いつまでも二人で
世の中には『自分の事は自分が一番よく分かっている』という説と『意外と自分のことは見えない』という真逆の説があると思うけれど、ボクは前者派だった。
だってそうでしょ?
普通に考えて、自分の事は自分が一番よく分かってる。
何が好きだとか何が嫌いだとか、どういう時間が落ち着くとか何を不快に思うとか。そういうのを完璧に理解しているのは自分だけなんだ。
昔話をしようと思う。
ボクは割と周囲に本当の自分を出さないきらいがあって、そのせいで学生時代は色々と勘違いされることがあった。
それは主に恋愛関係だった。
友達やゼミやサークルの仲間と違ってボクはあまり恋愛というものに乗り気ではなかった。別に避けてきたという訳でもないけれど、周囲がどうしてそういった繋がりにそこまで執着するのか、その理由が当時のボクにはピンとこなかった。人は一人でも生きていけると思っていたし、実際それで困るようなこともなかった。
ただボクはそういう周囲とのズレを誰かに吐露することはなかったし、合コンなんかにも誘われれば参加した。恋愛感情を抜きにすれば騒がしいのはそう嫌いではなかった。当時から他人と話すのは好きだった。バーチャル配信者はボクの天職だと思っている。
そういう集まりに参加していると、男性からアプローチされることも多かった。当然だ。合コンというのは元々そういう集まりだ。それくらいは理解した上で参加していたし、恋愛に前向きになれるような出会いがあるかもしれない、と期待していた部分も少なからずあった。
結局そんな出会いはなかったのだけど、個人的な男性からの誘いをのらりくらりと躱すボクを中傷する人もいた。それは主に同性だった。
────曰く、あいつは自分が可愛いと勘違いしてる。
────曰く、あいつは男に色目を使っている。
────曰く、あいつは合コンを荒らしに来てる。
色々な事を陰で言われた。
これでも合コンに参加した同性たちとは仲がいいつもりだったけど、それはどうやら思い込みらしかった。
ボクは決して合コンを荒らしてやろうとかいうつもりはなく、自分も周囲のように恋愛至上主義になれるのではないか、そういう出会いはないかと考えていただけだった。
周囲からズレているのは自覚していたから、それを治そうと思っていただけだった。
ボクのそんな願いは結局叶うことはなく、それどころか一部の友人を失う羽目になり、その代わりにボクは『人は理解し合えない』という教訓を得た。
多分ボクは周囲とは少し違っていて、それは理解されることはない。
自分の事を理解しているのは自分だけ。
そういう考えでボクは生きてきたし、この世の真理を得たつもりだった。
二十年以上生きてきて培った考えが今更変わるとも思えない。これからもきっとそうやって、本質的には一人で生きていくんだと思う。
この前まではそう思っていた。
◆
「…………ちはやくんにあいたい」
リビングのソファにだらけきった態勢で寝そべり、クッションを不格好につぶしながらボクはそうひとりごちた。
この前まで『人は一人でも生きていけるんだ』と澄ました顔で悟っていた一人の女は、今や一時たりとも彼氏の傍を離れたくない超ヘビー級女子に変貌を遂げていた。
今回の事から得られる教訓は、『自分のことは、自分では意外と見えてないのかもしれない』ということだった。この世の真理を知ったような女子大生がいたら是非教えてあげたい。
「あーいーたーいーよーーーーー」
バタバタと手探りでスマホを掴んで即座にルインを開く。
メッセージを送ろうと思っていたけど、なんとなくトーク履歴を遡ると、千早くんとのラブラブなやりとりに思わず頬が緩んでしまう。
「…………えへへ」
千早くんと付き合うようになって一か月が経った。
個人的には順調だと思う。
喧嘩もしたことないし、毎日好きだよって言ってくれるし、デートで行ったカップルの鬼門だと言われてる某テーマパークのアトラクション待ち時間でも気まずくなることなかったし。
千早くんへの気持ちは原油のように際限なく湧き出てきて、嫌いになるという感情が分からない。向こうもそうだったらいいなと思う。
「…………うーん」
トーク履歴を遡りながらこの一か月で重ねた二人の思い出に耽っていると、一つの事実に気が付いた。
「…………ルイン、いつもボクから送ってる」
そうだった。
どれだけ遡っても、二人の会話はいつもボクから始まっていた。千早くんから連絡がきたことはなかった。
それはボクが何かあるとすぐ送っているせいもあると思うけど、それにしても一度もないというのは悲しいではないか。
「…………」
…………そういえば、好きだよって言葉もいつもボクから言ってる気がする。千早くんはいつもボクのその言葉に返すように「俺も好きだよ」と言ってくれていた。
心の中に、冷たい風が吹き始める。
ボクの心の林はざわざわと怪しく揺れ動いていた。
「千早くん…………ボクのこと、好きじゃなくなっちゃったのかな……」
口に出すと、恐ろしかった。
…………千早君は魅力的な人だ。
こおりちゃんだって千早くんの事が好きだった。もえもえもそう。姫は分からないけど……少なくとも嫌いじゃなかったはずだ。
本来ボクなんかが付き合えるような人じゃないんだ、千早くんは。
確かに顔はかっこよくないかもしれない。モデルみたいな体型でもない。王子様のような甘いセリフを耳元で囁いてくれるわけでもない。
でも、千早くんにはなんというか……居心地の良さがあった。
太陽のようなわかりやすい熱ではない。どちらかというと、傍でそっと温めてくれるような…………そう、ホッカイロのような。千早くんはホッカイロ男子なんだ。
ボクのような独り身にはそういう人肌のぬくもりが特別効いた。
千早くんのいない生活なんて考えられない。
やっと見つけたボクの運命の人。何も飾ることなく偽ることもなく、自然体で接せられる人。
今さら千早くんなしではボクは生きられない。人は一人では生きてはいけないことを、ボクはもう知っていた。
「…………」
震える身体を押さえつけて、必死に頭の中で「好きだよ」を再生する。
好きだよ。
好きだよ好きだよ好きだよ好きだよ好きだよ好きだよ好きだよ好きだよ好きだよ好きだよ好きだよ好きだよ好きだよ好きだよ好きだよ好きだよ好きだよ好きだよ好きだよ好きだよ好きだよ好きだよ好きだよ好きだよ好きだよ好きだよ好きだよ好きだよ。
どれだけ繰り返してもそれは冷たいボクのメモリーでしかなかった。生きた言葉ではなかった。
『会えない?』
カチカチと画面をタップしてメッセージを打ち込んでいく。
結局今日もボクたちの会話はボクから始まるのだった。
◆
「ねえ、千早くんってボクのこと好き?」
芽衣ちゃんはソファに座った俺の膝に頭を乗せて、こっちを見上げながらそんなことを言った。
「うん、好きだよ」
俺たちにとってはお決まりのやり取り。けれど今日は少し様子が違った。
「どういう所が好き?」
「うーん、こうやって甘えてきてくれる所かなあ」
猫をあやすように顎の下をくすぐると、芽衣ちゃんは目を細めて気持ちよさそうにする。
「うー……ごろごろ……」
猫が憑依した芽衣ちゃんはとても可愛かった。見ているだけで癒される。
芽衣ちゃんは手を猫の手にして、何かを催促するように俺の顔に触れてくる。
すっかりその気になった芽衣猫をあやしながら、俺はさっきの質問について考えていた。
芽衣ちゃんのどこが好き、かあ。
正直、一言でここと言えるようなのはない気がする。
見た目が好きだとか性格が好きだとか声が好きだとか。そういうのではなく、いつの間にか好きになっていた。いつの間にか生活の一部になっていた。
だから、さっきの質問の答えを俺は持ち合わせていない。あえて言葉にするなら『全部』ということになるのだろうか。
「つかまえた」
ちょっかいをかけてくる芽衣ちゃんの手を捕まえて、ぶらぶらと振って遊ぶ。芽衣ちゃんはされるがままになっていたけれど幸せそうだった。こういう何気ないスキンシップが今の俺の幸せの素だ。
芽衣ちゃんとずっと一緒にいられたらいいな。
そうすればきっと俺たちは幸せでいられる気がした。
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