教官達の憂鬱
「この世界の戦争は、土地や人民を手に入れる国家間交渉の一手段とされている。騎士は、その為に被害を最小限度に押さえるための戦争代理人と位置づけられている。何故?―――当然だからだ」
教壇に立つ教官は、そう語る。
「考えても見ろ」
その眼は、教室にいる全員を押さえつけるかのごとく、危険に光り輝いている。
「誰が黒こげになった土地など欲しがる?
誰が廃墟になった都市など欲しがる?
誰が難民となった市民など欲しがる?
欲しいのは、そのままの土地と人なのだ。
さかのぼること約半世紀前、敵地を焦土にし、敵国の国力を奪う焦土主義が広く流布していたのは事実だ。
それがいかに間違いであったかは、あの戦争の後始末が教えてくれた!
あの忌まわしき赤色戦争において、戦勝国となった旧世界は、戦いで荒廃した占領地の復旧という、いわば後始末のためだけに、戦費を上回る負担を余儀なくされ、結果として10年と経たない内に、敗戦国だったアメリカに経済面で喰われた。
戦で勝ちを収めたにもかかわらず、その後で負ける。
まさに真の負け戦というべきだろう。
その苦い経験があればこそ、世界は変わった。
銃の発展に伴い、戦場の檜舞台から降りたはずの我ら騎士が再び返り咲いたのだ。
それまで同様に、一般兵でなる軍隊を前面に出すのではなく、我ら騎士という選ばれた者達が、国権の発動の元行われる戦争に代理執行者として赴き、あらゆる被害を最小限に抑える。
それを台無しにしてくれる艦隊戦や空爆なんて多大な被害が予想される作戦は、サル以上の脳みそがあれば原則行わない」
教官は、そこまで言うと、教壇を降りた。
「いくら貴様等がクソでも、ここにいる以上、こんなことは百もご承知とは思う」
檻の中に閉じこめられた熊のように、教官は机と机の合間を歩きながら話を続ける。
「貴様等ウジ虫のクソ溜が、あろうことか畏れ多くも天皇陛下よりお預かりすることになるだろう、それがメサイアだ」
候補生達はテキストを読むフリをして息を潜めている。
「騎士の手足となり、あらゆる敵を殺す世界最強の兵器。どんな攻撃にも耐えうる万能の鎧に身を固め、計り知れぬ力で居並ぶ敵を叩いて砕く。決して倒れる事もなく死ぬ事もなく、ただひたすら操縦者の意のままに闘い続ける不死身の兵士。勝利のみを目的とした完全なる兵器―――そして、その裏付けとなる現代魔法技術の昇華」
教官は目的もなしに歩いているのではない。
教室の端まで来ると、くるりとターンして別な隙間を歩き、目的地を目指す。
「かのベトナム戦争。ケサン攻防戦がメサイアのデビュー戦となったことは知っているだろうが」
ピタッ
教官の足が止まる。
その視線の先にいるのは―――
「天儀……天儀ってば」
横に座る生徒が定規を使って脇から突くが、肝心の生徒は微動だにしない。
机に突っ伏す長い髪。
騎士にしては小柄な体つき。
間違いなく女性だ。
「メサイアはご存じの通り人型兵器だ。考えてみれば当たり前の話だ。その道具が使えるか、使えないかの分かれ目は、道具の使い方、ノウハウがどれだけ蓄積されているか、そこに集約される。そして、兵器としてのノウハウがもっとも蓄積されているのは、何と言っても「人体」だ。
各種格闘技、刀剣や銃を用いた戦闘。人類は長い歴史の中で「人体」の使用方法について膨大なノウハウを蓄積してきた。
一方、戦闘機や戦車など、人体以外の存在に関するノウハウの蓄積など、せいぜいここ百年足らずしかないだろう。しかも性能自体が次々に変化する「乗り物」系兵器に対し、「人体」は有史以来大きな変化がない。つまり、過去のノウハウが現代でも使用可能なのだ。人間にとって最も使いやすい道具である「人体」を模した巨大ロボットが最強の兵器なのは、ある面当然なのだが……」
隣の生徒はすでに突くことを止め、テキストに目を落としている。
「貴様等の中には、その意義どころか、ここにいる理由すらわかっていないバカがいるらしいな……」
教官の額には青筋が走り、体から発せられる怒気が周囲の温度を急激に冷やす。
クシャンッ
可愛らしいくしゃみの音が室内に響き、机に突っ伏していた生徒が起きあがる。
「あ……あれ?」
まだ授業中なのに驚いているのは明らかだ。
そして、後ろを振り向くなり、教官と視線が合った彼女は、気まずそうにやや引きつり気味な作り笑顔を浮かべる。
教官は、震える声で、それでも紳士的な言葉を口からひねり出した。
「お目覚めかな?天儀候補生?」
授業終了を告げるベルが鳴り響き、教官が教室から出ていく。
それを廊下で見送るのは―――
「ちょっと、天儀、大丈夫か?」
教官が出たのを確認した、先程定規を使った女生徒が言う。
「だからあれほど寝るなって言ったのに!」
「だってぇ……」
泣き顔で立つのは、先程居眠りしていた生徒。
長い髪。
お嬢様というより、お姫様といった方が正しく感じるほどの美しい気品ある顔立ち。
だが、その手に握られているのは……。
「バケツ持って立っていろ!なんて、私達、小学生じゃないんだから」
「も、もういいですかぁ?」
「まったく!」
バンッ!
教官控え室に戻ってきた先程の教官は、苛立たしさをこめて教本をデスクに叩き付けた。
「長野教官、何か?」
横のデスクで書類仕事をしていた女性教官が訊ねる。
「候補生達に何か問題でも?」
「問題ばかりですよ!」
教官―――
「また、あの天儀です!」
「ああ。あの、鳴り物入りの?」
女性教官、
「そうです。あの“ボンクラちゃん”です」
「“ボンクラちゃん”?」
「生徒達がそう呼んでいるんですよ。無理もないですけど」
「生徒同士で、愛称で呼ぶのは禁止されているはずですが?」
「固いことはいいっこなしにしましょう」
「長野大尉は、生徒達の肩を持つおつもりですか?」
「こういうことだけは」
長野は肩をすくめてウィンクしてみせる。
不服そうな二宮は言う。
「それで何ですか?ようやく明後日には、あの子達は乗騎訓練に」
「今回の選抜は、絶対に何かの間違いだと、そう言っているのです!」
ダンッ!
長野はデスクに拳を振り下ろし、荒い語気でまくし立てた。
「大体、何で俺が女相手に教鞭たれなきゃならんのです!? おっかなくて殴ることも出来やしない!俺はいつから女子校に配属になったんです!?」
「メサイアの操縦に筋力は必要ないですからね」
二宮はニコリと微笑みながら長野に答えた。
不思議と人のこわばった心を解かす何かを、その微笑みは持っている。
そんな微笑みを見ただけで、長野はいつだって、彼女の前で腹を立てることの無意味さを思い知らされてしまう。
「メサイアのセミ・トレーサー・ライド・システム《STRシステム》はバネ仕掛けではないんですから」
「俺はそうであったらどれほど素晴らしいか。そう思っていますよ」
長野はそっぽを向きながらそう答える。
「とくに、あの“ボンクラちゃん”と来た日にゃ」
顔は苦々しげに歪む。
「あいつが芸能人養成の学校にいたことは知っています!ですけど、ですけどね?メサイアって、どんなものか位は知っていて当然でしょう!?
それが、最初の基礎講習では……
俺『以上が、メサイアの運用する兵器の基本構造だ。何か、質問は?』
ボンクラ《以下、ボと略してやる!》『あのぉ』
俺『天儀候補生、何だ?』
ボ『ロケットパンチは、ないんですか?』
俺『あるかっ!』
騎体構造の授業になればなったで……
俺『以上、メサイアの基本構造だ。質問は』
ボ『メサイアって、ガソリンで動くんですか?』
俺『……いつ、俺がそんなこと言った?』
ボ『だって、エンジンって……』
サバイバル訓練になればもう……
俺『以上だ……天儀候補生』
ボ『はい?』
俺『頼むから、何も言うな』
ボ『あのぉ……私、サバイバル訓練って、テントの張り方とか食料の確保の仕方を習うのかと思ってたんですけど』
俺『テントで敵が殺せるか!?』
しまいにゃ……
俺『メサイアで戦うこととは何かわかっているのか!?天儀候補生!』
ボ『えっと……ロボットに乗り込んで戦うリアルロボット対戦ゲーム?』
……。
そうです。
あいつは、絶対にどこかおかしいんです。
そんな奴が、軍に入ること自体、何かの間違いなのです。 そうは思いませんか?」
「し、史上最強のギャグですよ……ププッ……それ」
吹き出すまいと必死に堪えつつ、二宮は震えながらそう言った。
「ロボットに乗り込んで戦うリアルロボット対戦ゲーム?な、成る程?」
「笑い事じゃありませんって」
「まぁ……懸念はわかりますよ?」
二宮は言った。
「メサイアを女の子達が動かす。それが気に入らないんでしょう?戦場は女の死に場所じゃないって」
「悪いですか?」
「いえ?ヒロイックな視点からすれば正しいと思います。ですが、これは日本全国の可能性のある全員を選抜した結果であること。その結果として、彼女達がこの養成過程に在籍していること。なにより、我々には、教育課程参加に関して、生徒を選別する権限は与えられていない。あくまで送りこれてくる殻付きのヒヨコ達を、どう猛な猛禽に変えてやる。それが我々にとっての全てですよ」
「……まぁ、そういうことにしておきましょう」
長野は深いため息と共にいかつい肩を落とした。
「バカでもピーでも、使えればいいんですからね……ったく、左翼大隊でもあるまいに」
「もうっ。そういう口の悪いところ、直した方がいいですよ?」
二宮は微笑みながら言った。
「お嬢さんに嫌われますよ?」
「何」
長野は苦笑してそれに答えた。
「りつきの――長女相手じゃこんなもんじゃ済みません。最近だけでも、何度殴りそうになったか。聞いてくださいよ。あいつ、私立行きたいなんて言うんですよ?しかも医学部」
「あら。いいじゃないですか」
「よくありません!」
長野は目を丸くして抗議した。
「学費、いくらかかると思ってるんですか!?俺が近衛付属医科大のパンフもっていってやったら、“行かない”の一言で斬り捨てられて!」
近衛兵団付属医科大学は、近衛軍の軍医養成機関。在学中の学費と生活費は免除。
ただし、軍隊同然の厳しい規律と、卒業後かなりの年数、軍医としての勤務が強いられることで知られる名門医科大学だ。
普通の女子高生が行きたい世界じゃない。
「私学なんてあるだけ無駄。大学や高学歴なんて意味はない。労働人口の少ない帝国。子供はさっさと社会に送り込め……世論はそう言いいますが……ま、親の欲目ですかね」
「軍隊は―――今の子供達には好かれませんからね」
二宮は自嘲気味に口元を歪めた。
「かくいう私も、あの子達位の年頃には、近衛なんて絶対イヤだ!って言ってた口ですけど」
「泣く子もくたばる二宮教官の言葉とも思えません」
「まぁヒドイ」
「ところで」
長野は声のトーンを落とした。
「どうするんです?」
「えっ?」
「例の騒ぎ、第一分隊が報復に動いているようですな」
「―――ああ」
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