしていたけれど……これは日を改めたほうがいいかもしれない。できることならなるべく穏やかで、機嫌のいい日に告りたいのが人情というものだ。
それにしても……人見君は何かの事件に巻き込まれているのだろうか。
思い当たることといえば、百合川さん絡みしかない。
また、組木君の預かり知らないところで何か新しいことが起こっているのだろうか。
2
告白はひとまず先延ばしにすることにした。
なんだかわからないけれど、バタバタしているときに告白なんてしないほうがよさそうだ。
人見君と歩いた道を通って帰ろうとしたら、見覚えのある風景が現れた。ここはたぶん、組木君の家の近く、だったと思う。よかった。道を間違えてはなさそうだ。
数歩行ったところで、腕をぐいっと引っ張られた。
「ちょっとあなた……」
パーカーのフードをまぶかに被り、マスクとサングラスをしたいかにも怪しい人間がそこにいた。
怪しい人間は腕組みしてわたしに向かって偉そうに言い放つ。
「あなた、直也君とどんな関係なの?」
直也君……ああ、組木君か。ということは───。
「もしかして…………百合川さん?」
「…………ち、違うし!」
「いや百合川さんだよね? 組木君と付き合ってる……」
「なんでそれ知ってるの?」
「やっぱり百合川さんだ」
百合川さんがサングラスを取って強く睨みつけてきた。
「あなた雪織さんでしょ。前、直也君の部屋のベランダにいたみたいだけど……」
一瞬だったのに、よく見ている。
「あぁ、それは……人見君もいたから」
「人見君がいたからなんなの? 直也君の部屋は……あたしだってそんなに入ったことないのに」
「人見君につれられて、百合川さんの手紙を……」
あれ、これはどこまで本人に言っていいんだろうか。無関係なわたしが手紙のことを知っていてはならない気がする。案の定百合川さんは真っ赤になった。
「……ま、まさか……あの手紙見たの?」
「……どの手紙? いくつかあったけど」
「あ、あたしが……直也君と……き、キスしたときのこと書いてあるのとか! あと、一度部屋に行ったとき本当は……ああもうやだ! 恥ずかしい!」
「……なんかわかんないけど、その手紙はたぶん見てないよ」
内容が違うから百合川さんの言ってるものとは違うだろう。ほかにもあったらしい。いくつあるんだ手紙。
「……ま、まぁ、いいけど。直也君に手を出したら……許さないから!」
「あ、まったくその気はないです」
百合川さんはふんと鼻を鳴らしてどこかに行こうとした。
「あ、待って。百合川さん、聞きたいことある」
「……なに」
「なんであんな……まだるっこしいことしたの?」
「マダルッコシイってなによ」
「え、手紙に三通も手紙入れたり、自宅のポストに仕込んだり……しかもほかにも隠してたんでしょ」
百合川さんは少し黙って、サングラスをチャッとかけた。顔を地面にふいっと逸らす。
「あ……あたしと直也君が運命ならいいなって思ったから……」
3
百合川さんは昔から占いが好きな子だった。
そして、人一倍何かを自分で選択するのが苦手な子でもあった。そういう子が占いや運命論に嵌るとどうなるか。
何もかもを天のお告げ的なものに任せるようになった。今までの彼氏もそう。ラッキーカラーが赤色の日に赤いシャツを着て告白してきた彼。恋愛運急上昇、運命の相手と出会うかも、なんて書かれていた日にはその日仲良くした異性を好きになってしまう。
毎日複数の占いを見ていて、逆にそんな思考で別れることもあった。占いに任せておけば大丈夫、というわけではなくて、もはやそのきっかけがないと自分で決められなかった。自分で決めるのが怖かった。
自分の判断で失敗すると、あとで悔やむことになる。占いの結果失敗したなら、その占いを次から信じなければいいだけだ。ようは責任転嫁だ。
そんな中、恋愛運最低のある日に話したのが組木君だった。
うっかり好きになってしまった彼女はいろんな占いを見て、彼と自分の運命について、都合よく書かれているものを選び、信じることにした。
ただ、組木君とのものはいつも、あまりいい占い結果がなかった。それでも、好きだったので内容を無理に曲解したりして付き合いを続けた。
そうこうしているうちに家が大変なことになり、これも占いに背いたからかと思ったりもした。結局相性が悪かったのかもしれない、とも思った。
けれど諦めきれず、彼女は運命を試すような真似をいくつもした。彼女が隠した手紙は人見君が見つけたものだけではなく、ほかにも絶対に発見されるとはいえないような複数の場所に仕掛けていた。どれでもいいから、発見してほしい。そして、自分を見つけ出してほしかった。
けれど、組木君は彼女のもとに来なかった。場所すら知らないのだから当たり前なのだが、彼女はそれを超えた運命で来てくれるものと信じたかった。
そして結局、自分から組木君の元に行った。
残念なことに、どの占いを見ても、アクションは起こさないほうがいい、とか、運勢下りめ、などと書いてあったけれど、彼女は無視して行った。そして、無事再会して、和解して愛を深めた。
「それでわかったの。あたしが見てた占いはハズレのやつで、正しいやつを見てなかっただけで本当は最高の運勢だったって……! それで、やっぱりあたしと直也君はやっぱり運命だった……!」
力強く力説する百合川さんを見てわたしはしみじみ思った。
百合川さんそれ、もはや、運命じゃない。
完全にあなたの意思、愛の力だ。
4
百合川さんは人見君のご乱心とは無関係なようだった。
境遇はいまだ大変そうだけど彼女は組木君とうまくいってるようだ。だとしたら、人見君の情緒を揺らしたできごとは一体なんなのだろう。
何にしても早く過ぎ去ってくれないと、告白しにくい。
今じゃなくても、絶対ちゃんと伝えたい。今日はこのまま帰宅して、作戦を考えよう。
メキョメキョメキョ……メキョ。
バキョ。
自宅付近まで来て、妙な音が聞こえそちらを見る。
わたしの家の目と鼻の先にある自動販売機。そのうしろにあるフェンスに大きな穴が空いている。
わぁ、ここに穴が開くと、ちょうど人見君の家のほうに行くときすごいショートカットになるんだよね。今だと路地を大まわりして……考えながら現在進行形でそれを壊している人がいるのに気づく。
小型の工具のようなものを片手に、公共物を公然と破壊しているのは人見君だった。
「ひ、人見君……何してるの?」
聞いていた以上に情緒がぶっ壊れている感じで戦慄する。
謎の犯罪作業により汗だくで顔も少し汚れている。しかしそんな姿もまたかっこいい。
「……雪織」
人見君はわたしに気づくと、すぐにこちらに来てくれた。夜の彼は親密だし優しいし、昼とは別人みたいだ。
久しぶりに夜に会う。夜の人見君だ。
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