二十七

梅雨明けまであと一息という午後、普段はたしなまない釣りに行こうと言い出したのは、冬野の方である。

新之介は冬野の意図が読めていたので、断るような無粋な真似はしなかった。


連日の雨でかさが増した、穏やかに流れる川面に、二人は小舟の上にいた。


四半刻あまりも釣り糸を垂らしているのに、まだ一匹も連れない有様だった。


「何か話したいことがあるのだろう。あらかた想像はつくがな」


今までろくな会話らしい会話もしなかったが、そろそろ頃合いかと新之介が口を開く。


なぜ釣りの誘われたのかを理解している新之介に、前置きは不要らしい。

冬野はそれでも覚悟を決めて、心の内を明かした。


「まだ時期ではないことはわかている……だが、父上にお千夜さんのことを話してみようと思う」


舞い込んだ縁談話をどうするべきか、根底にはあきらめられない人がいて、一人で悩んでいても行き詰まるだけのことに、新之介に相談したかったのである。

いくら頼りになる親友がいても、今回ばかりはどうすることもできないかもしれないとは思いつつ、せめて胸中だけでも聞いてほしかった。


「冬野の縁談については、父上から聞いた。

まだ正式にというわけではないとも聞いているが、他の者も知っているくらいだ。おそらく、決まったも同然なのだろうな」


知っていた、あるいは感づいた人がいたからこそ、冬野は道場で門下生たちににらまれたのだ。

ここにきて縁談話がくつがえる可能性はないに等しい。


新之介がしかしと続ける。


「話すと言っても、承知はしてくれまい」


「それでも、言わなければ……」


「お千夜さんのことを打ち明けてどうするつもりだ。余計に縁談話に拍車がかかるだけだ」


そもそも縁談話がなくなることが皆無と言えるかもしれないのに、実は好いた人がいて、それが町人だとわかれば、何が何でも諦めさせようと父が動くことは必定のようにも思えた。

下手をすれば無理やりにでも引き裂かれることになりかねない。


だとすれば、このまま千夜のことを打ち明けず、ときが来るまでの刹那を堪能たんのうすることしかできないのか。

否、決して千夜を諦めることはできない。


生涯を共にするのならば、千夜でなければならないのだ。


冬野の真剣な表情を見て、新之介がふっと笑った。


「何がおかしい?」


こっちの気も知らないで暢気のんきな奴だと、友の仕草に少しだけ気が抜けてしまった。


「誤解するな。馬鹿にしたわけではない。

困難と承知でも、身分違いのこいがれるのだな」


「好いた人が町人だったという、それだけの話だ」


酔狂すいきょうな奴め」


「そういうお前はどうなんだ。好いた女子の一人もいたりして……」


たまには自分から揶揄からかってみようとするも、新之介の答えはあっさりしていた。


「私は面倒なことはしないたちだ。

……残念だがお千夜さんのことはすぐには解決できないだろう。ともすれば、縁談の方をどうにかするしかあるまい」


「と、いうと?」


新之介は得意気に言ってみせた。


「向こうが嫌になってくれれば、万事うまくいく」

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