第4話 地獄の果てまでお供します
アルズライト王妃候補に課される王妃教育は、マルティナにとってはつらいものだった。
王国に根付く男尊主義に基づき、王妃に求められることは、ただ一つ。「王を飾る華であること」だ。
過ぎた政治の知識も、語学力も、剣術も、魔術も必要ない。求められるものは、ダンスや芸術、教養、人々を魅了する人心掌握術と美貌。
王妃は、ただ王のために美しく、王のために高貴に、王のために微笑む。
そんなつまらない鉄の鳥かごの中にいることが、聡明なマルティナには何よりも耐え難かった。
もし、自由の身になったら何をしましょうか?
何万回も夢に見て、自身に問いかけてきた。
まずは、前世の記憶を取り戻して。
聖女か悪役令嬢になりたい。
敵国の王子や冷徹な騎士、不器用な辺境伯と出会いたい。
もしいるのならば、獣人王子や魔王も可。自慢の外国語力を役立てよう。
異世界仕込みの手作りのお菓子で胃袋を掴みたい。
二人で国政について激論を交わしたい。
魔法で、彼を助けたい。
燃えるような恋に落ちたい。
異世界転生を語りまくりたい。
そして。
(殿下には一度もしていただけませんでしたけど、舞踏会でエスコートされてみたいですわ)
だが今この瞬間、ルディウスに命の危機が迫っていた。
「第二王子ルディウス! その命、頂戴する!」
黒衣の男の低い声が響く。
今度こそ、本物の敵襲だ。
黒衣の暗殺者の鋭いダガーがルディウスに迫り、マルティナは悲鳴を上げた。
ルディウス・フォン・アルズライトは、類稀なる治癒魔術の使い手だ。自分や他人の傷をあっという間に治してしまうし、魔力量もとてつもなく多いのでスタミナ切れもほとんどないという、才能の塊だ。
だが、彼には
ルディウスには、マルティナが得意とする雷魔術のような攻撃魔術の素養はない。治癒一点特化型なのだ。しかも、体術や剣術の授業もロクに修めず、いつも取り巻き貴族や護衛の騎士たちに頼り切っていた。
だから、こんな時に悪党を退ける
(殿下が殺されてしまいます!)
マルティナは雷魔術を発動させようとしたが、間に合わず――。
「死ねぇぇぇッ!」
そう叫んだのは、黒衣の暗殺者。ではなく、ルディウスだった。
ルディウスは暗殺者の凶刃を紙一重でかわすと、電光石火のスピードで敵の右方死角に回り込み、そこからストレートパンチを叩き込む。そして、メキィィィッという嫌な音と共にルディウスの拳が暗殺者の頬にフルヒットしたかと思うと、マルティナの真横を黒い塊がもの凄い速度で通り過ぎていった。
それは、「うぐぅっ!」と痛々しいうめき声を漏らしながらルディウスに殴り飛ばされた暗殺者だった。
(数秒の間に暗殺者が往復してますわ!)
事態のスピード感についていけないマルティナが、暗殺者はどこまで飛ばされたのかを確認しようと慌てて振り返ったのだが、生憎敵もそれなりの手練だったらしい。もしくは、マルティナが完全に油断していた。
「きゃっ!」
マルティナの短い悲鳴は、彼女が手負いの暗殺者に捕らわれてしまったことを示していた。
背後で腕を捻り上げられ、その痛みに今度はマルティナがうめき声を漏らす。
「うぅ……っ。無駄なことはやめて、早く放しなさい!」
「ははは! 人質を取れば抵抗できまい、ルディウス! さぁ、両手を上げてこちらへ来い!」
形勢逆転と言わんばかりに高笑いする暗殺者は、ダガーをマルティナの首筋にピタリと押し当てる。
そのひんやりと冷たい刃がいつ自分の首を貫くのだろうかと思うと、マルティナは目を開けているのも恐ろしくなってしまう。
(怖い……、怖いけれど……)
せっかくルディウスから婚約破棄を言い渡され、晴れて自由になったというのに、その直後に死ぬなんて。
燃えるような愛や稲妻に打たれるような恋も、まだ知らないというのに。
まだまだルディウスに「ざまぁ」もし足りないというのに。
「チッ! 雑魚がやるこたぁ、雑魚いよなぁ!」
ルディウスは心底面倒臭そうに舌打ちをすると、ポケットに手を突っ込んだまま、その場に立っていた。
暗殺者の要求に従う気配は、微塵も感じられない。
やはり……と、マルティナはルディウスを見て瞳を暗くした。
「無駄ですのよ、本当に……」
マルティナは、再び暗殺者に語りかける。
美しい碧眼から悔し涙をぽろぽろと零しながら。
「わたくしを人質に取っても、殿下は痛くも痒くもありません。だってわたくし、殿下に愛されておりませんから。たった今、婚約破棄を言い渡されましたから!」
「なっ、なんだと⁈」
マルティナの言葉に驚いた様子の暗殺者は、ほんの一瞬だけ、ルディウスからマルティナに視線を移した。「この令嬢はハッタリを口にしているだけでは?」という、余計な思考が頭をよぎったコンマ一秒程度。そのわずかな時間で、勝敗がついた。
「きったねぇ手をどけやがれぇっ‼︎‼︎」
一秒の間にルディウスは暗殺者の元まで一気に距離を詰め、左手でマルティナを力づくで引き剥がした。暗殺者がハッとした時には、残る右手を地から天に向かって大きく振り切り──。
「まぁ……っ!」
マルティナの大きく見開かれた瞳には、目の前の光景がスローモーションのように映っていた。
暗殺者が、青い空の彼方へと吹き飛ばされている。
まるで、子どもの絵本のよう。マルティナは、悪党が空の星になって消えた瞬間を生まれて初めて目撃し、思わず感嘆の息を漏らした。
「いちばん星……」
「……チッ。パーの台詞吐いてんじゃねぇよ!」
何が起きたのか整理のつかないマルティナに、ルディウスは罵声を浴びせながら暗殺者を殴り飛ばした拳を軽くさすっていた。
そして相変わらず眉根を寄せて、不機嫌そうに「助けて、くらい言いやがれ。可愛気ねぇな」と続けた。
その言葉に、マルティナの胸の奥がドクンッと震えた。
まさか、と思いルディウスに問いかける。
「わたくし、殿下に助けを求めてもよかったんですの……?」
「はぁ? 自殺志願者かよ? 女を人質に取られたら、ほっとけねぇに決まってんだろ!」
マルティナは、謎の決まりに命を救われたらしい。
「信じられませんわ。わたくしの知っている殿下は、薄情で面倒くさがり屋で、誰かを助けるなんてとても……」
「っせぇな! オレは変わったんだ! 今までの半端な俺は死んだ。オレは、異世界の前世の記憶を思い出したからな!」
「い、異世界の前世の記憶⁉」
「そうだ! バリッバリのヤンキーなんだよ、オレは! どうだ、怖ぇだろっ?」
凶悪な目つきで覗き込むように凄んでくるルディウスに、マルティナは言葉が出ない。決して、「ヤンキー」なるものが怖いからではない。というか、そもそもそれが何なのかが分からない。
最重要なワードは、ルディウスの「異世界」の「前世」の「記憶」である。
それは、マルティナがずっと憧れていたもの。
現実にはあり得ないと理解しつつも、この年齢まで諦めではない。
この胸の高鳴り、そして締め付けられるような痛みは、自分がずっと
「……うですわ」
「あぁん? 声張れよ。聞こえねぇぞ」
「最&高ですわ‼ 婚約者が異世界転生者‼ これが運命‼ いいえ、恋ですの?」
マルティナは、間違いなく人生最大に腹の底から大声を出した。
「殿下がこんなにワイルドで腕っぷしの強い御方だったなんて、わたくし感動してしまいました! 素敵な前世――ヤンキーだと思いますわ!」
「は?」
「新たな殿下に乾杯! 殿下に命を救われたこのご恩は、婚約者として……、いいえ。未来の妻として、たっぷりと返させていただきますわね!」
「はぁぁっ?」
キラキラと大きな瞳を輝かすマルティナ。
予想外の展開に驚きを隠せない様子のルディウス。
大きく両手を広げ抱きつく勢いで迫るマルティナに、ルディウスはじりじりと後退るが、方向が悪かったのかすぐに魔術訓練場の外壁に背中が当たってしまった。つまり、マルティナに追い詰められて逃げ場がない。
「てめぇとは婚約破棄するっつっただろうが! そこ退けや! ぶっ殺すぞ!」
「いいえ! わたくし、この婚約破棄は認めませんわ!」
伯爵令嬢、王位第一継承者に対して全力の拒否。
マルティナはラピスラズリ色の髪を優雅に掻き上げると、力強く言い放つ。
「わたくし、地獄の果てまでお供してもいいほどですわ!」
「バカか。……父上とてめえの親父を言いくるめて、絶対に婚約破棄してやるからな!」
ルディウスはマルティナを軽く突き飛ばして無理矢理退かすと、苛立ちを全身に滲ませながら、がに股で去っていく。
(なぜ、がに股なのでしょう? 偉そうに見せたいのかしら。それとも、普通に歩くとスラックスがずり落ちてしまうのかしら? それが、前世の殿下のこだわり? これが、ヤンキー?)
興奮が冷めやらぬマルティナは、よろけてその場に尻もちをついたままの態勢で婚約者に熱視線を送っていた。
ルディウスは一度だけ振り返っていたが、まさか突き飛ばしたマルティナを気にしていたのだろうか。
(まぁ、あり得ませんわよね。殿下は、わたくしなんかに興味はありませんもの……)
***
しばらくして、ようやくステラが駆けつけて来たのだが、その時マルティナは既に次の行動を心に決めていた。
「ステラ! わたくし、決めましたの」
「え。処刑前に国外逃亡のするとかですか?」
「もうっ! 違いますわ!」
何が起こったかを知らないステラはきょとんと首をかしげていたが、そんなことはマルティナには関係ない。
「わたくし、異世界転生したルディウス殿下との婚約破棄回避を目指しますわ!」
ローゼン伯爵令嬢マルティナ、稲妻の如く恋に落つ――‼
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