三十六
思い思いに食事を終え、君が
店を出たときには、喜左衛門の腕に抱かれて君はすやすやと夢の中である。
今日の代金から手配まではすべて春日屋が引き受けてくれたので、夜空の元でもひとしきり礼を言って、満月屋の一行と二人の侍は春日屋の一行と別れた。
料亭から満月屋までの道のりはそう遠くもなく、かやは
冬野と新之介が護衛についてくれるので、千夜たちは安心して帰路に就いた。
山王祭の日だけあって、夜中でも人通りが多い。深更にまで人の姿は絶えなさそうである。
店の灯りや月光で、提灯はいらないほどだった。
「送っていただいてすまねぇです」
「お千夜ちゃんも風邪をひかないうちに中に入るのよ」
満月屋に着くなり太一とかやは、まるで示し合わせたかのように家の中に消えた。
「私は先で待ってるぞ」
こういうことに頭が働く新之介も姿を消して、猫の額ほどの庭に、冬野と千夜が残された。
皆に気を遣われたことを
「冬野さまとお出かけできるのも、今日で最後かしら……」
冬野は虚を突かれたように千夜を見る。
どうして最後なんて言うのだと、何度だって一緒に出かけたいという想いは言葉にできない。
今日の出来事は夢のように感じてしまうほど、身分という壁を知っていた。
「祭りのあとに、こんなに寂しくなったのは、子どものときよりも大人になった今がはじめて……
一気に夢から覚めてしまったみたい」
冬野と過ごしたすべてが夢だったとしても不思議ではないほどに
ひしひしと
「お千夜さん。貴女に
それは夢ではなく、現の中で言った言葉だった。
願い求めている想いを迷わずに
「……聞きたくないです」
小さく震え始めた千夜の肩と涙声に冬野は
別れ話を切り出されるのではないかと勘違いさせてしまったようだ。
「あ、いえ……そういうわけではなく……」
冬野は一つ息を吸ってから続けた。
「私は本気でお千夜さんのことを考えています。今日だけではなく、この先も共にいたいと。
一緒になるためには、お千夜さんに計り知れない苦労を強いることになる……私が酷と言ったのは、そのことです」
「…………」
私は武家の女ではない。だから一緒にはなれないのだと、千夜は言えなかった。
身分を超えて、武士の身である冬野が町人の自分を想ってくれているのだと伝わったからだ。
「お千夜さんにはしかるべき家の養女になってもらい、私の妻になってほしい」
武家の養女になれば、千夜は武家の人間になれる。
ただし、武家の人間として生きるということは、形だけではなく中身も変わらなければならない。
行儀作法を身につけることはあたり前で、町人の出だとわかってしまえば、たちまち周囲の目を気にすることも必定である。
冬野はそれを千夜に強いることが、
「両親にお千夜さんのこと説得するつもりです。
いざというときは、武士をやめてでも……」
本気で千夜と添い遂げたいからこそ、逃げることはしたくなかった。
武士の身分を捨てることは最悪手である。
「冬野さまに武士をやめさせることは、絶対にさせたくありません……
私が苦労をして一緒になれるのなら、甘んじて受け入れます。でも、私と一緒になれば冬野さまも、たくさんの苦労をするはずです。
それに私は……」
すでに他の人を知っている身体だった。
やむを得ない事情があったにせよ、汚された我が身が恨めしい。
だが、冬野はそのことも知っていて、それでも欲してくれている。
千夜に対して汚いという感情を、一度として向けたことがなかった。
気にしない。気にするわけがないと、冬野は歩み寄ろうとする。
やっと千夜も振り向いた。
先に抱きしめたのはどちらからだろうか。
確かなのは、想い合う気持ちに差はないということだった。
「冬野さまと一緒にいたいと願ってしまう、愚かな女です」
情けない姿に怯えていた男と、願いの前に別れに踏み切れなかった女は、切なく、狂おしいほどに惹かれ合って、互いの温もりに酔いしれた。
「貴女を愛しています」
「私も、大好き……」
白い月が、遥か上空で見守っていた。
「友としてお前のためを思うなら、止めるべきなんだろうな」
帰路、冬野と肩を並べて歩く新之介は、深刻さを感じさせずに言った。
「お父上に釘を刺されたんだろう」
「ああ。だが、応援するなとは言われていない」
屁理屈だと叱られそうなことだが、なにも軽い気持ちで考えているわけではないという新之介の心は、冬野にはうかがえる。
伊達に小さいときからの付き合いをしていない。
「すまない。心強くて助かる」
「殊勝じゃないか。さては口吸いの一つでもしてきたな」
「……見ていたのか」
「見るわけないだろう。真面目に返してくるとは、
今度は
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