第84話 虫けら

静かだった。

元の世界に戻ってきたのか、地に足を付けて立っている感覚がある。

血の匂いも、悪魔の片角と片翼も、全身を襲う痛みもわかる。


「ちっ……戻ってきやがったか」


雷善の声を聞いてわたしはゆっくりと目を開けた。

全身が血だらけだった。

全部わたしの赤い血。


【吹き溜まりの悪魔】に体を一時的に乗っ取られたせいなのか、傷が塞がりきっていない。

大鎌を握る手も血でべっとりだ。

それでも治り続けてはいるようだった。


それと同時に、【吹き溜まりの悪魔】の力の余韻のような感覚もある。


わたしは笑っている雷善を見つめた。


「……虐待魔法 黒手 【処女触樹バージンテンタクル】」


わたしは指を鳴らし、真っ黒で何本も出た触手を雷善に放った。


「気持ち悪!!」


雷善の放った電撃を受けても消える事なく雷善の四肢に絡み付いた。


「クソがッ!!」


それでも体全体に電撃を放って抵抗する雷善。

わたしは拘束した雷善を地面に縛り付けて近付き見下ろした。


「奪うだけの神なら要らない」


黒い触手は雷善のありとあらゆる穴に入り込んでいく。


「あなた、遊んでたんでしょ? 電撃扱える自然の神なら、自分の身体だって電子状に出来たでしょうに」


合成樹脂を練り込んだ黒い触手は完全なる絶縁体であり、呪いによって神の力をも奪い取る。


雷善は苦しそうに呻きながらじたばたと震えている。


「今まで何回世界をやり直したか知らないけれど、奪われる弱者の気持ちを知らないでしょう? だから教えてあげる。身体にね」


奪われ、犯され、己の無力さを思い知りながら死ね。

そうして神にも有るまじき凄惨で滑稽な死を持ってわたしに償え。

龍神としてわたしの前に現れた事を後悔して死ね。


「クロユリ!」


カトレアが苦し紛れにわたしの名前を呼んだ。

わたしが手こずっていたせいで不安にさせたのかもしれない。


「カトレア、待ってて。すぐに終わらせるわ」


わたしは血だらけのクロムとヴィナトの前に立った。


「ごめんなさいね」

「クロユリ……お前……」

「もう大丈夫よ」

「クロユリよ……それ以上は戻れなくなってしまうぞ」

「これが終われば戻れるから大丈夫」


龍神を殺して、それで終わり。

カトレアとふたりで暮らすの。

だから大丈夫。


死神と一緒だなんて嫌。

カトレアが死ぬもの嫌。


「ダメだクロユッ……ぐはっ……」


クロムが血を吐き、纏っていた光が消えて膝を付いた。


「ク、クロム様……」


倒れていたニーナがクロムの元へ這いずって来た。

血溜まりの地面を滑るニーナの方向からぐちゅりと嫌な音が響く。


「やばいねこれ。雷善やられてるじゃん」

「【吹き溜まりの悪魔】の力をも完全に取り込みましたか……」

「雷善のやつ、余計な事しやがったな?」


風善と水善はまだ余裕の表情だった。

推測できる龍神ふたりの力の根源は水と風。

そもそも物理攻撃が効かなそうだ。


「風善、気を付けッがはぁッ?!」


わたしは水善に肉薄し、顔面を鷲掴みにして地面に叩きつけた。

遊んでいるうちは水状になって攻撃を回避しないのは水善も同じらしい。


「ッ!!……風千乃刃グラディウス!!」


一瞬遅れて風善がいくつもの風の刃を召喚してわたしに放った。


水善には当たらないようにコントロールできるらしいその攻撃は大鎌で振り払ってもすり抜けてわたしの身体に深々と刺さった。


「っくはッ……ガッ……ぁぁ……」


倒れたままの水善の口や目、鼻、耳から樹の芽が生えてきた。

痙攣し、大の字になってやがて呻くことすら出来なくなっていく水善。


「魔素たっぷりなお水を吸ってるから、元気に育つわね」


わたしは風善に向けて笑いかけた。


魔大樹のタネが水善の身体中に張り巡らされていき、どんどん成長していく。


「……仮にも神だぞ……」


風善の顔が初めて曇った。

水善の身体に魔大樹のタネを植え付けられたのがかなりの侮辱だったらしい。


「神如きが何? 今まで散々虫けらみたいに殺して来たじゃない? ねぇ、教えてよ。なんでそんな顔を今さらできるの?」

「世界の為だ。個に拘るお前たち生物をより進化させる為のな」


世界の為という大義名分。

それはわたしたちには意味のわからない事だし、意味もない。


やってる事は虐殺でしかない。

虐殺自体はどうでもいい。

でもそれに巻き込まれるなら話は別。


「どうでもいいわ。世界なんて」


わたしは風善に向かって指を鳴らした。

鳴らした指先から飛び散った血が風善の覆うように舞った。


「虐待魔法 黒霧 【神楽悪夢カグラナイトメア】」


風善に纏わせた血が染み込み、風善は全身の穴から血が流れ出した。


喉の奥からも血が湧いてくるのか、風善の絶叫はうがいをするようにカラフルに悲鳴を上げた。


身体で感じる幻覚が実際に苦痛に変わり呻き苦しむ風善は頭を抱えて地面に蹲った。


粉塵爆発のように連鎖する幻覚と悪夢が風善を蝕んでいく。


「一方的に、為す術なく侵されるのはどんな気分? いつもヘラヘラしながら殺してたんでしょ? 楽しかった? 世界の為って言って殺した時の気持ちはどうだった? 呻いてないで教えてよ。弱者のように地面に蹲る気持ちはどう? 初めてでしょ? 痛いわよね。苦しいわよね。辛いわよね。誰かが助けてくれる訳じゃないの。誰も助けてはくれないの。死ぬ時は独り。誰の声も聞こえず、誰の姿も眼に写す事なく独りで死ぬの」


なにが神だ。

綺麗事しか言わない神なら要らない。

世界がどうとか知ったことか。


今日のご飯が食べれるかどうかで悩み飢えて苦しむような世界でわたしは生きていたんだ。

なにが世界の為だ。


「あ……ああ……ああああぁぁぁぁッ!!」


大量の血とヨダレをだらしなく垂らして叫ぶ風善。

神聖な顔や雰囲気はとうに姿を消して醜い顔をしている。


「魔族風情ガァァァァあぁ!!」


風善は振り絞った力で地面を叩いた。


「カトレア!!」


突如竜巻が吹き荒れてその場にいた全員が上空へ飛ばされた。


ほとんどが瀕死の状態の中、同じく血だらけのアスミナが結界でみんなを器用に囲い風の刃が吹き荒れる竜巻から身を守った。


あの魔法を喰らってもまだ龍神の力を振るえるとは思っていなかった。


「アスミナ! みんなをしっかり護って!」


わたしは風の刃が刺さるのも無視して大鎌に魔力を込めた。


「【魔広波】!」


地面に向かって強引に【魔広波】を放ち竜巻を吹き飛ばした。


みんなを守る結界をわたしは支えながら翼を生やして地面に着地した。


背中にはいびつにも3枚の翼がバランス悪く生えてしまったため、すぐに飛行用の翼を消した。


「あいつらが居ない……」


風善も、魔大樹に寄生されていた水善も、全身の穴を犯されて苦しんでいた雷善も姿を消している。


「……逃げたんじゃろうか……」


ヴィナトはクロムの肩を借りてどうにか立ち上がっている。

2人とも満身創痍。

ほかのみんなも同じだ。


「クロユリ!!」


駆け寄って来るカトレアがわたしの名前を呼んで向かってくる。


カトレアも血だらけではあるけどまだ生きている。


「カ……」


わたしもカトレアの名前を呼ぼうとした時、大地に轟く叫びがわたしたちの耳をつんざいた。


「……しくじった……」


頭を吹き飛ばしたはずの山善が復活したどころか、四つの首を生やして叫んでいる。


さらには天候も酷くなっていく。


月を隠した暗雲からは雷が光り、雨が殴りつけ、割れた大地からマグマが吹き出している。


「……いよいよこの世の終わりね……」


わたしは大鎌を再び握りしめた。





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