第5話 こんな気持ち
「うう~、緊張する」
土曜日だというのに早起きした私は今、京王線で吉祥寺に向かっている。
早川君が吉祥寺に住んでいるからだ。
先日、図書館で早川君に官能小説を書いていることを知られてしまい、更には、私が官能シーンの描写で悩んでいることまで知られてしまった。
その時、彼から自分の部屋で一緒にアダルトビデオを観ないかと提案されたのだ。
ビデオを観る環境を持っていない私にとってはありがたい提案ではあったが、男の人の住む部屋に入るというのは不安がある。
それは、早川君が私を襲うかもしれないという不安ではなく、どう振る舞って良いのか分からないという、未経験に対する不安だ。
何せ、男の子の部屋へ遊びに行くなんて小学校低学年の時以来だ。
ましてや、相手は一人暮らしだ。一人暮らしの男の子の部屋に二人きり……。
早川君はきっと、私が迫りでもしない限り私に指一本触れないだろう。私に人を見る目があるとは自信をもって言えないが、彼は女性に乱暴なことはしない、それは間違いないと思った。
荷物は、いつも持ち歩いている身の回りのものとスマホ、そしてお土産に作ったクッキーだけだ。クッキーは百均で買った包装用のラップに、それらしく包んだ。
クッキーは出かける前にフライパンで作った。お金がない私は、おやつも自分で作るようにしている。簡単な材料とフライパンでできるので、私の得意料理のひとつだ。
きっと、早川君もロクなものは食べていないだろう。しかし……、
(早川君の口に合わなかったら、どうしよう、それに、エッチな動画を観て、どういうリアクションを取れば気まずくならないかな……)
次の明大前で京王井の頭線に乗り換えると、直ぐに吉祥寺に着く。
私のドキドキは、さらに増幅する。
電車が駅に止まる前に席を立ち、出入り口の前に立ち、ドアの窓ガラスに映る自分を改めて確認した。
ミディアムショートのボブは、家を出る前にドライヤーをあててふわりと仕上げてきた。相変わらずメガネは野暮ったいし、美人じゃないところは今更どう取り繕う事も出来ない。
ユニクロで買ったブラウスにミディアムのスカート、華やかではないけど清潔感はあると思う。
少し身体を捻り、斜めから自分を見直すとブラウスの胸の部分の盛り上がりが強調される。巨乳ではないけど、自分でもバランスが取れていると思う。
私が女性として唯一誇れるものがあるとしたら、このDカップの形の良い胸だけだ。
何度も身体を捻りながら、私はさっきまでの不安が何処かへ行ってしまい、妙に浮かれている自分に気付いた。
(はっ! デートでもないのに、わたしったら何を浮かれてるんだろう?)
窓に写った野暮ったい少女に向かって、『ばーか』と口を動かした。
明大前で井の頭線へ乗り換え、吉祥寺に到着したのは待ち合わせの10分前だった。
南口改札を抜け、人通りの少ない場所で早川君を待つことにする。
さっき、デートでもないのに浮かれている自分に気づいたのだが、男女が二人で会うってデートではないのだろうか?
だとすると、私にとって今日は初デートだ。そう思うと顔が赤くなる気がした。
(いやいや、早川君にその気はない。落ち着け、意識するな花音!)
慌てて否定する。
でも、これは収穫だ。きっとデートで待ち合わせする時の女の子の気持ちって、たぶん今の私の気持ちなのだ。これは今後の作品に活かせる。
暫くすると、公園の方の人ごみに頭ひとつ抜けた長身の早川君が歩いてくるのが見えた。こう言う時、背が高いって便利だ。
(わたしの事、気づくかな?)
小さく手を振ってみると、早川君も私に気づいたのか右手を大きく上げて応えてくれた。
(何だろう、これって、やっぱりデートみたいだ!)
この気持ちは何だろう? ドキドキともワクワクとも違う、こんな気持ち、初めてだ!
「ごめん、待たせちゃった?」
「ううん、少し早くきたから、早川くんは時間通りだよ」
「なんか、今日は感じがちがうね」
普段、私は学校ではトレーナーにジーンズで通っている。スカートを履くのも実に久しぶりかもしれない。
「休日だから、スカートにしたの。変……かな?」
そう言いながら、私は身体をひねってスカートをなびかせた。意識したわけではなかったが、電車の中でやったように胸を強調させてしまう。
やってしまって、自分が凄くあざとい事をしている気になって後ろめたさを感じた。
「あ、いや、凄く良いと思います」
(なぜ敬語?)とツッコミたかったが、私も「あ、ありがとうございます」とかしこまってしまった。
「早川君の家は、この近くなの?」私は照れくささを誤魔化すために話題を変える。
「うん、歩いて10分くらいかな。こっちだよ」と、早川君は公園の方へと歩き出した。
私も慌てて後を追う。長身の早川君とチビの私では歩幅が違いすぎる、早川君はゆっくり歩いているつもりでも、私は少し駆け足になってしまう。
必死について行き、早川君が「ここだよ」と立ち止まってくれた時には少し息があがっていた。
しかし、そんなことは直ぐにどうでもよくなった。
「え、ここ?」
(えええーー!!)私は心の中で叫んでしまった。
早川君が『ここだよ』と指し示した建物は、十階以上はありそうなマンションで、学生が住むには明らかに立派過ぎる。
「うん……、ついてきて、開けるから」
私が目を瞬いているのも構わず彼は中に入っていく。私は置いて行かれないように慌ててついて行った。
セキュリティーで区切られているのか中にはもう一つ入口があり、そこにはずらりと並ぶ郵便受けがあり、その先の窓ガラスで区切られた部屋はホテルのロビーみたいにソファー等が置かれていた。
分不相応な空間に、私は戸惑うばかりだった。
私の困惑を他所に、彼は入り口に設置されている装置を操作する。
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