一幕一場 皮肉な幕開け
時は中世、大航海時代。船乗りを夢見る少年、ヒュース。丘の上で一人海を眺める彼の前に現れた妖精チップ。旅の途中で出会った仲間と共に、彼らは『希望の虹』を探す旅に出る!
暗幕を貼るため、窓は閉め切り。小窓から漏れる風と数台の扇風機だけがこの熱をしのぐ唯一の手段。最も、その風も私の元まで届きやしない。
スカートをばたつかせ、風を送るが、そんな微風で七月の熱気を吹き飛ばせるわけがない。
あっじぃぃ……。こんなんで暑さが紛らわせるなら、家電量販店は赤字確定だ。
最も、一番暑いのはあのスポットライトの下にいる主役だけど。
素顔を隠すためだけに存在する重い黒縁の眼鏡の奥で、私、笹山葵は下らぬ舞台を呆然と見ていた。
暑さへの苛立ち八、舞台への興味二、と言ったところだろう。
……うん、そんなもんだろう。
『未来には希望がある! さぁ、歩き出そう! 未来へ!』
太陽よりも熱く、星よりも煌めく、それがスポットライト。あれを浴びることが出来るのは、真ん中に立つ主役だけ。
おんぼろの衣服を纏う男の子は、観客席に手を伸ばす。その目に宿る星は、舞台効果で煌めきに拍車をかける。
でも、
『ええ! 行きましょう! 未来へ!』
『さぁ、皆も! 一緒に!』
テンポが速い。呼吸の乱れが自然すぎる=本物、演技じゃない。
ちぎれそうな首を下げ、ため息を吐く。
あーあ。センスはあるのになぁ。体力がない、周りが見えていない。自分が主役だと意識するのはいいことだが、浮きすぎている。周りに上手く溶け込み、尚且つ光を帯びる。それが舞台の主役なのに。
誰に頼まれたわけでもないのに評価を下してしまうのは私の悪い癖だ。
……まっ。誰にも聞かれていないので別にいっか。
心を読める超能力者がいれば話は別だが、ここは現実。馬鹿みたいな空想で出来たおとぎの国ではないので。
『さぁ、行こう! 未来へ!』
もう二時間近く、この硬い床の上で体育座り。お尻が悲鳴を上げている。「ぎゃー、もっと柔らかいシートに座りたいよぉ」と。
第一、体育館で演劇鑑賞なんて風情がない。流石公立高校、やることが違う。
スポットライトが弱まる。舞台の光が消えていく。
幕が閉まる。芝居が終わる。舞台に立っていないのに、史上最低待遇の観客席に座っているのに、拳に力が入り、汗が伸びる。体温が急激に上がっていく。
胸に手を置く。落ち着けよ。……芸術鑑賞会など、休めばよかった。出席日数には何の影響もないのに。
どんより渦巻く後悔に気づいても、もう遅い。幕が開いている今この瞬間に客席を経ち、家路を辿る勇気は私にないから。
劇団春雷。舞台界ではそれなりの知名度を誇る劇団。
きっと今、舞台に上がっているのは劇団春雷の研究員か何かだろう。そうでなければ、春雷の面汚しとして今すぐ舞台から降りることをお勧めする。
「ありがとうございました!」
目が開いている生徒たちの拍手が鳴る中、彼らは一つお辞儀をする。カーテンコール。私は舞台をただ見ていた。
舞台の上にいるのは、彼らじゃない。彼らを通して見たのは、神崎ヒナタ。死んだ役者の姿だった。
二時間の公演後だというのに、疲れなど一切感じさせない愛嬌に溢れた笑顔を振りまく神崎ヒナタ。……なんてものを、思い出してしまったのだろう。
スポットライトに焼かれることも、目を眩ますこともなく、歩み続けた天才舞台女優。寸分狂わず役と同一化する、役に正解を与える演劇界のサラブレッド。皆が彼女を、天才と称した。
摘まんだ黒髪は腰の高さまで伸びていた。きっと背も伸びている。退化しているのは、役者としての能力くらいだ。
「すごっかったねぇ。おしばい!」
「え? あんた起きてたの? 真面目かっ」
「凄かったんだよ⁉ いつもの体育館がばぁーってなって、ドンッて響いて、それでそれで――」
「語彙力死んでるぞ」
幕が閉まると、静まり返っていた客席に雑談の花が咲く。
感動を述べるも者、退屈を嘆く者、ケツを労わる者、放課後の計画を立てる者。わいわいがやがや、雑踏、雑踏。
ため息がこぼれる。情緒もへったくれもねぇな。観劇後は、静かに過ごしたいのに。
スカートから手を洗い、立ち上がる。そしてすぐさま担任の下へ駆けた。
適当な理由をつけ、一足先に教室へ退散。体育館を出ると、むわっと腐敗臭が鼻を刺激した。
今日も干潟は絶好調。ほんっと、余計なことしかしない自然物だ。
全校生徒が体育館にいる今、廊下は珍く静寂に包まれていた。まるで、開演ブザーが鳴った直後の舞台のようで、
『未来には、希望がある』
何かが私の心を狩った。立ち止まる。見つめる先は、縦長の舞台。
窓からの木漏れ日がスポットライト。胸に手を当て、息を吸い込む。爪先を立て、くるりと回る。手首にかけた黒いゴムで髪を結う。
その瞬間、私は消えた。笹山葵は仮死状態、です。
『未来には希望しかない! さぁ、歩き出そう! 未来へ!』
あの子はきっと、十六歳くらいの少年を想定して演じていた。だからという訳でも、当てつけという訳でもないけど、十二歳が妥当だと演じる。
甲高く、でも男らしさは少々残す。絶望を受けても希望を見失わなかった少年。彼が描く、希望。
右手を上げる。指先に映るのは蛍光灯だけど、違う。ヒュースが見る、あの光は。
『……そう信じたいけど、きっとそれは僕の願望。未来には絶望もあるだろう。だからこそ、信じたいんだ! 輝く未来を、信じて歩こう!』
拍手も、歓声も、アンコールも、何もない。それでも幕が下りる。私が私に戻っていく。
寂しいとか、充実感とか。そこに何を感じることはない。だって、神崎ヒナタは死んだのだから。
無機質な舞台に立ち続ける気力など、私になかった。
誰もいないからこそ、演じた。髪を解き、教室へ戻ろうと、笹山葵が歩き出した時のこと。
乾いた均一なリズムを乗せて、再び幕は上がる。
「素敵なお芝居ね。さっきのより、ずっといい」
「っ……!」
酷く心が乱れたのは、一人芝居を見られた羞恥からではない。
この酷い芝居を目撃した、あの子のせいだ。
ワイシャツ、紺色のベストに赤いネクタイ。四つ折りのだっせぇスカートはまさしく同じ制服。身長百
五十センチのほっそり体系。くるりと巻かれたどぎついピンクのツインテール。うちの学校、結構校則厳しいぞ?
私を見据える瞳は垂れていて、一見おっとりしたように見える。けどそこにはしかと何かが宿っていた。
壁に寄りかかり足をクロスする一人の少女は、にこやかな拍手を送っていた。
「……ありがとう。けど、そういうのは求めてないの」
舞台装置はないので、右手で髪を靡かせる。
心音を隠すよう、心情を悟られないよう、淡泊な回答。彼女が何者か、見定める必要などない。
見られた、演じているところを見られた。
だから早く、この場を立ち去りたかった。
「そうなの。でも、どうしても伝えたかったの。気に障ったのならばごめんなさい」
髪色に対して丁寧な対応。鼻につく甘ったるい声。つばにまみれた飴玉のよう。なのに何処か落ち着きがあり、大人びた所作を感じる。ピンク髪の癖に。
「謝る必要はないよ。じゃあ、これで」
もう関わりたくない。再び髪を靡かせ、下手へ進む。
けれど彼女の前を通り過ぎる時、唇がゆっくりと動き出した。
「スカイハイ」
どきり。
その一言に全ての心情が震えた。
頭が真っ白になる、セリフが抜け落ちる。私が演じるべき役が、見えない。
「あの空の向こうには何があるか。……貴方は知ってる? 笹山葵さん」
「……空の上には宇宙がある。科学で証明されているわ」
「乏しいんだね、想像力が。役者の癖に」
うっすらと、彼女の輪郭が視界に映る。でも、表情までは読めない。相手が求めるセリフが分からない。
だから、
「そうなの。だって私、もう死んでるから」
目には目を、歯には歯を。皮肉には、皮肉を。
幕引きに相応しい笑顔で、私はその場を去った。
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