虹のたもと
空殻
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「虹のたもとには何があるんだろうね」
キミがそう言ったのを思い出し、雨上がりの日曜日の正午ごろ、ボクは外に出た。
久しぶりにまともに浴びる日光が眩しい。
青空をバックに、七色の虹がアーチ状に架かっている。
ボクはその右側のたもとへと歩き始めた。
アパートの部屋を出て3分、肌寒い気候に、上着を羽織ってこなかったことを後悔した。でも、今さら一度戻るのも面倒で、ボクは歩き続ける。
10分。虹のたもとはまだ遠い。
この辺りからボクにとっては地理が分からなくなり、空を見上げては虹を見て、方向を確認して歩く。分かれ道に来ると、なるべく方向が一致する道を選ぶ。
そんな繰り返しを続けた。
大昔の船乗りが、星を目印に航海をするのに似ているかもしれないと思った。
20分。少し、目的の虹のたもとが近づいた気がする。だが、まだまだ時間がかかりそうだ。
ボクは足を動かして前に進み続けながら、頭の中ではずっと同じ問いを繰り返している。
『虹のたもとには何があるんだろう』。
そういえば、前にキミに訊ねられた時、ボクはどう答えただろうか。
うまく思い出せない。ただ、キミと話しているのが楽しかった記憶しかない。
ただ、どう答えたにせよ、その答えは間違っていたのだろう。
その答えをボクは知らないから、今こうして歩いているのだから。
30分。ようやく半分くらいだろうか。
空にはまだ虹の橋が架かっている。
でも、ボクはだんだんと、虹が消えてしまわないか不安になり始めた。
虹が消えれば、たもとはもう分からなくなってしまう。
また虹が次に現れる日を待てばいいのだろうが、それまで待つ時間を、なぜかボクには堪えられそうになかった。
歩く速度を少し速めた。
40分。急いだおかげか、目指すたもとは、かなり近づいている。
これだけ近づいても、建物に隠れて虹のたもとは見えない。だが、空を見上げれば巨大な虹の橋が弧を描いて降りてくるのが見える。
それを目印に、道を選んでボクは進み続ける。
『虹のたもとには何があるんだろう』。
キミに投げかけられた疑問が、まだ頭の中で反復している。
そうして反復し続けていたせいか、ふと、キミとの別の会話を思い出す。
『桜の木の下には何が埋まっているんだっけ』。
これもキミに聞かれたことがある。
その答えは、たしか昔の文豪が定義していた気がする。
肝心の答えは忘れてしまったけれど。
部屋を出て45分。
ボクはようやく、虹のたもとにたどり着く。
そこは木々に囲まれて、開けた場所だった。
とても静かな場所だった。
ボクの背丈ほどの、四角い形の石がいくつも並んでいる。
いくつかの細く白い煙が立ち昇っている。
その煙が消える高さと同じくらいの高度で、虹は空気に溶けるように薄らいで消えていた。
ボクは歩き続け、迷うことなく、一つの石の前までたどり着く。
ここには一度来たことがあるのだから当然だ。
ピカピカに磨かれた石の表面には、キミの名字が刻まれていた。
キミが眠るお墓だった。
キミが亡くなってから、10日ほど経っていた。
葬儀に参列し、一度お墓まで参った後、ボクは自分の部屋からほとんど出ずに毎日を過ごしていた。
部屋の外に溢れかえる新しいものや日常を拒否し続けて、記憶の中で生きようとした。
キミが生き返ることを信じていたわけではなく、ただ自分の心を騙そうと思ったのだ。
記憶で意識を満たして、新しいものを入れなければ、キミがいないことを忘れてしまえるのではないかと思った。
そして、ボクは呆気なく自分の心を騙せてしまった。
キミがいない事実をもう忘れかけていた。
そんな時、外から聞こえていた雨音が止まったのを意識した拍子に、キミに昔訊ねられた質問を思い出したのだった。
『虹のたもとには何があるんだろうね』
そうして、ボクは外に出て、本当ならたどり着けるはずのない虹のたもとを目指して歩き始めた。
無意識下では、キミのお墓を目指していたのだとも知らずに。
キミのお墓に手を合わせて瞑目しながら、ボクは考える。
キミがいない事実を知ってしまった以上、ボクはこの現実を直視するしかない。
騙されやすい馬鹿なボクでも、さすがにもう一度自分を騙すことはできないだろう。
かといって、命を投げ出すような勇気もないボクは、この現実を生きていくしかない。
そうして、キミがいないことにも慣れていくのだろう。
もしかしたら、いつかは忘れてしまうのかもしれない。
ただ、こうして現実に向き合うきっかけが、キミの問いかけだったことが少し嬉しい。
都合のいい馬鹿な考えだけれども、もしキミがボクに『生きろ』と言ってくれているのなら、もう少し頑張ってみようかと思った。
虹のたもと 空殻 @eipelppa
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