第13話 苦しい気持ち

「……それ、お掃除シート……だよ」


早川君が持ってきたのは、ウエットティッシュではなく、ホームセンターで売られているウエットのお掃除シートだった。



「え? 何か違うの?」


「違うよ~。早川君こそ天然じゃない 笑」


今度は私がお腹を抱えて笑った。やっぱり、彼と一緒だと楽しい。


「あ、おしぼりある? あれば、それを濡らして持っていこう。あと、ビニールかな」

結局、濡らしたおしぼりをビニールに入れて持っていくことにし、私たちは出かける準備をした。




「忘れ物ないかな?」


二人でキョロキョロと身の回りを確認し、不備がないという事で部屋を出た。


マンションを出て、井の頭公園へ向かうと思っていたのだが、早川君は公園を抜けて駅の方へ歩いていく。


「あれ、早川君、公園の方へ行かないの?」


「あ、うん。公園だと人が多くて食べる場所がないから、ちょっと心当たりの場所があるんだ」


そう言って歩き出すのだが、またしても歩く速度が速い。


それに、朝よりも人が多く歩きにくい。

私は、今度は早川君の腕に手をかけた。できるだけ軽く……触れるように、添えると言った感じだ。


「あ、ごめん、また早く歩いてたね」そう言って歩幅を私に合わせてくれる早川君。


「あ、ありがとう、人が多くて……このままでも良い?」と彼がゆっくり歩いてくれているのに、私は、彼の腕に手をかけたままだ。


「うん、人が多いし、歩きにくいからもっと寄って良いよ」


私はドキドキしているというのに、早川君はいたって平気な感じだ。

やっぱり、好きでもない女の子と腕を組んでも――添えているだけだが――何とも思わないのだな、と切なくなった。



「お、やっぱり空いてた」


早川君に連れられてきたのは、デパートの裏手の通りだった、そこに屋根があってテーブル席がいくつかあるが、利用している人はいなかった。


「ここ、使っても良いの?」


「うん、大丈夫だと思う、以前、ここでお弁当を食べている家族を見かけたことがあるんだ」


「そうなんだ、たぶんテイクアウト用だと思われているのかな? ここは穴場だね」



屋根があるから直接日光も当たらない、絶好の場所だ。

私たちは、一番明るい席へ座る。そこはビルの陰になっておらず明るいのだ。


そこで私が作ってきたお弁当を広げる。


ぽかぽか陽気に、五月のさわやかな空気に包まれ、気になっている男の子と一緒に手作りのお弁当が食べられる。こんな小さな幸せが、ごく当たり前に私の身に降りかかってくるなんて、ほんの数日前まで想像もしていなかった。


「あ、ちょっと髪をまとめるね、今日は暑くて……、それに食べるときに邪魔になりそう」

そう言うと、早川君はポケットから髪留めのゴムを取り出し、伸びきった髪を後ろで縛った。



(え?)



いつもはボサボサの髪に隠れていた早川君の素顔がハッキリと現れ、私は胸を撃ち抜かれたような感覚に陥った。


(早川君って、隠れイケメンだったんだ!!)



髪をまとめた彼をマジマジと見てしまう。


細く形の良いあご、鼻筋がきれいだとは思っていたけど、顔の輪郭がはっきりしたことで、全体の顔の作りが整っている事が分かってしまった。


それに、眼鏡を半分覆っていた前髪が横に流されたことで、瞳と眉毛のバランスも良い事がバレてしまった。



(どうしよう……顔なんてどうでも良かったのに……これじゃ、わたし……)


「どうかした? 綾瀬さん」


「あ、髪をまとめると雰囲気が変わるんだね」


「あ、変かな? やっぱり。

ちゃんと散髪に行けば良いんだけど、どうにもめんどくさくて、放置してたらこんなに伸びちゃったんだよね」



「ううん、変じゃない、むしろ……カッコイイ……よ」



(言ってしまった! 言ってしまった!)自分で言っておきながら動揺する私。


彼を見ると……、固まってる!



「お、女の子に『カッコイイ』とか言われたの、初めてだよ、なんだか嬉しい」と早川君は、はにかんだ。



「あ、でもさっきわたし、好きでもない子に『可愛い』なんて言っちゃダメ、なんて言ったのに、矛盾してるよね」


「そ、そうだった、さっき僕を叱ったのに、綾瀬さんも軽々しく好きでもない男を無暗に褒めちゃダメだよ 笑」


「えへへ、面目ない」と愛想笑いする私……でも。





(ちがうよ、きっと、わたし、もう……)





昨日、早川君は『片思いなんだ』と言って、寂しげな表情をしていた。

きっと、今の私は、あの時の早川君と同じ表情をしている。




「ね、お弁当食べちゃおう。これね、わたしの自信作なの卵焼き、シソを巻いてるんだよ」

停滞した自分の気持ちを切り替えるため、話題をもとに戻す。

そして、ちゃっかりと女子力をアピールしたのだが、我ながらあざといと思ってしまう。



「へ~、すごいね、これ全部が花音ちゃんの手作りなんだよね」


「えへへ、味の方はどうだか、だけど食べて」


「いただきま~す」


「うお! 美味しい!」



早川君は、私が作った料理をモグモグ食べながら『美味しい』を連発した。

気になっている男の子が私の作った料理を『美味しい』と言ってくれる。たったそれだけで涙が出そうなくらい幸せな気分になれた。





今日、朝からずっと楽しいと思っていた。

早川君には他に好きな人がいると分かっているのに、止まれない。




(きっと、これが人を好きになるという事なんだ)


多分、私は早川君の事を好きになりかけてる。

このまま、彼と一緒に居て良いのだろうか?



小説の締め切りは七月末だが、その前に期末試験がある。

試験勉強の時間も必要だから、実質的に六月末、遅くとも七月初めには作品を書きあげる必要がある。


だとすると、私たちの互助関係は、それまでだ。



その間、自分の気持ちを抑える事は出来るだろうか?

抑える事が出来たとして、互助関係が終わった後、彼との関係は元に戻ってしまう。


遠くない未来に思いをはせ、私は胸がつぶれそうになり苦しくなった。





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