天蓋輪廻の聖誕曲~オラトリオ
黒乃羽衣
第一話 邂逅
目覚め
♠︎
――夢を見ていた。
いや、正確にはこれが夢であると自覚してはいなかった。
立っているのか横になっているのかわからないほど感覚が薄い。
視界にはとても収まりきらない星空が広がっていて、大きな二つの月と巨大な幾何学模様が浮いている。
現実味のない幻想的な光景を何かが覗き込むように遮った。
輪郭ははっきりとしないが、傍にいるだけで心が落ち着いていくのがわかる。
それの正体を自ずと理解していた。
「どうして、どうしてこんな事に……」
可愛らしいハスキーな高めの声は震え、同時に温かい雫が数滴、顔に落ちる。
血に濡れた手を差し出して声の主に触れ、言葉を絞り出す。
「クランフェリア、怪我はないか。」
とても大切な少女の名前だった。
その顔は悲痛な面持ちで頬は涙で濡れていた。
「わたくしなら大丈夫です。けれど、あなた様は……」
そこで言葉に詰まり、さらに大粒の涙が溢れる。
彼女を悲しませていることに心が痛むのを強く感じた。
俺の手にロザリオを握らせて彼女は何かを話しているが、もう何も聞こえなかった。
急速に意識が遠のいていくのを感じ、視界が白く狭まる。
だめだ、まだ彼女に伝えなくてはならない事がある。
必死で脳裏に浮かぶ言葉を口にする。
「クラン、俺は君のことを……」
そして意識は途絶えた――
†
今日は特別な日でした。
千年を超える歴史を持つ宗教国家として、国を挙げて盛大に祝い厳かに祈りを捧げる日。
一年十四ヶ月に一度の主の生誕祭であり、わたくしにとっても同じ意味を持つ十六回目の特別な日。
わたくしは聖なる教のシスターで、教会敷地内にある母屋に一人で生活をしています。
陽が昇り始めた早朝に目を覚ますと、長い髪を
礼拝の準備は前日までに済ませておいたものの、今一度確認をするため屋外へ出ると刺さるような冷たい空気が肌に触れました。
思わず身震いをして羽織ったケープコートを押さえます。
空にはうっすらと二つの月が浮かんでいました。
足早に歩き出すと母屋のすぐ隣には管理を一任されたわたくしの聖堂があり、間もなく到着すると畏敬の念を込めて見上げます。
決して大きいとは言えないけれど、神聖な装飾を施された聖堂はわたくしの全てであり、誇りでもありました。
深呼吸をして気持ちを引き締めてから、厳重に施錠されている鍵を外し正面扉を開きます。
華やかな西正面はトレサリー
静寂に包まれた身廊の中ほどを、真っ直ぐに歩みを進めたところで異変に気がつきました。
十字に伸びる翼廊の先、サンクチュアリのあたりに何か人と思しきものが倒れ伏していたのです。
一歩一歩ゆっくりと近づきながら昨日の行動を振り返ります。
戸締りや施錠に見落としはなかったはずです。
もちろん聖堂に破損した箇所などなく、どう考えても人が侵入しうることは不可能でした。
目の前まで歩み寄ると前傾姿勢になり、改めて様子を伺います。
気を失っている方は若い男性で端正な顔立ちをしています。
服装は簡素ながら意匠が細かく、宗教国家の民には決して見慣れないものでした。
顔色や呼吸の状態からみて生命に危険な状態ではないと判断したところで側に屈みこみ、仰向けにして念のため脈や体温の確認をします。
おそらくわたくしより二十数センチほど背が高く、がっしりとした体格をしていました。
気になることが一つ。
固く握りしめられた右手に、円と十字を組み合わせた血塗られたロザリオを見つけたのです。
それは紛れもなく一片違わず、わたくしのシンボルと同一で他の誰もが手にしてはいない唯一無二のものでした。
普段から肌身離さず持ち歩いている自分のロザリオを懐から取り出し、見比べます。
二つと同じものは作っていないはずのそれは、僅かなキズの位置も全く同じでした。
血に塗れたロザリオに奇妙な既視感を覚えた時、不意に男性が呻き声とともに意識を取り戻します。
「大丈夫ですか?どこかお怪我はありませんか?」
二つのロザリオを懐にしまい、手を差し伸べながら穏やかに声をかけました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます