十一

梅見当日、新之介は一人、高村家を訪れていた。


「実は今からお隣の戸次家で梅見をするのです」


「わざわざ足をお運びくださったのにごめんなさいね……冬野はまだ、出られませんの」


答えたのは、冬野の母のれんである。

新之介は冬野と子どもの頃からの知己ちきなので、当然蓮のことも見知っていた。


「どうか、わずかな時間で構いませんので、冬野の部屋の障子を開けてはくれませんか」


すべては左馬之介の計らいであった。

冬野と千夜がお互いに、何がしかの気持ちを持っているとは、本人からも新之介からも、左馬之介には言っていない。

にもかかわらず、左馬之介は持ち前のするどさで、二人の仲を見抜いていた。



「伊東家に恥をかかせてはなりませぬよ」


富美は千夜にぴしゃりと言い放つ。

宴の前に、千夜は髪型から服装まで武家風に施されていて、表向きは左馬之介の知り合いの旗本の、息女ということになっていた。


気合を入れて千夜をおめかししたのは、富美である。


「あまり緊張させるな……」


左馬之介は安心させるような笑みを千夜に落として、宴は幕を開けた。



自室で学問三昧の日々を送っていた冬野は、一つ溜息を吐いた。


千夜が伊東家に預けられていることは知っていて、気軽に会えると踏んでいた矢先、父に謹慎を命じられ姿を拝むことさえもままならない。

体調は良くなったのか、不都合はないかと、どれだけ心配したところで、確かめる術はなかった。


早く、会いたくてたまらない。


そんな鬱蒼うっそうとした日々を過ごしていた冬野の元に蓮がやってきて、部屋の障子戸を開け放った。


「母上……?」


「先ほど新之介さんがお見えになられて、お隣で梅見をするのですって。

琴の演奏があるから、冬野にも聴かせたいって言ってくれましたのよ」


(琴……)


もしかしたらと、冬野は思った。


千夜はもう琴は弾きたくないと言っていた。

そもそも千夜は梅見に招かれているのだろうか。

招かれていたとして、千夜が演奏するのだろうか。


琴を弾くのは、千夜ではないのかもしれない。

でも、新之介はわざわざ琴に興味もない自分に、演奏があることを教えてくれた。


思い描いた希望は、学問が身に入るわけもなく、しばらくして琴の音が聴こえてきた。


「まあ、高名なお師匠さんでも来ていなさるのかしら……」


蓮が思わずそう漏らしたのは、冬野ですらもはっきりわかるほどに、その琴の音があまりにも玲瓏れいろうだったからである。


琴の音に聞き惚れるなど、初めてだった。


どうして千夜は、この琴を弾いているのが千夜だとしたら、もう弾きたくないなどと言ったのだろうか。

こんなにも心動かせる音色を奏でられるのに、何故……


激しい曲調は、千夜の冬野への想いそのものだった。

焦がれる人はすぐ近くにいるのに、届かない。


冬野はそっと、庭に咲いている梅を見た。

春のさきがけはかないほどにこぼれている。


きっと、同じ季節が巡るたびに、梅を見ては千夜を思い出す。

琴の音と共に……

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