馬の見つめた先へ

金森 怜香

第1話 剣術稽古の帰りに

 太兵衛たへえは、とある下級武士の家に生まれた長男であった。

 両親は待ち望んだ長男を、大事に育てた。

 太兵衛は普段おとなしいが、明るく元気に良く動く。

 数年の間に妹や弟も生まれ、弟の出産と同時に母を亡くした。

 そういった経緯もあって、太兵衛は面倒見のいい兄貴分に育っていった。


 親同士が親しくしている隣家でも、太兵衛から2年ほど遅れて元気な男の子が生まれた。貫太郎かんたろう、と名付けられた彼は、少年に成長すると太兵衛を兄のように慕った。二人は幼馴染でありながら親友であり、兄弟であり、好敵手であった。


 二人は剣術稽古の帰り道。

 疲れたー、とか、今夜は何を食えるかね、などとのんきな話をしながら帰路を歩いていた。

 突然、馬具を何もつけていない裸馬はだかうまが、目の前に飛び出してきた。


「うわぁ!」

 貫太郎は驚いて腰が抜け、尻もちをつく。

 太兵衛は大慌てで貫太郎を庇おうと前に立った。


 だが、寸でのところで裸馬は太兵衛へと盛大に砂をかけたが二人からは少し距離が空いた。

 どうやら馬の方が避けてくれたようだ。

「すまんかったのう!ケガはしとらんか?馬が突然逃げ出してしもうた。」

 中年男性は馬に乗って裸馬を追っていたようで、大急ぎで馬を捕まえて頭絡とうらくを付ける。

 頭絡とは、馬の手綱及びくつわを総称したものである。


「おっちゃん、ちゃんとせんと!馬に撥ねられたらさすがにおらたちも助からんかもしれへんぞ。」

 普段はそこまで他人へ怒りを見せたり、文句など言ったりしない太兵衛ではあるが、さすがに裸馬が突進してきたとなれば恐怖もあり、怒らずにはいられなかった。

「本当にすまんかったのう。」

 男性は詫びに、と二人を馬に乗せて家まで送り届けた。


 そして、男性は太兵衛の親と貫太郎の親に遭った出来事を正直に話し、丁寧に詫びた。

「そんなことがあったんか。けど、うちの子らにけがなどもない。同じこと繰り返さんかったら、もうそれでええです。あんたさんの誠意はちゃんと受け取りました。これも何かの縁やろうねぇ。うちの子は馬が好きだ。たまに馬に会わせてやっとくれ。」

 太兵衛の父は穏やかにそう言って男性を許した。

「へい。いつでも馬に会いにきてくだされ。そこのところで馬飼いをしておりますから。」

 男性は家の場所を教え、太兵衛たちはいつ遊びに来ても良い、と言った。


 貫太郎の家では、貫太郎の母は話を聞いただけで動揺した。

「なしてそんな危ない目に遭わせたんですか!太兵衛さんがおらんかったら、うちの子がどうなっとったか・・・。恐ろしい!」

「おっかさん、太兵衛兄ちゃんがおらを守ってくれた。それに、このおっちゃんも悪気があって馬を逃がしたんじゃないからもうそこまでにしてくれん?」

「二度と同じ事したら、許しませんからね!」

 貫太郎の母は男性に激しく怒っていたが、貫太郎に宥められてようやく落ち着いた。

「おっかさんの言う通りでごぜえます。もう同じことはしないよう、肝に銘じます。」

 男性はもう一度深く頭を下げ、馬とともに帰っていった。


 夕飯の焼き魚を胃に収め、入浴をして寝る前に貫太郎は母に告げた。

「おっかさん、おら、太兵衛兄ちゃんみたいになりたいって思った。けど、おらは臆病モンや。今日は腰を抜かして怖がっとっただけやった。太兵衛兄ちゃんにお礼も言えんかった。情けなくなって黙ってしまって・・・。」

「なら、明日は太兵衛さんを助けてあげればよろしい。お手伝いでもええ。昨日はありがとう、ってお礼は必ず伝えなあかんよ。何事も礼儀だけはしっかりせんとあかん。」

 貫太郎は母の言葉にしっかり頷いた。

「おとっちゃん、まだお仕事かな?」

「きっとそうよ。今は忙しい時って言っていたから。」

「そっか。おやすみなさい、おっかさん。」

「ええ、おやすみ。」

 母は一人台所で片付けをして亭主を待った。

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