Helleborus Observation Diary

@9vso2a

【0】




 今となってはとても昔のことのようで、けれど歳月にしてみればまだ数年前の話。


 小学生の頃、かなりのお祖母ちゃん子だった私は、たくさんの時間をお祖母ちゃんの家で過ごした。

 自分の家がどちらかと聞かれたら答えを迷うくらい、朝も夜もそこに居続けた。


 両親が忙しそうにしていたことも大きな理由だけれど、やはり一番の理由は、私がお祖母ちゃんのことを好きで、なついていたからだろう。

 だから、お父さんの転勤が決まったときも、私は積極的に付いていこうとはしなかった。


 まあ、ここはさして都会ではなく住むのに適していて、幼稚園から仲良くしていた友達と離れたくなかったという事情もある。

 いきなり知らない土地に行くと言われて気が乗らないのもあたりまえのことだし、

 私自身がこの場所を気に入っていたというごくごく普通の理由に言い換えてもべつにかまわない。


 両親からの質問と私の返答は、とてもシンプルなもので、


 ──お母さんとお父さんと一緒に行きたい?

 ──べつにどっちでもいいよ。


 ──じゃあ、お祖母ちゃんと今までみたいに過ごしたい?

 ──まあ、それは、うん。


 たしか、そんなあっけないやり取りで、お祖母ちゃんの家にとどまることが決まった。

 というより、決められた。初めから私の意思なんてものは意味をなしていなかったように思える。その真偽はどうであれ。


 もしかしたら転校するかもしれない、と告げていた当時の友達は私がここに居続けることを喜んだ。

 抱きつかれて、泣きじゃくられて、どうしてか私もつられて泣いた。

 あまり泣くという行為や涙そのものに縁が無いから、ぱっと思い出せるうちで最後に泣いたのはその時だったように思える。


 私から見たお祖母ちゃんは、真面目で、すごく優しい人だった。

 褒めるときはちゃんと褒めてくれて、叱るときはちゃんと叱ってくれる。

 子供は子供らしくしてるのが一番と、口癖のように言っていた。私としては結構ワガママを言っていたつもりだったけど、それでも足りないというように世話を焼いてくれた。


 ああでも、コーヒーや紅茶には砂糖を入れて飲みなさいと言っていたのは、単にお祖母ちゃんの好みだったのかな。甘いもの好きだったし。

 お祖母ちゃんの影響を受けた部分も結構ある。性格については、多分そんなに似てない。私はだいぶ不真面目で、別段優しいわけでもない。


 似ているのは、食べ物の好みとか、そういう部分。甘いものは私も好き。辛いものは少し苦手。

 テレビはあまり観ない、本はそこそこ読む、夜に弱くて朝はそれなりに強い、つまり早寝早起き健康体。

 趣味も、ちょっとだけ影響を受けた。当時はあまり惹かれなかったものなのに、今では毎日のように触れている。


 嫌いなものは、そこまで、いや、まったくと言っていいほどなかったと思う。

 そういうことを私の前では口にしない人だったし、それ以前にお祖母ちゃんの嫌いなものに触れる機会が少なかった。

 でも、ひとつだけ言えることがあるとするなら、お祖母ちゃんは、軽々しく他人と約束をしない人だった。

 果たせない約束、果たす気のない約束、果たしてくれないと思う約束。


 ──どんな些細なことでも話せる友達と、心から好きだと思える人を見つけなさい。

 ──それは、絶対に受け身では駄目、自分でちゃんと考えて、慎重になりすぎる必要はないけれど、選ばれるよりは選ぶようにしなさい。


 一言一句はっきりと覚えている、私がお祖母ちゃんと唯一交わした約束。

 その約束の真意とか、そういうものは何も分からないまま、差し出された小指に、曖昧に指を掛けた。


 周りに友達がいっぱいいるのは当たり前で、好きな人は周りにたくさんいて、わざわざ口にせずともいろいろなことが伝わって。

 幼く狭い世界では、重ねるようだけど、本当にそれが当たり前で。目に見えるものが全てで、それはこのままずっと変わらずに続くものだと思っていて。

 私の経験は、私自身の辿ってきた道で、これまでの自分とこれからの自分は地続きになっていて。

 誰かと関わって、少しずつでも影響を受けて、変えられて、もしその誰かと離れても、変えられた私はそのままで。


 選ばれるよりは選ぶように。

 選択を、誰かに委ねるか、自分で下すか。


 ふと振り返ったときに、元来た道に戻れるのは、そのどちらなのだろうか。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る