告白
タワーマンションの玄関前に備え付けられている大きなコンソール。
この前の記憶を必死に思い出し、俺は芽衣ちゃん家の部屋番号を押下した。
しばらくすると音もなく自動ドアが開き、俺はエントランスに踏み入れた。夜遅くにも関わらずフロントにはコンシェルジュが恭しく待機していて、近付くとカードキーを手渡された。どういう仕組みか分からないが俺が芽衣ちゃん家に用があってきたということは筒抜けになっているらしい。
カードキーを翳しエレベーターに乗り込む。高級タワーマンションのエレベーターは相変わらず怖いくらい静かで、俺はつかの間の静寂の中で自分と向き合う羽目になった。
上昇していく階数表示を眺めながら今一度後悔はないか自問自答する。
優柔不断を自認している俺には珍しく、不思議なほど心は落ち着いていた。もうここまで来たら当たって砕けるだけという状況が精神的に良い方向に作用しているのかもしれない。
芽衣ちゃんが住んでいる階に到着しても踏み出す足に迷いはなかった。確かな足取りで玄関の前に立つと、深呼吸ひとつしてインターホンを押した。
◆
頭の中はパニックだった。
無数に湧いてくる疑問符を、けれど破壊的なまでの幸福感が塗りつぶしていく。
千早くんが来てくれた理由は分からなけれど、どうしようもないほどに嬉しかった。
インターホンでロックを解除し、急いで配信部屋に戻ってスマホを探す。道中で邪魔な涙を思い切り拭った。
テーブルの隅に投げ出されていたスマホを確認すると千早くんからルインが来ていた。
内容は…………大会お疲れ様というもの。それから、ボクを心配するようなものだった。
「ボクを心配して来てくれた……?」
もしそうなら、飛び跳ねるほど嬉しい。さっきまでボクを包んでいた暗闇はいつの間にか消え去っていた。
我慢できずにボクは玄関に駆け出した。
電気をつけて、今か今かと想い人の到着を待つ。感情の急上昇に心臓がついていけず、バクンバクンと急ピッチで血液を循環させている。なんかもう色々と破裂しそうだった。
「うう…………」
落ち着けるわけもなく、備え付けられている大きな姿見で身だしなみを確認する。
「うわあ…………」
案の定目の周りが腫れていた。目は真っ赤だし、これじゃ泣いてたのが丸わかりだ。
焼け石に水なのは分かっているけれど、ぎゅうぎゅうと目の周りを押さえて腫れと戦う。勿論効果はなかったけど、これから千早くんに会える嬉しさでどうでもよくなった。
インターホンが鳴った。心臓が早鐘を打つ。さっきまではあれだけ会いたいと願っていたのに、今千早くんの顔を見たら色々決壊してしまう気がして急に会うのが怖くなった。だけど足は吸い寄せられるようにドアの前にボクを運んで、腕は勝手に鍵をあけようとする。身体が千早くんを求めているみたいだった。理性なんかで対抗できるはずもない。
鍵をあけると、ゆっくりとドアが開いた。神様は待ってはくれずドアの向こうから千早くんが姿を現した。心臓がひときわ大きく跳ねた。まだ会って一秒なのにボクは幸せで満たされた。
「あは、は……」
思わずそんな声が漏れた。
ボクってこんなに千早くんのことが好きだったっけ?
いや勿論好きだったけど、時間を超えちゃうくらいには好きだったけど、けれどここまで好きだとは知らなかった。なんだかもう今のボクは幸せの化身と化していた。さっきまでのどん底と同じ世界とは到底思えなかった。
「えっと……こんばんは」
千早くんは何と言ったらいいか迷っている様子で、場当たり的にそう呟いた。きっとノーアポで来たからボクがびっくりしてないか気にしてるんだろう。
「こんばんは。とりあえず…………あがる?」
「あー…………うん。お邪魔します」
なにもかもうっちゃって今すぐ千早くんの胸に飛び込みたいという衝動を必死に押さえつけて、ボクは千早くんを室内に促した。
「…………」
静かな室内に二人分の足音だけが響いている。
ソファに座ろうとしたけれど、なんとなく星が見たくなって、ボクはリビングを通り過ぎてベランダに出た。
夜空を眺めて少し落ち着きたい気がした。
手すりに寄りかかって遠く輝く星々を見上げると、隣で千早くんが同じようにしはじめた。
幸いにも今日は雲ひとつなくて、満点の星空がボクたちを包んだ。
「…………心配して、来てくれたの?」
「えっと…………うん。芽衣ちゃんが落ち込んでるんじゃないかって」
目を合わせてないからかな。いつもより素直に自分の感情を口にすることが出来そうだった。
「…………嬉しかった。会いに来てくれて」
「良かった。実は結構不安だったんだ。いきなり押しかけたら迷惑かなって」
「迷惑なわけないよ。千早くんと会えるのに、迷惑なんてあるわけない。ボクもね……実は会いたいなって思ってたんだ」
「そうなの?」
「うん。…………千早くんの顔が見たいなって考えてたらインターホンが鳴るからびっくりしたよ」
もし会いに来てくれなかったら、ボクはどうなってたのかな。あまり考えたくない。
「ホントはね、さっきまで凹んでたんだ」
そっと夜空に吐き出した告白を千早くんは黙って聞いてくれた。
「ボクって本当にダメな奴だなって身に染みてさ。柄にもなく結構落ち込んでた。何のためにボクはここにいるんだろうって」
あの大会はボクにとって特別だった。千早くんへの恋心を自覚したのはあの大会で負けたから。その大会でリベンジを果たしてこそ千早くんに気持ちを伝えられるって、その為にボクは過去に戻ってきたんだって、本気で思ってた。
「この広い世界で一人ぼっちになった気分だった。ゲームで負けたくらいで大袈裟なと思うかもしれないけれど、ボクにとっては大切なことだったんだ」
厳密にはこの世界はボクが生きてきた世界ではないのかもしれない。ボクの知る世界はもえもえとお台場で泣き腫らしたあの夜だ。そういう意味では確かにこの世界でボクは一人ぼっちだった。
「でも、そんな暗闇も千早くんの顔を見たらどこかに吹き飛んじゃったみたい。今は幸せな気持ちなんだ」
千早くんすら失ってしまったと思った。あの温もりすら、手のひらから零れ落ちてしまったんだと。どうしてボクはひとりなんだと自分を呪った。
でも、違った。
千早くんは来てくれた。
────この世界でのボクの行動は、決して無駄じゃなかった。
「…………」
ボクはゆっくりと隣を向いた。何かを感じとったのか千早くんも丁度ボクを見た。
夜空に輝くのは真っ暗なキャンパスを埋め尽くさんばかりの眩い星々。その一つ一つが、ボクの背中を押してくれている。
ボクは少し背伸びをした。そうする事でやっと千早くんと同じ目線になれた。
「大好きだよ、千早くん。やっと伝えられた。この言葉を、ずっと君に言いたかったんだ」
世界で一番好きな人の唇にボクは唇を重ねた。
驚いて目を丸くする千早くんが、とても愛おしかった。
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