グラン・ギニョル

奈々野圭

前編 ※'22 7/7改訂

―エミール・ランベール。


 彼は名の知れた人形作家であり、彼の制作したビスクドールはジュモーやブリュといった名うての製造会社に引けを取らなかった。いや、個人制作だからこそ、エミールは執念ともいう程の緻密さでもって採算度外視で作り上げることができるのだ。

 彼は芸術家であったが、かといって己の世界に没入しすぎて人間関係を疎かにするような真似をしなかった。むしろ「良い人形を作り上げるには、人間をよく見ていなければならない。何故なら小さな人間を作るのだから」という信念があったのと、なにより彼は人間を見るのが好きであった。というので社交界というものをとても大事にしていたし、彼はそこでも人気者であった。もっとも、「人形制作のためのパトロン探し」というのが大きかったのだが。


 エミールはパリにアトリエを構えている。そこに一人の青年が来ていた。彼の名はケヴィン・ランベール。学生でエミールのファンであり、彼の甥である。


 アトリエに来たケヴィンは、そこに並んでいる人形を見て嘆息した。

 人形を見つめたきり動かなくなっているケヴィンに、エミールは声をかける。

「いや、まさか君が人形に興味があったとはねぇ。『人形なんか子供の玩具だ!』って言うかと思ってたよ」

「子供の玩具だって?いや、とんでもない!叔父さんの人形は芸術作品だよ!子供の手に渡したくないくらいだ!だって-」

 それを聞いたケヴィンは語気を荒げたが、エミールは静止した。

「いやいや、僕は子供のために作ってるんだ。だって子供の喜ぶ顔が見たいからね。でもありがとう。どの人形も心血を注いで作っているからね」


それを聞いたケヴィンは冷静になり、先の発言は言い過ぎたと反省した。

「まぁ、僕なんかがグチグチ言ったところで仕方ないものな。だいいち、僕は生憎学生だし…」

 ケヴィンは気まずそうに言い淀む。

「甥っ子のよしみだ。一体だったらプレゼントするけど」

「いや、駄目だよ!人形はタダでは作れないでしょ。それ相応の対価を払わないと!」

 エミールの提案はケヴィンにとっては願ってもないものであったが、即座に断った。


「君はそういうところ、ちゃんとしてるんだね。そうだな…」

 エミールは一息置いてから、こう続けた。

「君だったらいいかな。ちょっと見せたいものがあるんだ」

 いうなり、エミールはケヴィンを別室に案内した。



「この部屋、実はメイドも入れてなくてね。というのも、下手に触って壊されたら困るものを置いているんだ。」

 エミールは「部屋に置いてあるもの」を説明しながらドアを開ける。


 部屋には、椅子に腰掛けている一人の少女がいた。

 正確にいうと、それは等身大サイズの少女の人形であった。


 人形は赤いドレスを着せられており、黄金色に波打つ髪が胸の辺りにかかっていた。磁器で作られた肌は艶めかしい白色で、顔は繊細なメイクが施されており、ほんのりさした紅によってまるで血が通ったかのような、生き生きとした様子を見せている。

 なにより硝子でできた目は、光という光を集め、青く輝いていた。


 ケヴィンは部屋に入るなり、人形に目が釘刺しになり、言葉を失ってしまった。

「最初はまぁ、ちょっとした好奇心というのかな。なんか作ってみたくなっちゃってね。我ながら酔狂としか言いようがないんだけど。でも作ってるうちに愛着が湧いてきてね。なんとか完成させないとって気分になったんだ。

「ところで、さっきから黙ってるみたいだけど……もしかして、気味が悪いって思った?」


 エミールがきまり悪そうに話していると、部屋に入ったときからずっと人形の方しか見ていなかったケヴィンは、エミールの方を振り返った。


「気味が悪い?まさか!いや、そんなふうに思わせたなら申し訳ない…。そうじゃなくて、まるで人間だ。いや、人間以上だ!だってあんなに美しい人間がこの世の中にいるものか!」


 等身大の人形なんか気味悪がるんじゃないかと思っていたので、ケヴィンの口から思わぬ賞賛の言葉が出てきた時、かえってエミールの方が怯んでしまった。

「そこまで言われちゃうとねぇ。でもありがとう。気に入ってもらえてなによりだ。」

「ところで、叔父さん。この人形どうするの?」

 ケヴィンの問いに対して、エミールは考え込む。

「どうしようかな。愛着が湧いたから手放す気になれなくなったけど、とはいえせっかく作ったんだから大勢の人に見てもらいたくもあるね。ケヴィンの反応をみたら悪くなさそうだし。といっても、ケヴィンみたく好意的な反応をしてくれるかどうかはわかんないけど」

「何を言ってるんだ!この人形の美しさが分からない奴なんているものか。むしろ、ああだこうだと偉そうに批評家ぶって難癖つけるようなのこそ目が節穴なんだ。これこそ叔父さんの人形作家としての腕を見せる絶好の機会じゃないか」


 ケヴィンは熱っぽく語るも、内心では「この人形が衆目に晒されるなんて。できることなら僕一人が独占したい」という思いが脳裏を掠めた。



 住まいにしているアパートに帰ってきたケヴィンだったが、帰ってきてからというもの、ずっと件の人形のことを考えていた。


―あれは人形だ。「ただの」人形なんだ。でもさっきからあの人形のことしか考えられなくなってる!叔父さんはなんてものを作ったんだ!―


 ケヴィンの人形に対する思いが、叔父に対する恨みつらみと混ざりあい、混沌としたものになっていく。

 ケヴィンはどうにかしてこの馬鹿げた妄想を振り払わんとして、一先ず深呼吸すると、日課としている日記をつけるために机に向かった。


 机に置いている日記帳を手に取った瞬間、なんと日記帳からどす黒いものが渦巻いているではないか。

 ケヴィンは驚いて手を離すと、それは勢いよく机の上に飛び出し、ドス黒いものを纏いながらパラパラと音を立てて次々とページをめくったかと思うと、そのまま閉じていき、ドス黒いものもおさまっていった。


 その様子を見ていたケヴィンは、机に近寄って奇妙な動きをした日記帳をおっかなびっくり触ってみる。

 特に異常は見られなかったので、思い切って手に取ったら、それは毎日開いている日記帳ではなくなっていた。


 一体これはどういうことなんだと訝しみつつも、ケヴィンは中身を確認することにした。


 日記帳だったものを開いてみたら、見たことがない記号が並んでいる。記号は一定の法則性を持って並んでいたため、その記号列はおそらく文章であろうことは推測できた。しかし如何せん見たことがない記号であったため、当然何が書いてあるのかわからない、はずだった。

 というのも、ケヴィンは人目見てそれが何を意味しているのか「理解した」からである。

 何故読み方さえ分からない文字で書かれているのに「理解できた」のかわからないので、ケヴィンは当然困惑したのであるが、この時ケヴィンはある書物のことを思い出した。


『無名経典』


 ケヴィンが通う大学に、妙にオカルトに熱をあげている者がいた。

 ケヴィンは「これからは科学の時代だ。非合理的な神秘主義の居場所なんかあるものか」と一笑に付していたが、彼いわく「科学を『光』とするならば、魔術や霊魂とオカルトいったいわば『闇』はもっと深まるものなのだ」と口角泡を飛ばしていた。

 その時に彼の口から『無名経典』が出てきた、というわけである。


 曰く、「無名経典は世界のありとあらゆる知識が詰め込まれており、大きな奇跡を起こすことができる呪文が書かれていたり、また恐ろしい怪物を呼び出し、それだけではなく使役することもできるという偉大なる魔術書」らしいのだが、如何せん存在そのものが疑わしいとされているため、好事家たちの話のタネの域を出ないものであった。

 無論、かつて日記だったものが無名経典であるという根拠はどこにもない。しかし、日記だったものが日記ではなくなったというのは事実である。ケヴィンは『かつて日記帳だったもの』を読み進めることにした。


 ケヴィンは読み進めていくうちに、ある文章に釘付けになった。


『人形の少女を手に入れる方法』


―なんでこの本は僕のことがわかるんだ。もしかしたら心が読めるのか?

 ケヴィンは動揺した。


 ケヴィンはおののきつつも次の頁をめくってみると、今度はこんな文章が飛び出す。


『少女が欲しかったら、以下の文章を唱えること』


 ケヴィンはなにが続くのか緊張感を持ちながら目で文章を追っていくと、次のような文が書いてあった。


『あの少女が僕の手元に来ますように』


 ケヴィンは拍子抜けした。呪文とは呼べない簡素な文章だったからである。ケヴィンはなんだか小っ恥ずかしくなってきたが、これだったらすぐ読み上げられるだろうと思ったので読みあげようとしたが、思いとどまった。


 というのも、こういうものはそれ相応の代価が付き物だからである。ケヴィンは注意深く他の頁を見てみたが、代価のことは一切書いていない。

 その事でケヴィンはかえって不安になってきた。ただ、しち面倒くさい儀式をやれだの生贄よこせだの、代償として悪魔に魂を売るだの、ということも書いていなかった。

 読んでいるうちにダメでもともとだろうという心境になってきたケヴィンは、先の文章を読み上げることにした。


「あの少女が僕の手元に来ますように」



―朝、ケヴィンは目を覚ますと、部屋の椅子に腰掛けている少女がいた。ケヴィンは驚愕した。 というのも、昨夜、『あの少女が僕の手元に来ますように』という文章を読み上げても何も起こらなかったのと、読み上げた瞬間、本は見慣れた日記帳に戻ってしまったため、結局のところ単なる思い込みだろうとして片付けてしまっていたからである。


 ケヴィンは恐る恐る少女の元に向かうと、少女はピクリともしない。ケヴィンは確信した。これは叔父の家にあった人形だと。


 僕はなんてことをしてしまったんだ。これは盗みじゃないか!


 人形を手に入れた喜びよりも叔父に対する罪責感が上回ってしまった。すぐに叔父さんの元へ戻さないと、と考えたケヴィンであったが、そもそもどうやって盗み出したのか。超自然的な力が働いたのであったが、そんなことを言っても信じてくれそうにない。だいいち、どういう方法であれ盗み出したことには変わりはない。

 ケヴィンは時間を確認するために懐中時計を出すと、もうすぐ出なきゃいけない時間になっていたので、ケヴィンは一先ず問題を保留にして大学に向かうことにした。



―授業が終わったのでアパートに帰ってきたケヴィンだったが、玄関の前に二人の男が立っていた。

 もしかして警察が来たのか?そう考えるも、このまま帰らないというのもかえって怪しまれるなとも考えたので、意を決して玄関へと向かった。


「すみませんが、ケヴィン・ランベールさんですね?こちら警察のものですが」

 予感的中。人形の件で来たのか?でもあの晩はずっとアパートにいたし、それについては叔父のメイドが証言してくれるだろうと思ってたので、ここは一先ず冷静になれとケヴィンは自分に言い聞かせる。


「ええと、どのような要件なんです?」

 刑事は重々しく口を開いた。

「エミール・ランベールさんは、暴漢に襲われて亡くなりました」

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