嘘と洋琴

音藝堂

第一部

  嘘と洋琴ピアノ

              音藝堂

 何かが足りない。原稿用紙を前にするものの、筆を持つことができず、気づけば八月も終わりに差し掛かっていた。そうしてようやっと書いた一言がこれとは。私もまだまだだなと感じるものである。

 ここ最近の私の生活と言えば、違いは実家に帰ったことくらいで、あとは少しの不安と背徳感を感じながら生活している、つまりいつも通りである。大学は夏休みであるから、朝六時に起き、家に籠る日々である。ただ、机に座り、飯を食い、積読本を減らし、音楽に酔い、時には映画という虚構に感嘆し、外へ出て自然の動かぬ摂理とその在り様を眺める。大きな楽しみや行事はなくとも、ささやかで幸せな日々である。しかし、私は重くて黒い大きなものを背負いながら、今日も生きているのである。


 私の事を書き連ねてみることもたまにはよいものだ。自分語りというものは、日常生活で全くと言っていいほど意味をなさないが、出版物や記としてのそれは価値のあるものになる。そうだ、このエッセイは私が命を捨てる際の遺書にでもしよう。


 私の地元であるこの地が、私は好きだ。今年の四月に上京し、せわしない東京での生活を始めた。期待と希望を背負いいざ向かったのだが、どうにもぴんとこなかった。なんというか、想像の範疇ですべてが起こっていた。自分は小さな匣の中で、その匣の運営に役に立つように、自らの役に立つかわからない勉学を学ぶ。そんな日々に少々失望を覚えた。ここに来れば今までのすべてを忘れて新しい自分を形作することができる。そう思っていた。しかし、いつだって考えていることは決まっている。ここにきてもその呪縛は消えることはない。やはりこれは私が犯した罪に対する償いなのである。そう、私には忘れられない一人の女がいる。


 そんな霧が立ち込める日常の中でも、私が惹かれ、没頭したものが二つある。

一つは本である。本は読むことも書くことも、時間がある限りその人の自由である。読書は、自分には到底触れることのできない時代の彼方に置き去りになったはずのあの人に触れることができる唯一の手段だ。彼らの言葉が、思想が、自らの贄となる。「贄」とはまたよくない表現ではあるが、その単語が私にはしっくりくるのである。


 贄は私の中にいくら詰め込んでも困ることはない。つまり読書は無限だ。積読本を読み漁っているとき、僕の中の彼女の存在は薄れていく。子どものように、薄っぺらい紙と文字の下で、好きなだけ思い思いの「想い」をめぐらすことができるのである。こっちは「夢幻」か。だからこそ、こうして私の消してしまいたい事実や否定したい感情、嘘、自己嫌悪、それこそ「あることないこと」書きたいと思えるし、同じように感じている人がこれを読みたいと思い、需要が生まれるのではないか。この明朝体の羅列の世界では、そこにあることだけが事実で、それ以外は虚構や空想にすぎない。そんな単一的な世界が好きだ。


 もう一つは音楽だ。私が十歳のころにピアノと出会った。それが私の音楽のはじまりだった。


 鍵盤を介して私が放った音には、私のすべてが宿っている。不思議なことに、悶々とした精神の時は音にももやがかかっているし、気持ちが乱れているときは、音さえも散らかっていて、手の施しようがない。しかし、だからこそ、無垢で純粋な音が出たときの快感は、どんなものよりも気持ちがいい。


 音は正直である。奏者の精神を写し出す繊細な鏡である。


 また、楽譜に打たれた音符一つ一つは、整然と、しかし流麗、時には残酷なまでに美しい音に変換される。楽譜と拍子の中では、何をしても許される。そこに無駄な束縛や規定はない。ピアノだけでは飽き足らず、吹奏楽、バンド、オーケストラ、声楽、ヴォーカル…可能な限りの「音楽」を経験してきた。音楽の呪術的快感が、私は好きだった。


 今だって私の周囲を見渡せば、棚には溢れんばかりの本が我楽多のように積み上げられ、今もスピーカーからは僕が好きなバンドであるcalmgaleのThe endが流れている。コードをエイトビートで刻むイントロが、私の心を潤してくれる。甘く深く、ウィークなヴォーカルもたまらない。今私が最も気に入っている曲である。

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