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朝に見た天気予報は晴れのち雨だったけれど、午後三時を過ぎても柔らかな日差しが照り続けていた。
授業が終わってからSHRまでの間で、スマホの電源を入れて天気予報アプリを見る。予報はすでに変わっていて、今日のうちはこのままらしい。
そういえば今日初めてスマホを見たな、なんて思って、たまっていた通知を確認する。メルマガやらの中に瑠奏さんからのメッセージがあることに気付く。
内容は今月の後半からのシフト表の写真と、何か変更があれば──という文。
写真には販促や告知の日程といったものも併記されていて、そうか今年もこの季節か、と思う。
花屋にとっての年末は、一年の間で、五月まわりの次に忙しいと言っていいかもしれない。
体力がなかったからか、去年はわりとしんどかった記憶がある。休憩時間は事務所でへばっていた。
まあ、とはいえ、それは私だけの話じゃなくて、いつも陽気でやさしいパートさんも若干やつれているように見えたくらいには、なにかと忙しくて大変だった。
そんな中でも瑠奏さんは「わたし、昔から体力にだけは自信があるんです」と一人元気に接客をしていた。
店長だから表に出さないようにしているのかな? と最初は思っていた。でもどうやらそういうわけでもなさそうで、本当に疲れてない様子だった。
パートさんはそういう瑠奏さんを見て「いいわねー、二十代って」と言っていた。
それを聞いて、私は十代だけど体力がないんだよなぁ、と勝手に落ち込んだ。
でもまあ多分、今は去年よりちょっとだけましになっていると思う。
今年はなんとか足手まといにならないようにしないと、と意気込む。
いつもの意気込みだけで終わってしまう性分が出てこないように、瑠奏さんにそういう趣旨のメッセージを送っておく。
『それは助かります。でも、べつにいつも通りでかまいませんよ』
スリープモードになるとほぼ同時に返信が来た。
こういうものがそうだというあれそれはないけれど、瑠奏さんらしさが出ていて、自然に自分の口角が上がるのを感じた。
今日はもう解散だと告げる先生の声がして、やば、と思いながらスマホをポケットに仕舞い、机の中から持って帰る分の教科書ノートを鞄に詰め込む。
そうしてから隣の席を見ると、桃とつかさが小さな声で話していた。
「ふゆゆがスマホ見てにやにやしてるなんて珍しい」
「ね。わたし、初めて見たかも。歴史的瞬間」
「ねー」
なに言ってるんだか。あまりにも謎な会話。
「バイト先の店長から、ちょっとね」
「ふゆゆ、店長? 男? 女?」
「え? 女の人だよ」
「へぇー、若い?」
「そうだけど……えと、なに?」
「べつにー、なんでもなーい」
会話に入ったらもっと謎になってしまった。
その謎を解明するべく、どういうこと? という視線を横に向けてみるも、桃は首を傾げるだけだった。
誰にも伝わらない会話だったみたいだ。真のワールド持ちはつかさなのかもしれない。
そうこうしていると「あ、つかささん」と教壇の方に居た先生がこちらに向けて声を発してきた。すると、
「ア、ワタシキョーバイトダッタンダカエラナクチャー」
と妙な言語を発して、つかさは見たこともないような速さで教室から出て行く。
「あ、行っちゃった」
先生はつかさを追うわけでもなく、割とどうでもよさそうにそう言って、残っていた生徒たちに挨拶をしつつ教室を後にした。
なんだったんだろう? とまたつかさに疑問を感じながら、教室の入り口から出るところで、私の意を汲み取ってくれたのか桃が口を開いた。
「つーちゃん、今日の数学のテスト全く解けなかったみたい」
「それで、先生にびびってたの?」
「うん、そうじゃないかな」
「へぇ……あ、桃はテスト解けた?」
「わたし? えっと、最後の問題は分からなかったけど、それ以外はそこそこ。ふゆは?」
「私も同じ感じかな。それほど悪くはないとは思う」
話しながら階段へと差し掛かる。桃に上か下かとジェスチャーされたので、少し考えて上の方向を指差す。
「そういえば、わたしたち、テスト前日にトランプしてたんだよね」
「たしかに。考えてみればそうだ」
「ふゆもつーちゃんも栞奈ちゃんも何も言わないから、良いのかなあって思ってた」
テストだからといって取り立ててしない人。触れたくなかった人。忘れてる人。
どれが私なのかはお察しの通りで、どれが酷いのかというと、一番最後。うん。仕方ない。
さっきの教室最寄りの階段でのやり取りで、行き先は屋上となっていた。
上が屋上で、下が部室。鞄のポケットから鍵束を取り出す。
鍵を回して鉄扉を開けると、びゅうと吹き付けた大きな風で前髪が崩れた。
桃とここに来るのは二度目。けど、この前とは何かが少しずつ違っているように思えた。
桃は私よりも数歩先に歩いていって、フェンス越しに見える景色を眺める。もう一度吹き付けてきた強い風で、長い髪の毛がふわりと舞っていた。
「このお花、まだ葉っぱだけなんだ」
すぐに満足したのか戻ってきた桃は、私の近くにあったプランターに目をとめた。
「うん。二月の後半くらいに咲き始めて、四月か、長くて五月の初めくらいまで咲いてる花なんだよね」
「ふうん。前来た時から、なんとなく気になってたの」
「この花のことを?」
「うん」
「そうなんだ」
言われてみればたしかに、他の花は咲いていたり、蕾であったりするから、ぱっと見て葉っぱと土と肥料だけのものは目立っている。
私たちは半身ほどの間をあけて並んで、その花──クリスマスローズのプランターの前に腰を下ろした。
「どういうお花なの?」
「スマホで検索してみれば?」
「それでもいいけど、せっかくだしふゆから聞きたい」
あまり知らないんだけどなぁ。
……まあ、いいか。
「名前は、クリスマスの頃に咲くからクリスマスローズ。でも、それは原産国? でのことで、こっちではクリスマスにはめったに咲かないし、ローズっていうけどほんとはバラ科じゃない。
冬の花だけあって寒さには強くて、いろんな種類の色とかたちがあって。
これは、片方は緑っぽい花で、もう片方は黒っぽいの。育てやすいし、いい花だよ」
私の下手な説明に、桃はふむと頷く。
気になるというのはそのままの意味だったらしい。
「ふゆはこのお花が好きなんだね」
そして、穏やかな声でそう言ってきた。
「そう見える?」
「なんていうのかな、このお花に向けてる目が、他のお花に向けてるものよりもっと優しい気がする。……あ、間違ってたら、ごめん」
「いや」
実際その通りで、わかるものなのだな、と思った。
一番とか二番とか、順位付けは出来ないけれど、思い入れがある花はどれかと問われればクリスマスローズが思い浮かぶ。
私がわかりやすいのか。
それか、どっちもということもあるかもしれない。
「クリスマスローズは、小さい頃から近くにあったし、育ててたからかもね。それと……」
それと、なんだろう。自分で言っといて。
普通に言ってもいいことだけれど、言わなくてもいいことのような気がして、続けることを躊躇する。
けれど、その躊躇を表に出すのはなんとなく桃に迷惑かなと思って、桃の目が私の言葉を待つようになる前に口を動かす。
「いろんな思い出がある気がして、思い出そうとしたんだけど、あんまり覚えてなかった」
「ふゆは昔のこととか、あんまり覚えてないんだ?」
「うーん。まあ、そうかも」
「だから、日記をつけてるの?」
「どうなんだろう。そんな面もあるけど、ただの日課というか、作業というか」
「へえー。あ、でもわたしは日記にあんまり登場しない……」
「って言ったっけ?」
「うん言ってた。そんな感じのことを」
桃は「あれ、じゃあ……」と小声で続けて、しゅんと沈んだような顔をした。
そして、地面を見つめてうむむと呻る。こんなことで、と思ってしまうけど、なぜか、申し訳ない気持ちになる。
私って気付けば桃のことばかり書いてるな、と恥ずかしくなって以来あまり書いていないのだと、正直に言った方がいいのだろうか。
困る私をよそに、不意に顔を上げた桃は、何を考えたか、膝に置いていた手を私の肩に置く。
「わたしもふゆと、思い出になることがしたい」
「うん……うん?」
「あぁその、えと、ちがう。ふゆの思い出になるようなことを、わたしも一緒にしたい」
唐突に出てきた言葉は、いつものように抽象的すぎてついていけない。
ニュアンスの違いか何なのか、言い直したけれど、どっちにしたって私には伝わってこなかった。
「えぇと、話の流れが見えないんだけど。……つまり?」
そう訊ねると、桃は私から目を外し、逡巡するように視線をさまよわせる。
けれどやがて、一呼吸おいて、
「つまり、わたしと、デートしてみてほしいなって」
と力のこもった瞳で、言った。
思い出になること、から、デートしてほしい。
繋がるか? 繋がら……いや、まあ繋がるんだろう。
私には突飛なことに思えることでも、桃の中ではちゃんとプロセスがあるのだ。きっと。
考えてから納得するまでの十数秒間、桃はそわそわした様子で、私の答えを待っていた。
私が断らないなんて、わかりきっていることだろうに。
「いいよ。いつ、どこに行きたいの?」
それでも言った瞬間、ぱっと桃の目に輝きが宿った。
「いいの?」
「うん」
「じゃあ、日曜日とか、どうかな」
日曜日……。
こういう時は経験上、先延ばしにしない方がいいはず。
「うん。空いてるよ」
「行く場所は、わたしが決めてもいい?」
「そうしてくれるとありがたい」
「あとは……かわいい服を着てるふゆが見たい」
「かわ、えっ?」
思わずごほ、と咽せる。
いつ、どこで、の次に服装指定とくるか。
もうそろそろついていけなくなってくる。……あ、最初からか。
「スカート履いてるの見たことないし」
「いや毎日見てるでしょ」
今だってがっつり履いてる。
「そうだけど、私服では見たことないなって」
「……スカートを履いてくればいいの?」
「できれば。履いてきてくれるとわたしが喜びます」
拳をぎゅっと握りしめて言う桃が少しおかしくて、私は少し笑った。
「わかった。忘れてなければね」
「うん。あっ、ふゆはわたしに……なにかある?」
「うーん……いきなり言われても、なにも」
「じゃあ、思いついたらなんでも言ってね」
ちょっと考えたけど、現状の桃に求めることはなにも思いつかなかった。
どうも思考力が足らないように思えてならない。そんなこと言ったら、語彙力も想像力も洞察力も全て足りないけど。
帰りがけ、「ひとつ、気になることがあるんだけど」と前置きして、率直な疑問について訊ねる。
「遊ぶ、じゃなくて、デートなの?」と。桃はすぐに首を小さく縦に振った。
「うん、デート。言い方は、けっこう大切」
「大切なんだ?」
「大切なの」
「なら、デートってことで」
「デートってことで」
私の言葉を復唱して、桃は頷く。そして恥ずかしそうに笑う。
流されているようにも思えたけど、桃のそういう表情を見て、それでもいいような気がした。
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