俺、ようやく村椿に認知される
観劇が終わったら下校だ。一気に帰ると道が生徒で溢れるので、学年ごとに少しずつ市民会館を出ることになった。
とはいえ俺を含めた誘導係は先に外へ出てそれぞれ持ち場につく。
配置は昼とは違うところになったが、どういうわけかまたも
とにかく俺と村椿は駅ロータリーの、雨には濡れないところにいて、駅へと向かう生徒が駅ビルに入らずに駅へと流す役割を担った。
学校の腕章をつけた生徒が立っていると寄り道しづらい。抑止力になる。
もっとも、俺は影が薄いので、存在感のある村椿がいて初めて効果を発揮するのだった。
四時を過ぎていたので人通りが増えていた。駅の方から出てくる人も多く、その行き交う中、邪魔にならないように立っているのも気を遣う。誰もが雨に濡れないよう屋根のあるところを歩くからだ。
先に退出を許された中等部の生徒たちが三々五々やってくる。
彼らは村椿の姿を見つけて会釈をしたり、時に声をかけたりして帰っていった。
俺はただぼうっと突っ立っていただけだ。
やがて妹の
「村椿さん、さようなら」
「ああ、
村椿よ、お前は妹の名ならスムーズに出てくるのか、と俺は呆れた。二人はテニス部の顔見知りなのだ。
「……て、もしかして」村椿は驚いたように俺を振り返った。
それで双葉もまた俺の存在に気づいたのだ。
「なんだ、ツクシ、影が薄くて気づかなかったよ」
「すまんな、空気で」
「あんた、千駄堀さんの……」
「「兄です」」俺と双葉は声を揃えた。
「ぜ、全然似てないな」村椿が俺に対して慌てた顔を見せるのは珍しい。「双葉ちゃんは可愛いのに……」
「俺が可愛かったら気持ち悪いだろ」
「ああ、そうだね」
「こんな兄ですが、よろしくお願いいたします」
双葉は丁重に頭を下げ、連れとともに帰っていった。
俺は「気をつけるんだぞ」の一言を言い逃した。
「まさか、千駄堀という名前だったとは」村椿は改めて俺の顔を見た。
「何度か名乗ったと思うが」
「文字なら間違えないが、音を聞いていたので、『しんだふり』とか聞こえていた」
確かに死んだ振りみたいなことしてますけど。
俺は絶句したが、村椿は
「発音が悪くて、ごめんね」俺はなぜか謝っていた。
「口がはっきり動いていないのよ、あんた」
「かもな」
相変わらず中等部の生徒は村椿には挨拶していく。俺には気づかない。というか、募金活動で立っている高校生くらいにしか見えないようだ。
村椿は目立ちすぎる。ちょっと怖い美人の先輩だから挨拶はしておこう、といった感じだ。
だから後輩たちが通りかかると村椿の注意はそちらに向く。俺はただ立っていてそれを見ていた。
どちらかと言えばケバい美人でモデル体型の村椿は後輩の前だと体育会系のようだ。
髪は日が当たると茶色っぽく見える。髪染めが校則で禁じられているからこれは地毛なのだろう。
制服は上下とも白でスカートは膝頭が見えるくらい短めだった。なお校則では膝丈と決められているから厳しい教職員ならアウトを宣告するだろう。
そんな
それを複雑と見る向きもあるかもしれない。しかし俺には村椿が単純な女子に思われた。少なくとも理解不能ではない。理解困難な奴は他にいる。
「そういえば千駄堀、あんた、なんで誘導係やっているの?」
突然村椿が訊いてきた。彼女に挨拶する生徒が途切れた瞬間だった。
「お前に訊くが、なんでやっている?」
「私は部活連の関係で」
「部長でもないのに? 部員が全部駆り出されたら全校生徒のほとんどが道端に立つことになるぜ」
「それは、その、テニス部で何人か派遣することになって手を挙げたのよ」
「俺も同じ。部活で頼まれた。手を挙げたのではなくて半ば強制だったけどな」
「あんた部活入ってたんだ?」村椿は驚いたような笑ったような顔をした。「何部?」
「ボランティア部」
「
「そう」
「信じられない。イメージに合わない」
「どんなイメージだよ? 俺」
「ボッチ、オタク、無気力、無関心」
「ひどいな、俺、終わってるじゃん」
だいたい当たってるけど、無関心だけが少し違う。関わりは持ちたくないが興味はある。見るだけなら関心はあるのだ。
「そんなメジャーな部にいるとは思わなかったわ」
「メジャー? どこが? ギリギリ同好会にならずにすんでいる弱小部だと思うけど」
「え、でも
「渋谷の姿なんて一度も見たことないよ」
「そうなんだ……」
「だいたい、俺が数合わせで入ってようやく部を維持できてるんだぜ」
「あんた、やっぱり数合わせなの? 好きでやってるんじゃないんだ?」
「
「うはあ……」村椿は言葉を失った。
「俺は見るだけ専門。介入はしない」
「存在感がないのは、気配を消してるからって言いたいのね」
「もともとないのもあるけど」
「まあいいわ、クラスの足だけは引っ張らないでね」
「補習は数学だけだぜ」
「自慢しないでよ」
いつの間にか村椿と憎まれ口のようなものを叩き合うようになっていた。
その日、俺はようやく村椿に認識された。これは記念日と言って良いものなのだろうか。
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