恋人と呼ぶには遠くただの幼馴染というには近い話
月之影心
恋人と呼ぶには遠くただの幼馴染というには近い話
「久し振り。」
本屋で雑誌コーナーの間を歩いていると、前から女性が声を掛けてきた。
「よぉ。」
何ヶ月ぶりか忘れたけど、一目見てその女性が幼馴染の
「何探してるの?」
史奈は俺の隣に並ぶと、俺の見ていた本棚の周囲を眺めながら訊いてきた。
「いや、別にこれってのは無いけど何か面白いのあるかなと思って。」
ちょうど目の前にはアウトドアやサバイバルゲーム系の月刊誌が置かれた場所だった。
「
史奈が手元にあった一冊のアウトドア系雑誌を手に取ってパラパラと捲った。
「いや、特に好きってわけじゃないよ。たまたまここを歩いてただけ。」
史奈は雑誌を元の場所に戻すとそのまま雑誌の棚に視線を泳がせていた。
「今、暇なの?」
俺も史奈の眺めている雑誌の棚をゆっくり見ていた。
「昼から休講になっちゃってね。暇になった。」
史奈が体をくるっと俺の方に向けた。
「じゃあ久し振りに会った事だし何か食べに行かない?」
ちらっと史奈を見ると、相変わらず可愛らしい顔ではあるが昔から記憶にある史奈の普通の表情で俺の顔を見ていた。
「そうだな。帰って作るのも面倒だし、たまには外で食うか。」
俺は肩に掛けたバッグのストラップを掛け直すと、本屋の出口に向かって歩きだした。
「いつも自炊してるの?」
俺の後ろからついてくる史奈が訊いてきた。
「いぃや、ちょっと見栄張っただけ。」
静かな店内から自動ドアを抜けて表へと出た。
「何の見栄よ。でも、めんどくさがりは相変わらずなのね。」
外へ出て駅の方へ足を向けると、史奈はすぐに俺の隣に並んできた。
「今は自炊しなくてもいくらでも食べるものはあるし、料理が好きとかで無ければその時間は他の事をするのに当てられるじゃん。」
通りから脇道へ逸れ、少し奥まった所にある小さな喫茶店へと辿り着いた。
「まぁね。でも外食ばかりしてたら栄養偏るでしょ?」
喫茶店の扉を開けると、扉に取り付けられた鈴がカランコロンと鳴り、中から渋い男性が『いらっしゃいませ』と挨拶をしてきた。
「そこは無理してでもコンビニでサラダとか買ってるよ。」
店の一番奥にある二人掛けのテーブルに史奈と向かい合って座った。
「言ってくれれば晩御飯くらい作ってあげるのに。」
挨拶をしてきた男性……この店のマスターらしい……が水とおしぼりとメニューを持ってきた。
「そうなの?じゃあいつでもいいから作ってよ。」
メニューを受け取った史奈は早速ランチメニューに目を通していた。
「私、ミートスパゲティにする。奨太郎はカツカレー?」
俺がメニューを開く前に史奈は俺が選ぼうと思っていた料理を口にした。
「何で分かった?」
史奈はマスターに注文を言ってメニューを返すと、俺の目を見て小さく笑顔を見せた。
「外で食べる時って奨太郎いつもカレーだったから。」
俺はおしぼりを手に取って指の間を丁寧に拭いた。
「そうだっけ?他のものも頼む事あっただろ?」
史奈もお絞りで手を拭いていた。
「その時って私以外と居る時じゃないの?私は奨太郎がカレーを頼んでるところしか見た事無いもの。」
確かにカレーを注文する事は多いとは自覚しているけど、史奈と居る時はいつもカレーだったかなと考えてみたが、反対に他の物を頼んだ記憶が無い。
「そうかもしれないな。」
おしぼりを畳んでテーブルの上に置き、水を一口飲んで椅子に背中を預けて料理が来るのを待った。
目の前にスパイシーな香りの漂うカツカレーと、明らかに自家製感のあるミートソースが掛けられたスパゲティが並び、一気に食欲が加速する。
「カレー美味しそう。」
史奈はパスタをフォークにくるくると巻き付けながら俺のカレーを見て言った。
「一口食べる?」
史奈が体を此方に寄せ、口をあーんと開けてきた。
「スプーンこれしかないけどいい?」
史奈は口を開けたままコクっと頷く。
「ほれ。」
俺はカツをスプーンで切り、カレーライスを絡ませて史奈の口に運んだ。
「結構スパイス効いてるね。美味しい。」
史奈はフォークに絡ませたパスタを俺の方に出してきた。
「こっちも美味しいよ。」
俺は口を開けて史奈の方に体を寄せて出されたパスタを口に入れた。
「何か懐かしい感じのミートソースだ。美味いなこれ。」
史奈はふふっと笑うと、また皿の上のパスタをフォークに巻き付けていた。
「ね。ひょっとしたら先代から続く味とかいうやつで秘伝のナントカみたいなのあるかもしれないね。」
楽しそうに語りながら、あっという間に目の前に空っぽの皿が並んだ。
店を出ると、再び史奈と並んで街を歩いた。
「史奈はさっきみたいなの……俺の使ってるスプーンそのまま使うとか抵抗ないの?」
少しだけ気になったので訊いてみた。
「えー?だって昔から何度もやってたし、嫌だったらやらないでしょ。」
ふんふんと頷きながら歩いた。
「奨太郎は抵抗あったの?」
俺はデパートのガラスの中に展示された冬物の服を着たマネキンを見ながら考えた。
「抵抗は無いし嫌でもないな。」
史奈はまた『ふふっ』っと笑った。
「気にするような間柄でもないでしょ?」
俺は史奈の顔を見たが、いつもの表情だったので前に目線を戻した。
「そうは言ってももうお互い二十歳超えてるわけだし、いつまでも子供の頃の感覚ってわけにはいかないだろ。」
横から史奈が俺の顔を覗き込んできた。
「ひょっとして彼女でもできた?」
俺は史奈の顔を見返して、また正面を向いて言った。
「するどいな……と言いたいところだけど残念ながら今はフリーだ。」
史奈も前に顔を戻した。
「じゃああの何て言ったっけ?図書委員だった……と、と、とみ……」
史奈は俺が以前付き合っていた子の名前を思い出そうとしていた。
「
史奈が俺の方に振り向く。
「そうそう。」
俺は少し大げさに溜息を吐く。
「高校の時の話じゃん。高校卒業してすぐ別れたよ。」
史奈はいかにも『お気の毒に』といった風の顔をしていた。
「そういう史奈こそどうなんだよ?」
きょとんとした顔で史奈が俺を見ている。
「史奈は可愛いんだから引く手数多だろ。」
史奈が難しそうな顔を見せる。
「そういう『可愛いから寄って来る人』ってそれしか見てないの分かるから、最初から相手にしたくないのよね。」
昔からその愛らしさで人気者だった史奈は数知れず告白をされていたが、唯一、本人が『気の迷いだった』と言っていた一名を除いては全て断っていたようだ。
「だったら今は史奈もフリー?」
史奈は難しそうにしていた顔を柔らかい笑顔に変えた。
「そうよ。だからたまには奨太郎から誘ってよ。」
史奈の方からそんな事言うのは珍しいなと思って、つい史奈の顔をじっと見てしまった。
「急にどうしたんだ?」
史奈はさも当然のような流れで俺と手を繋いできた。
「別にどうもしないよ。お互い大学生になってからあんまり一緒に遊んでないなと思って、たまには奨太郎と前みたいに遊びたいなと思っただけ。」
俺は史奈の顔と繋いできた手を交互に見ていた。
「どうもしない割には誘ってくれって言ったり手を繋いできたり。長い付き合いでもあんまり見た事ない史奈なんだけど何かあったのか?」
史奈は俺と反対側に顔を向けた。
「分かんない。」
辛うじて耳に届くくらいの声で史奈が呟いた。
「分かんない?」
史奈は俺の方に顔を向け直して俺の横顔を見た。
「何が?」
俺も史奈の方に顔を向けて史奈の顔を伺った。
「私、奨太郎のこと、好きかも。」
史奈は表情を普段と大きく変えず、ぽつりぽつりと呟くように言った。
「好き『かも』?それが分からないってこと?」
俺は不思議そうな顔をして史奈の顔を覗き込んだ。
「うん。ほら、奨太郎とは付き合い長いから好きとか嫌いとかじゃなくて『近くに居るのが普通』『用事が無ければ居なくても平気』って感じだと思ってたんだよ。」
史奈の言いたいことは分かる。
「あぁ、うん。それは言えてる。」
俺は何処を見るでもなく、進行方向に視線を向けたままうんうんと頷いた。
「でも何ていうか、今日何ヶ月ぶりかで会って前と変わらない感じで話が出来て、やっぱり奨太郎と居ると楽しいなぁって思ったの。」
史奈の声には殆ど抑揚は無かったが、それが却って自身を落ち着かせる為にわざとやっているような気もした。
「だから好きかもしれないってこと?」
前方から小走りに近付いてきたサラリーマンを避けるように体を史奈の方に寄せながら訊いた。
「他の人とじゃこんな風に思った事は無いからよく分かんない。」
史奈は俺の顔を見上げて少し困っている時の顔をしていた。
「どうすれば分かるのかな?」
それが分かれば苦労は無いと思うけど、俺自身の事でも無いので俺に分かる筈も無い。
「さぁ?史奈が『こうすれば分かるかも』って事を一つずつやっていけばその内分かるんじゃないかな?」
史奈は繋いでいた手を解いて俺の腰に腕を回してきた。
「肩に手を回してみてよ。」
俺は言われた通り史奈の肩に手を回して肩を抱いた。
「歩きにくいぞ。」
街のそう広くない繁華街の歩道をまるで抱き合うようにして歩いているのだからそりゃ歩きにくい。
「でも奨太郎の体温が伝わってきていい感じだよ。」
俺は少し歩みを緩めてみた。
「何か分かった?」
史奈は俺の腰に回した腕に少し力を入れた。
「んー、やっぱ好きかも。」
俺も史奈の肩に回した手に力を入れた。
「『好きかもしれない』が改めて確認出来ただけで何も進んでないじゃん。」
史奈が俺の胸の横に頭を押し付け、もたれかかって来た。
「無理して進む必要は無いからいいのよ。」
俺と史奈は繁華街を抜け、よく待ち合わせなんかに使われる駅の向かいにある公園へと入り、通りから一番遠くに置かれたベンチに腰を下ろした。
「分からないままでいいってことか?」
歩いて来たまま、俺が史奈の肩に手を回し、史奈が俺の腰に腕を回した体勢で座ったので、傍から見ればただ抱き合っているように見えるかもしれない。
「何かこれ、バカップルみたいね。」
史奈がそう言うのに合わせて肩に回していた手を離したが、史奈は相変わらず俺の腰に腕を回して抱き付いたままだった。
「そう思うなら離れりゃいいだろ。」
史奈は俺の左胸に耳を当てるように、更に強く抱き付いてきた。
「好きだからいいの。」
斜めからもたれてくる史奈の体を支えながら、史奈の頭を見た。
「好きなんだ。」
史奈は頭をもそもそと動かして頷いているようだった。
「え?あ……うん、やっぱ好きみたい。」
俺は離していた手を再び史奈の肩に乗せた。
「分かったの?」
俺にもたれてもそもそしていた史奈の動きが止まる。
「奨太郎のことが好きなのは間違いないってのは分かった。」
動きを止めた史奈が顔をこちらに向けた。
「でも多分、奨太郎との付き合い方ってこういうのが続く気がする。」
俺は史奈の顔に掛かった髪を指で払って史奈の顔がきちんと見えるようにした。
「こういうのって?」
俺に髪を髪を梳かれながら史奈は目を閉じていた。
「たまに会って食事したり話したり、会わなくなったら何ヶ月も会わないけど全然平気、みたいな。」
史奈が薄く目を開けて俺の顔を見上げる。
「でも、たまに奨太郎が私を誘ってデートに連れて行ってくれる、とか。」
俺は史奈の提案が酷く都合の良いものに感じ、思わず笑みを零した。
「俺が誘うばっかじゃ不公平だから、史奈も誘っていいんだぞ?」
史奈もくすっと笑った。
「じゃあ早速。今晩何が食べたい?」
晩飯の献立を伺われてきょとんとしてしまった。
「『いつでもいいから作って』って言ったの奨太郎だよ?」
俺はふふっと笑って(そういやそんな事言ったな)と、つい数時間前の事を思い出した。
「じゃあ『カレーライス』で。」
史奈は肩を震わせて笑っていた。
『恋人』と呼ぶには遠い気もするけど、少しだけ近寄った俺と幼馴染の関係は、多分これからもこんな感じで続いていくような気がした。
恋人と呼ぶには遠くただの幼馴染というには近い話 月之影心 @tsuki_kage_32
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます