はじめまして

 千早くんは一通り資料の説明をすると初めて私達に視線をやり、休憩にしましょうと提案した。

 緊張のせいか千早くんは一度も資料から顔を上げることがなく、結局ボクに見つめられていることに気が付かなかったみたいだ。


「…………」


 ボクは朧げな記憶を辿って姫に目を向けた。休憩中に姫が千早くんに話しかけた事が、ボクたちが個人的に仲良くなるきっかけだったからだ。姫のマネージャーさんは確か席を外していたように思う。


 ボクの記憶通りなら────そろそろマネージャーさんが席を立って、姫が千早くんに話しかけるはず。そう考えてボクは関係各位の間でそわそわと視線を彷徨わせる。


 けれど、姫は一向に千早くんに話しかけない。マネージャーさんは席を立たない。二人は資料に目を向けながら何事かを話し合っている。


 一体どうなってるの……と内心焦りを感じていると、決定的な出来事が起こった。


「…………少し席を外しますね」


 千早くんが会議室の出口に向かって歩いていく。その横顔は緊張に染まっていた。きっとボク達と同じ部屋にいることが耐えられなかったんだ。


 千早君が会議室から出ていく。その背中を見送りながら────ボクははちゃめちゃに焦っていた。


 どうしよう。


 今日の会議の後は、姫のマネージャーさんが間に立ってくれていたから千早くんと仕事で会うことはなかった。つまりボクと千早くんが直接関われるのは今日が最後。千早くんがどこに住んでいるかなんて知らないから、今日を逃せば千早くんに会うには会社の前で張り込むしか無くなってしまう。それは流石に避けたい。


 …………何とか今日中に千早くんの連絡先をゲットしないと。


 そう考えるといつの間にか動き出していた。


「ボク、お手洗い行ってくるね!」


 勢いよく会議室のドアを開けると、周りを見渡す。遠くに千早くんの背中が見えた。


 絶対に逃がさない。


 ボクは走り出した。





「…………あのっ」


 背後から声を掛けられ、俺は振り向いた。若い女性の声に自然と身構えながら。


「……え」


 そこにいたのはさっきまで同じ部屋にいた大人気バーチャル配信者のありすちゃんだった。


 ありすちゃんはチャンネル登録者数百万人を超えるインフルエンサーだ。ありすちゃんの行動ひとつが社会現象に繋がることだってあるレベル。そんな天上人を前にして会議中より委縮してしまう。


「えっと……何か用でしょうか?」


 ありすちゃんはそんな俺を見て、何故が少し悲しそうな表情を浮かべた。だけどその理由が俺には全く分からなかった。


「えっと…………ボク、神楽芽衣っていいます」


 一瞬何のことかと考え、ああ本名かと気付く。


「私は岡千早と申します。今回はよろしくお願いします」


 名乗り返し、頭を下げる。


 頭を上げると、やはりありすちゃんは悲しげな顔をしているのだった。


「…………どうかされたんですか? 元気がないように見えるのですが」


 気になったので聞いてみる。会議前の挨拶を聞く限り元気で明るい子に見えた。今の寂しそうな雰囲気は何か理由があるに違いない。


「…………最近、大切な人と離れ離れになってしまって。それで少し感傷的になっていたのかもしれません」


 ありすちゃんはそう言うと、あははと乾いた笑い声をあげた。

 無理をしているのは誰の目にも明らかだった。


 けれど、俺はかける言葉を持たなかった。俺とありすちゃんは友達でもなければ旧知でもなく、今日会ったばかりの仕事相手でしかなかったからだ。


「そうですか…………それは辛いですね」


 そんな毒にも薬にもならない事しか言えない自分が少しもどかしかった。人間関係に慣れていれば、女性に慣れていればもっと気の利いたことが言えたかもしれないのに。


「でも、いいんです。別れがあれば出会いもありますから。そう思いませんか?」


「それは…………どうなんでしょう」


 その問いの答えは、探してみたけど俺の中には無かった。俺は出会いを避けて生きてきたから。


 出会いがなければ、当然別れもないんだ。


 ありすちゃんは俺のそんな濁した答えに、けれど満足そうな顔をしていた。俺の答えは問題では無く、口に出すことで何かすっきりしたのかもしれない。何にせよ元気が出たならよかった。


 …………しかし、ありすちゃんの提案はいかんせん元気が出過ぎていると言わざるを得なかった。


「ということなので…………ボクと友達になってくれませんか?」


「…………へ?」


「別れがあれば出会いがあるって言ったじゃないですか。だから、出会い」


 ピッ、と俺を指さしてくるありすちゃん。


 …………話が急展開すぎて正直ついていけてない。


「ごめん、言っている意味がよく分からないんだけど……」


「…………むー……」


 俺がそう言うと、ありすちゃんは不機嫌そうに頬を膨らませた。怒っているのに申し訳ないが、その仕草が妙に可愛くて俺は見惚れてしまう。


「だーかーら、ボクは千早くんと友達になりたいの! いいから連絡先交換しなさいっ!」


 ありすちゃんは俺のスーツをまさぐると、スマホをポケットから抜いて操作し始めた。


 いや、それより待て、今千早くんって呼ばなかったか……?


 女性との慣れない距離感に心臓がバクバクなっている。

 最近の女の子ってこういう感じなのか?

 何だか、急にキャラが変わったように思うけど……。


「────はい、登録完了! これからよろしくね、千早くん」


 そう言って太陽みたいな笑顔を浮かべるありすちゃんは、正直とても可愛かった。


「えっと…………うん……よろしくお願いします……?」


 そして女性慣れしていない俺は、そんな平凡な返ししか出来ないのだった。

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