キーホルダーは落としてない(ノベルバー2021)

伴美砂都

キーホルダーは落としてない

 どっかで落としたと言ったら、さすがに亜生あおいは怒るのかと思った。亜生という名前は三つだけ年下のくせになんだかいまふうで、ミキのせいでぜったいアセイって言われるんだけど、と笑っていたのもなんだか余裕そうで気にくわなかった。

 そっかあ、とだけ言って煙草を咥えた指はギターを弾いてる人みたいな指で、でもこの部屋でギターは、あたしは見たことがない。


「怒んないの」

「別に……誰か拾っても、どこの部屋の鍵かなんてわかんないでしょ」

「番号とかでわかって侵入されるかもしれないよ」

「そんな盗まれて困るもんも、ないしなあ」

「キーホルダーもだよ?」

「いいよ、あれ、どうでもいいキーホルダーだし」


 キーホルダーは、たしかに本当にどうでもよさそうな形をしていた。そう思わないようにしていた自分のことが、さびしかった。


「え、なんだよ、ほんとに怒ってないよ、泣かないでよお」


 愛おしいと思ってしまったから、一、負けだ。代わりの合鍵を、亜生は渡すとは言わなかったし、あたしは欲しいと言わなかった。二、勝ちだ。嘘だ。いつだって、負け越しだった。ぽっかりとあかるい夕方のような昼で、赤みがかった街路樹はもう、秋を通り越してすぐ冬になりそうだ。


 亜生の家の鍵のついたキーホルダーは、本当は落としてない。ひとりの部屋でテレビのスイッチを入れて気が付いたら夜も通り越して夜明け前で、ベランダに出るとひんやりした空気が首もとを冷やした。ギターは隠していたんじゃなくて、今はもうなくて、まえに弾いていたのかもしれない。あたしは亜生のことを、なんにも知らなかった。

 うっすらと赤黒い空はけれどまだ明けはしない。握りしめていた鍵、どうでもいい鍵をどうでもいいキーホルダーごと、闇にぶん投げて、あたしはしばらく泣いた。


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キーホルダーは落としてない(ノベルバー2021) 伴美砂都 @misatovan

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