二十二
金欲しさに、夜鷹にうまくあしらわれたと思わない純粋さが、どこまでも冬野であった。
文を見つけてからは、千夜を見つけたい一心で駆けていた。
冷たい風が皮膚にあたって、辺りが闇に包まれても、ただその人を探している。
想いは、月の光が導いてくれた。
夜鷹に教えてくれた方向をひたすら走っていると、橋の下に
千夜は驚いて顔を上げた後で、顔を歪ませる。
あと五歩というところまで冬野が近づけば、千夜は
「待って!」
逃がすまいと、冬野は千夜の手首をつかむ。
千夜は抵抗しなかったが、冬野からは背中を背けたままだった。
「離してください」
「離せば、貴女はどこかへ行ってしまう。一緒に満月屋に帰りましょう」
決して離すまいと、手首をつかむ力を強めて冬野は言った。
「冬野さまの手が汚れてしまいます」
千夜に気にしていることが一瞬わからなかった冬野だが、憂いを帯びた声で返されて、千夜の心中を
たくさんの屈辱を味わった千夜が、どうして平気でいられるのか。
無理をしているからに決まっていると、哀しみを表に出さなかっただけだと、どうしてそんなすぐにわかることにも気づいてあげられなかったのだろう。
千夜は一生消えない傷を与えられて、しかも
「私は……いかにお千夜さんが苦しんでいたのかを垣間見ました。
それでも、一度も、今だって貴女を汚いと思ったことはありません。
こうして触れることさえ怖いくらいのに、いつまでも触れていたいと思っている」
後ろを向いたままの千夜に、冬野は激しい想いとは裏腹に努めて優しく語りかけた。
「
私の大切な人は、とてもきれいすぎるくらいです」
呻き声にも似た千夜の短い声が漏れる。肩を震わせた千夜から緊張が解けた。
「でも、だめなんです……冬野さまにも、太一さんにもおかやさんにも、誰にも迷惑はかけたくありません」
「誰にも迷惑をかけない器用な生き方なんて知りません。
私だって、逃げることができるなら逃げたいと願ってやまなかった。
武士らしく生きろと父上に言われるたびに辛くて押しつぶされそうになる。私は武士に向いていないと何度も考えました」
勉学もそこそこで、何より剣術が苦手な冬野は、一向に上達しないその腕を父に嘆かれている。
御書院番の家系にあって、父の叱責と悲観に
逃げてしまえば、どんなに楽だろうか。
武士というしがらみの消えた自分を想像しては逃避して、現実は絶え間なくやってくる。
でも、冬野は実際に逃げようとはしなかった。
帰る場所があり、父に見放されたわけでもなかったからだ。
千夜のお蔭で前向きになれたと、冬野は言った。
「私は情けなくてかっこ悪い男です。そんな私に比べたら、お千夜さんなんてうんとましです」
やっと振り向いた千夜は、まだ寂し気な表情のままで視線を交わらせた。
「こんなにおかしい女なのに……
今も冬野さまが触れてくださっているだけで、胸が高鳴って仕方ないんですもの」
何故、という理屈はなかった。
気づけば瞬時に千夜を抱きしめていて、理由があるとすれば、切ないほどに狂おしい衝動である。
胸に顔を
恥ずかしそうに
「おかしいのは、私も同じだ」
熱い吐息も重なり合って、他には何もいらない。
月影だけが、二人を見ていた。
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