三十四

六月十五日、万人の願いが通じたように、この日は気持ちの良いほどの快晴であった。

待ちに待った、山王祭の幕開けである。


絢爛けんらん豪華な行列は、まず山下御門を通り城内を目指した。

将軍様がご覧になったのち、神輿みこしは各町を練り歩く。


行列が通る道筋には、見物客で溢れかえっている。

押すな押すなの勢いになりそうで、見ているだけでも眩暈めまいがしそうな雰囲気だが、中には特等席から見物できる者もいるのだ。


日本橋小網町の料亭「椎本しいがもと」の一室は表通りに面していて、障子戸を開け放てば優に行列を拝めることができる。

千夜たち満月屋の一行が、つゆから招かれたのがこの料亭であった。


「お君ちゃんは一番見たい山車だしは何かしら?」


今か今かと行列を待ちかねる君は、通りから目を離さなかった。


日本武尊やまとたける!」


「あら、渋いわね」


かっこいいから好きなんだと、胸を張って答える様は何とも愛らしい。

ちなみに日本武尊の山車は、四十五番もある中で二十七番目の山車である。


やっと一番目の山車がくるかと思われたとき、君は山車ではなく違うものに気づいた。


「荒木のおじちゃんだ!おーい!」


君が目一杯に声を張り上げて手を振る先には、町廻り同心の荒木音十郎がいた。

千夜も気づいて、手を振った。


天下祭りと称される山王祭には、警固役として町奉行所から与力、並びに同心が派遣された。

つまり音十郎は祭り見物に来たのではなく、今日という日にも仕事をしているのである。


「誰がおじちゃんだ、この野郎……」


音十郎の心中も知らず、君は無邪気に手を振っている。

相変わらずの皮肉めいた笑みしかでずに、千夜たちに応えた。


一番目の諫鼓鶏かんこどりの山車が通り過ぎたのは、昼過ぎであった。






その頃、伊東家では……


「案外、早く終わったものだ」


山王祭にもかかわらず、家の蔵の整理をしろと父に命令されていた冬野は、今は整理が終わって、新之介に会いに伊東家に訪れていた。

何もこんな日にと冬野自身は思ったものだが、父の意図も読めていた。


千夜のことを両親に打ち明けた冬野だったが、やはりと言うべきか、両親が許してくれるはずがなかった。


『お前の縁談相手はすでに決まっておる』


と、父の主計からは言われる始末である。


だが、それであきらめる冬野ではなかった。

母から何度もいさめられようと、父に相手にされずともめげずにいたところに、蔵の整理をしろとの命令が下される。


山王祭にかこつけて、千夜と逢瀬を交わすことを恐れた主計の采配であった。


しかし用人たちも手伝っての整理で、作業が早く終わってしまい、母の目を盗んで伊東家に来たのである。

本当は真っ先に千夜の元に行きたかったのだが、千夜はきっと遠慮をするだろうと、足が向かなかった。


「一緒に祭り見物はできなくとも、店に行くくらいはいいだろう」


そこは友の心をわかりきっている新之介が、いつものように後押しした。

冬野はわかりやすいほどにうれしそうな顔をして、善は急げと立ち上がりかけたとき、新之介の妹のひなが部屋に入ってきた。


新之介や千夜の前では幼くなるひなも、冬野の手前、武家の娘らしく神妙に挨拶をする。


「満月屋じゃなくて、椎本という料亭に行ってください。

千夜おねえちゃんはそこにいます」


千夜は春日屋に誘われて、椎本で祭り見物をしているとひなは言った。


「どうしてひなが知っているんだ?」


「この前、満月屋に行ったときに千夜おねえちゃんから聞いたの。

だからひなね、春日屋のお内儀さんにお願いして、二人分を追加でお願いしたんだ。

ひなは人混みが苦手だから、家でお留守番してる」


幼いひながしっかりと、しかも色々な事情を知っていることに、冬野は呆気あっけにとられたようにひなを見た。


冬野の用事が早く終わる保証はなかったため、ひなは今日まで黙っていたという。

だが、冬野は用事を終えて兄に会いに来るだろうとは予想していて、つゆには夕方までには顔を出すと、来なければやはり来れなかったということで忘れてほしいと、そういう手筈になっていた。

冬野と千夜を応援する女二人が結託した、粋な計らいである。


千夜にぬか喜びはさせたくなくて、つゆの方でも秘密にしていた。


「お前の妹はすごいな」


「だろう?」


やけに誇らしげな新之介とともに、冬野は小網町までの道のりを急いだ。

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